第五十三話 帰り道
翌朝。
エイルは宿の寝台に荷物を広げた。
着替え。本。水筒。それから、学校でもらった紙。
「父さん」
「なんだ」
「これ、どこに入れる?」
「学校の紙か?」
「うん」
「濡れないところ」
「本の間でいいかな」
「折りたくないなら、それがいいんじゃないか」
エイルは紙を本の間へ挟み、念のためもう一度開いて位置を確かめた。
「それ、帰るまで毎日確認する気か?」
「なくしたら困るじゃん」
「ならなくすな」
「だから確認してるんだよ」
荷物をまとめ終え、最後に小さな包みを入れる。
リナへの土産だった。
昨日、街を歩いてかなり探した。
珍しくて、できれば安いもの。
言うのは簡単だが、探してみると難しい。
結局選んだのは、小さな髪留めだった。青い石のような飾りが一つ付いている。
本物の宝石ではない。
だからエイルにも買える値段だった。
それでも光に当てると、少しきらきらする。
「喜ぶかな」
「知らん」
「父さん、本当にそればっかりだね」
「いつもだ」
「そうだった」
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宿を出る。
学校のある街を歩くのも、これで最後だった。
来たばかりの頃は、建物を見るたびに足が止まった。
店も、人も、馬車も、何もかも珍しかった。
数日いただけなのに、今は少しだけ目が慣れている。
それでも門を出る前に、エイルは振り返った。
建物の向こうに、学校の塔が見える。
次にここへ来ることになれば、試験を受けるためではない。
「エイル」
「うん」
「行くぞ」
「今行く」
エイルは前を向いた。
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乗合馬車へ荷物を積み、席へ座る。
その瞬間、エイルは顔をしかめた。
「……思い出した」
「何を」
「尻」
「まだ痛くないだろ」
「これから痛くなる」
「諦めろ」
馬車が動き始めた。
街の建物が流れていく。
門を抜け、壁が遠ざかり、やがて道だけになる。
帰り道が始まった。
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最初の日、エイルはよく喋った。
「母さん驚くかな」
「驚くだろ」
「受かると思ってたかな」
「知らん」
「リナは?」
「知らん」
「ベルンは?」
「知らん」
「セドは?」
「笑うんじゃないか」
「それは分かる」
二日目になると、少し静かになった。
三日目。
「尻痛い」
「始まったな」
四日目。
「あと何日?」
「聞くな」
五日目。
「帰りの方が長くない?」
「同じだ」
「絶対長い」
「道は変わらん」
「気持ちの話」
「知らん」
エイルは荷物へ背を預けた。
来るときは、ずっと先が気になっていた。
知らない町。
知らない道。
学校。
試験。
全部が前にあった。
帰りは違う。
通った道を戻っている。
泊まった宿を通り、見覚えのある町へ入り、その先に村がある。
知っているからこそ、なかなか着かない気がした。
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途中の町で一泊した翌日。
通りを歩いていたエイルは、一軒の店の前で止まった。
本屋だった。
「入るか?」
トーマが聞く。
「……見るだけ」
「本当に見るだけだぞ」
「分かってる」
店へ入る。
以前来たときと同じ棚を探す。
すぐに見つかった。
『魔術基礎概論』
エイルは本を手に取った。
開く。
文字。
知らない言葉。
そして、あの図。
輪と線。その中に並ぶ記号。
前に見たときは、何が何だか分からなかった。
今も読めるわけではない。
ただ、学校で実際に魔術を使う学生を見た。
魔力が複雑な形へ整えられ、そのあとに火や水が生まれた。
エイルは図へ顔を近づける。
自分が作ってきた形とは、やはり違う。
自分のものは、丸を作ってみたり、線を繋いでみたり、思いついた形を組み合わせているだけだ。
この図は、そうではないように見える。
「……これ、一個一個に意味あるのかな」
「俺に聞くな」
横からトーマが覗き込む。
「欲しいか?」
エイルは値段を確認した。
やっぱり高い。
そして昨日、学校で聞いた費用を思い出す。
授業料。
寮。
教材。
食費。
エイルは本を閉じた。
「今はいらない」
トーマが少し意外そうに見る。
「いいのか?」
「学校に行けたら、そこで習えるんでしょ」
「多分な」
「じゃあいい」
棚へ戻す。
欲しくなくなったわけではない。
むしろ前より読みたい。
でも、今すぐ買わなくてもいいと思えた。
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何日か進んだ夜。
宿でエイルは学校からもらった紙をもう一度広げた。
費用のところを見る。
「父さん」
「なんだ」
「やっぱり高いよね」
「ああ」
「村で一年暮らすより高くない?」
「高いな」
即答だった。
エイルは紙を指で追う。
授業料。
寮費。
食費。
教材。
受かった。
それは嬉しい。
でも、通うには金がいる。
もし学校へ行くことで、家の金がなくなるなら。
それは困る。
家にはミラもいる。
リナもいる。
畑だってある。
冬だって、また来る。
「俺も働く?」
トーマがエイルを見る。
「今も働いてるだろ」
「もっと」
「学校へ行きながらか?」
「できるなら」
「そこも含めて、帰ってから考える」
「母さんと?」
「ああ」
「俺も?」
「お前の学校だろ」
エイルは少し安心した。
勝手に決められるわけではない。
逆に、自分だけで決めることでもない。
「分かった」
紙を本の間へ戻した。
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さらに何日か進む。
少しずつ、景色が変わっていった。
大きな畑が減る。
家が減る。
森が増える。
道も細くなる。
エイルは荷台から前を眺めた。
「父さん」
「なんだ」
「近くなってきた?」
「ああ」
まだ村は見えない。
けれど、見覚えのある景色が増えていた。
木の種類。
森の濃さ。
道の幅。
学校のある街へ近づいたときとは、反対だった。
人が減っていくほど、家へ近づいている。
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十三日目。
小さな町へ入ったところで、エイルは見覚えのある荷車を見つけた。
「あ」
立ち上がる。
「おい、落ちるぞ」
トーマに服を掴まれた。
その向こうで、男が荷物を積んでいる。
「セド!」
声を張る。
男が振り返った。
少し目を細めてから、笑う。
「おう」
馬車が止まるのを待って、エイルは降りた。
セドのところまで行く。
「で?」
最初に聞かれたのは、それだった。
エイルは少しだけ間を置いた。
「受かった」
「そうか」
セドがにやっと笑う。
それだけだった。
「もっと何かないの?」
「何が」
「すごいとか」
「自分で言うな」
「二週間かけて受けに行ったんだよ」
「俺は途中まで運んだ」
「そこ関係ない」
セドはトーマを見る。
「本当に受かったのか?」
「ああ」
「へえ」
「なんで父さんには確認するの?」
「お前だからな」
「ひどい」
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帰りの最後は、またセドの荷車だった。
荷物の間に座る。
来たときと同じ場所だ。
「村まで今日着く?」
「ああ」
「本当?」
「嘘ついてどうする」
エイルは少し身を乗り出した。
「あとどれくらい?」
「夕方には着く」
「夕方か……」
あと半日ほど。
二週間近く戻ってきて、ようやくそこまで来た。
「エイル」
トーマが言う。
「なんだ」
「落ちるなよ」
「分かってる」
エイルは座り直した。
道の先を見る。
ここからは、もう全部知っている。
この道を進めば、村がある。
ミラがいる。
リナがいる。
エイルは荷台の上で、リナへの小さな包みがちゃんと入っているか、もう一度だけ確かめた。




