第五十四話 ただいま
朝から、エイルは何度も荷車の前方を覗いていた。
「セド」
「なんだ」
「あとどれくらい?」
「さっき聞いた」
「結構進んだだろ」
「そんな進んでねえ」
「じゃあ、あと?」
「昼過ぎだ」
エイルは前を見る。
道と森。
それだけなら、ここ数日と変わらない。
けれど今日は違った。
見覚えがある。
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しばらくすると、小さな川が見えてきた。
「あ」
来るときにも渡った川だ。
その先の分かれ道も知っている。
「父さん」
「なんだ」
「ここ、もう村の近くだよね」
「ああ」
「歩いた方が早くない?」
トーマがエイルを見る。
「何でだ」
「早く着きたい」
「馬より速く走れるなら行け」
「魔力使えば――」
「二週間旅した最後に馬と競争するな」
「……はい」
諦めて座り直す。
それでも、目はずっと道の先に向いていた。
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昼を過ぎた頃だった。
「エイル」
トーマが言う。
「見えるぞ」
「え?」
顔を上げる。
遠くに畑が見えた。
その向こうに柵。
さらに奥に、小さな屋根がいくつか並んでいる。
「……村だ」
反射的に立ち上がる。
すぐにトーマに服を掴まれた。
「座れ」
「見えない」
「落ちる」
「大丈夫だって」
その瞬間、荷車が揺れた。
「うわっ」
「座れ」
「……はい」
大人しく座る。
それでも身体を少し横へずらし、荷物の隙間から村を見続けた。
少しずつ大きくなっていく。
畑。
柵。
家。
一月近く離れていたのに、何も変わっていないように見えた。
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柵の近くにいた村人が、こちらに気づいた。
荷車を見て、それから何かに気づいたように村の中へ走っていく。
セドが笑う。
「お前、偉くなったな」
「なんで?」
「帰ってきただけで人が走って知らせに行くぞ」
「父さんかもしれない」
「俺かもしれねえ」
「じゃあ俺じゃないじゃん」
「そこは自分だと思っとけよ」
「何でだよ」
そんなことを話している間にも、荷車は村へ近づいていった。
そして、見慣れた柵の間を通る。
家。
道。
井戸。
全部知っている。
学校のある街では、何を見ても知らないものばかりだった。
ここでは、目に入るもののほとんどに名前が分かる。
誰の家かも。
どこへ続く道かも。
どの畑かも。
「兄ちゃん!」
声がした。
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「リナ!」
走ってくる。
エイルも荷車から降りた。
リナはそのまま目の前まで来て――
「お土産!」
「そっち!?」
後ろでセドが大笑いした。
「先に何かあるだろ!」
「何?」
「試験!」
「あ」
本当に忘れていた顔だった。
「どうだった?」
エイルは少しだけ間を置いた。
「受かった」
リナの顔が止まる。
「ほんと?」
「ほんと」
「学校?」
「うん」
「兄ちゃん、学校行くの?」
「まだ決まってない」
「受かったのに?」
「お金とかあるから。帰ってから相談するんだよ」
「ふーん」
どこまで分かっているのかは怪しい。
そして数秒後。
「お土産は?」
戻った。
「あるよ」
「どこ?」
「荷物の中」
「出して」
「家で!」
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「エイル」
振り返る。
ミラが歩いてきていた。
いつもより少し速い。
「母さん」
旅の間、何度も考えていた。
試験のことを話そう。
学校の大きさも。
街のことも。
魔術のことも。
本屋で見た本のことも。
けれど、実際に母の顔を見ると、最初に出てきたのはそれではなかった。
「ただいま」
ミラが笑った。
「おかえり」
その一言を聞いた途端、ようやく本当に帰ってきた気がした。
後ろからトーマも降りる。
「ただいま」
「おかえり」
ミラは夫の顔を見て、それからもう一度エイルへ向き直った。
「それで?」
「やっぱり聞く?」
「聞くよ」
エイルも笑った。
「受かった」
一瞬、ミラの表情が止まった。
「本当に?」
