第六十一話 入学式
朝。
目を覚ますと、見慣れない天井があった。
エイルはしばらくそれを眺めてから、昨日、学校の寮へ入ったことを思い出した。
向かいの寝台では、カイがまだ眠っている。
昨日までなら、朝起きれば聞こえてきたのは家畜の声や、ミラが台所で動く音だった。
今は廊下を歩く足音と、どこかで扉の開く音がする。
エイルは寝台を降り、窓を開けた。
制服姿の生徒が何人も歩いている。
「……多いな」
「何が?」
振り返ると、カイが起き上がっていた。
髪がひどい。
エイルは少し見つめた。
「髪」
「なに」
「すごい」
カイが自分の頭を触る。
「……お前もだぞ」
「ほんと?」
二人で鏡を見る。
「……ほんとだ」
「だろ」
学校で最初に覚えたことがこれでいいのだろうか。
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朝食を済ませ、二人は講堂へ向かった。
昨日渡された紙には、一年七組と書かれている。
その札の前には、すでにかなりの人数が集まっていた。
「ここか」
「多分」
「三十一人だっけ?」
「うん」
昨日は三百人以上の新入生をまとめて見た。
今日は、その中から同じクラスの人間だけが集まっている。
それでもエイルの村なら、同じ年頃の子供がこれだけいること自体が珍しい。
周囲を見る。
知っているのはカイだけだった。
少し前に、制服をきれいに着た女の子がいる。
その近くには、背筋を伸ばして立っている男の子。
エイルはそちらを少し見る。
「何見てる?」
カイが聞いた。
「あの人」
「知り合い?」
「知らない」
「じゃあ何で?」
「立ち方がちょっと違う」
「違う?」
「なんか、慣れてる感じ」
何に、と聞かれても分からない。
村で鍬を使い慣れた大人と、たまに手伝う子供では立ち方が違う。
それに少し似ていた。
カイは男の子を一度見て、
「分からん」
と言った。
「俺も分からない」
「じゃあ見るなよ」
「気になっただけ」
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やがて入学式が始まった。
三百十二人の新入生が講堂へ並ぶ。
学校の歴史。
ここで学べること。
授業や寮での決まり。
卒業後に進む道。
話は長かった。
かなり長かった。
エイルは最初こそ真面目に聞いていたが、途中から何度か座り直した。
横を見る。
カイは前を向いている。
「長いね」
小声で言う。
「言うな」
「眠い?」
「話しかけるな。余計眠くなる」
エイルは少し笑って、また前を向いた。
壇上では、学校で学ぶ内容について話が続いていた。
文字や計算。
歴史や地理。
自然についての知識。
魔力や魔術。
身体を使う実習。
ほかにも、上の学年になれば選べる授業が増えるらしい。
エイルは少し驚いた。
魔術を学べることは知っていた。
でも、学校はそれだけを教える場所ではない。
「ここで学んだものを、将来どう使うかは皆さんそれぞれです」
壇上の教師が言った。
「家業へ戻る者もいれば、商いに進む者、役所や領主のもとで働く者、技術を身につける者もいます。魔術を専門にする者もいるでしょう」
エイルは前を見る。
同じ学校へ入っても、その先は同じではないらしい。
「三年間、まずは知ること。そして、自分で考えることを覚えてください」
その言葉で話は締められた。
「終わった……」
カイが小さく呟いた。
「聞こえるよ」
「もう終わったからいい」
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入学式のあと、一年七組は教室へ移動した。
机が三十一。
黒板。
教壇。
窓からは別の校舎まで見える。
エイルが自分の席を探すと、カイは二つ後ろだった。
「離れた」
「寮では同じ部屋だろ」
「それはそうだけど」
しばらくすると、講堂の前で見た女の子が入ってきた。
続いて、立ち方が気になった男の子も入ってくる。
「あ」
「また見てる」
後ろからカイが言う。
「同じクラスだった」
「だから?」
「それだけ」
そこへ教師が入ってきた。
四十歳くらいの男だった。
教壇に立ち、黒板へ名前を書く。
『ヴァレン』
「一年七組の担任を担当するヴァレンです」
教室が静かになる。
「基礎魔力学も担当しますが、皆さんが受ける授業はそれだけではありません。時間割と教室を間違えないようにしてください」
何人かが手元の紙を見る。
エイルも見た。
文字。
計算。
歴史。
地理。
基礎魔力学。
ほかにもいくつか並んでいる。
「多いな……」
後ろからカイの声がした。
ヴァレンがそちらを見る。
「三年間あります。安心してください」
教室に小さな笑いが起きた。
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出席が取られる。
「カイ・――」
「はい」
「セレナ・――」
「はい」
さっきの女の子だった。
「レオン・――」
「はい」
立ち方が気になった男の子。
そして、
「エイル・――」
「はい」
三十一人全員の確認が終わると、ヴァレンは名簿を閉じた。
「皆さんは、それぞれ違う場所から来ています」
教室を見渡す。
「すでに文字や計算をかなり学んでいる者もいれば、これから覚えることが多い者もいるでしょう。魔術も同じです」
エイルは少し姿勢を正した。
「家庭や仕事の中で、火を起こす術や灯り、身体を補助する術などを教わっている者もいるでしょう。家庭教師について、さらに多くを学んできた者もいるはずです」
何人かは特に驚いた様子もない。
「逆に、魔術についてほとんど教わったことのない者もいます」
エイルは思った。
自分はこっちだ。
魔力そのものなら、ずっと使ってきた。
腕へ集めたり、脚へ流したり。
形を作って遊んだりもした。
けれど、火を出す術も、灯りの術も知らない。
「だから、授業は基礎から始めます」
ヴァレンが続ける。
「知っている者には復習になるでしょう。知らない者は、ここで覚えてください」
その言い方に、エイルは少し安心した。
最初から知っていることを前提にはされないらしい。
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ヴァレンは黒板へ大きく、
『魔力』
と書いた。
「では最初に。魔力とは何でしょう」
何人かが手を上げる。
エイルは上げなかった。
身体の中にある。
動かせる。
集められる。
使うと疲れる。
そこまでは知っている。
でも、「何か」と聞かれるとうまく答えられない。
ヴァレンが一人を指した。
セレナだった。
「生き物が体内に持つ力で、魔術を使うときにも利用するものです」
「そうですね。まずはそれで構いません」
ヴァレンはそこから説明を始めた。
身体の中にある魔力。
移動させること。
一か所へ集めること。
体外へ出すこと。
エイルにとって、感覚では知っている話も多かった。
ただ、今まで自分が「こうすると動く」としか考えていなかったものが、言葉になっていく。
それが面白かった。
ノートへ書いていると、ヴァレンが黒板を消した。
そして、新しく三つの言葉を書く。
『設計』
『形成』
『発動』
「ここから先は、魔術そのものの話です」
エイルの手が止まった。
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「魔術を理解するときは、まずこの三つを分けて考えてください」
ヴァレンが最初の言葉を指す。
『設計』
「何を起こしたいのか。そのために、どんな条件が必要なのか。それらをどう結びつければ目的の現象になるのか」
その下へ、簡単な記号と線を描く。
「こうして魔術として成立する術式を組み上げるのが、設計です」
エイルはノートへ書き写した。
記号そのものは見たことがない。
本屋で見た図に、少し似ている。
「次が形成」
二つ目を指す。
「完成した術式を、魔力で正確に再現します」
ヴァレンが手を出した。
魔力が集まる。
細い線になり、曲がり、簡単な輪を作った。
エイルの目が止まった。
輪。
それなら、自分も作ったことがある。
何度も。
だがヴァレンはすぐに言った。
「ただし、今作ったこれは術式ではありません」
「え?」
誰かの声がした。
「輪の形に魔力を整えただけです。形を作ること自体は形成の練習になりますが、意味のある術式を設計していなければ、これだけでは何も起こりません」
エイルは手元のノートを見る。
第一章で自分がやっていたことと、目の前の話がようやくつながった。
丸。
線。
文字の真似。
複雑な模様。
全部、形を作っていただけ。
「そして最後が発動です」
ヴァレンが三つ目を指した。
「正しく形成した術式へ魔力を通し、設計した現象を起こす」
黒板に矢印を書く。
設計。
形成。
発動。
「紙の上で正しい術式を作れても、形成を間違えれば正しく働きません」
続けて、
「逆に、どれほど正確に形成できても、設計そのものが間違っていれば、望んだ結果にはなりません」
エイルは三つの言葉を見た。
どれか一つができればいいわけではないらしい。
「今日は名前と違いを覚えてください。詳しいことは、これから順番にやります」
そこで授業は終わった。
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教室を出ると、カイが追いついてきた。
「なあ」
「なに?」
「最後のやつ、分かった?」
「全部は分からない」
「だよな」
エイルは歩きながら、さっきの三つを思い出す。
設計。
形成。
発動。
「でも一個だけ分かった」
「何?」
「俺がやってたやつ」
「魔力動かすやつ?」
「それもだけど、形作る方」
「輪とか?」
「うん。多分、形成の練習みたいなことしてた」
カイが少し考える。
「魔術は?」
「使えない」
「じゃあ、何のためにやってたの?」
エイルも考えた。
答えは昔から同じだった。
「面白かったから」
「……変なの」
「俺も今ちょっと思った」
二人で寮へ向かう。
エイルは途中で、自分の手を一度見た。
形成という名前を知った。
けれど、それだけだった。
術式は読めない。
設計もできない。
発動させる魔術も、まだ一つも知らない。
学校に来て最初の日。
知らなかったことが、一つ分かった。
その代わり、知らないことがいくつも増えた。