「うん」
「……そう」
少しだけ間があって。
「よかった」
頭を撫でられた。
エイルは身を引く。
「もう子供じゃないよ」
「私の子供でしょう」
「父さんも同じこと言ってた」
「夫婦だからね」
「またそれ」
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「母さん、学校すごかったよ」
「うん」
「街もすごく大きくてさ。あと学校で魔術使ってる人がいて――」
「エイル」
「なに?」
ミラが荷車を指した。
「まず家に帰ろう」
見る。
自分の荷物がまだ積まれていた。
「……そうだった」
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家へ入る。
匂い。
机。
椅子。
壁。
何も変わっていない。
荷物を下ろした瞬間、肩が軽くなる。
「兄ちゃん」
リナが横に立っている。
「分かってるよ」
荷物を開け、小さな包みを取り出した。
「ほら」
「なに?」
「開ければ分かる」
リナが布をほどく。
中から出てきたのは、青い飾りのついた髪留めだった。
光に当てると、小さな飾りがきらりと光る。
リナはしばらく黙って見ていた。
「……きれい」
エイルは少し安心した。
「珍しい?」
「うん」
「村にない?」
「見たことない」
「よし」
「何が?」
「条件全部合ってる」
リナはさっそく髪留めを差し出した。
「つけて」
「俺が?」
「兄ちゃんのお土産」
「母さんにやってもらえよ」
「兄ちゃん」
「……分かったよ」
髪をまとめて留める。
少し離れて見る。
「どう?」
「変」
「知らないよ!」
ミラが笑いながら直した。
リナは何度も青い飾りへ触れていた。
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夕食。
久しぶりに家族四人で机を囲む。
エイルはスープを一口飲んだ。
「……これ」
ミラが見る。
「何?」
「いつもの味だ」
「いつものだからね」
旅の途中では、知らない料理も食べた。
初めての香草もあった。
美味しいものもあった。
でも、これは最初から味を知っている。
それが妙に落ち着いた。
「兄ちゃん」
リナが身を乗り出す。
「学校どんなだった?」
「大きかった」
「どれくらい?」
「村よりずっと」
「家何個?」
「数えてない」
「魔術あった?」
「使ってる人はいた」
「火?」
「火も見た」
「兄ちゃんも出した?」
「出してない」
「なんで?」
「習ってないから」
「学校行ったのに?」
「試験受けただけだよ!」
ミラが笑う。
トーマは食べながら、ときどきエイルの話を訂正した。
街。
本屋。
学校。
三日間の試験。
魔力量を測ったこと。
面談で村の話をしたこと。
話しているうちに、食事はすっかり長くなった。
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食事が終わると、トーマが荷物から一枚の紙を出した。
学校でもらった案内だった。
「これだ」
ミラが受け取る。
さっきまでの空気が、少しだけ変わった。
授業料。
寮費。
食費。
教材。
入学までに必要なもの。
ミラが一つずつ目で追っていく。
エイルは黙って待った。
やがて母が顔を上げる。
「……結構するね」
「ああ」
トーマも頷く。
リナは髪留めを触りながら紙を覗いているが、たぶんよく分かっていない。
エイルには、少し分かる。
少なくとも、簡単に払える額ではない。
「母さん」
「なに?」
「無理なら――」
「待って」
ミラが言った。
「まだ何も計算してないでしょう?」
「うん」
「なら、無理かどうかもまだ分からない」
トーマも頷く。
「明日、家の金と今年必要な分を全部出してみる」
ミラが紙を机へ置いた。
「そのあと考えよう」
エイルは紙を見る。
受かった。
でも、学校へ行くと決まったわけではない。
そこは、試験とは別の話だった。
「分かった」
リナが顔を上げる。
「明日決めるの?」
「まず計算」
エイルが答える。
「じゃあ兄ちゃん、明日学校行く?」
「行かないよ」
「いつ?」
「だから、それを今から決めるんだって」
「遅い」
「何がだよ」
久しぶりのやり取りに、トーマとミラが笑った。
エイルもつられて笑う。
帰ってきた。
今度こそ、そう思った。




