第四十九話 試験一日目
「エイル」
声がして、目を開けた。
トーマが寝台の横に立っている。
「朝だ」
「……うん」
身体を起こした瞬間、眠気がかなり消えた。
今日から試験だ。
---
朝食はパンとスープだった。
エイルはいつもよりゆっくり食べた。
トーマが向かいから見ている。
「珍しいな」
「何が?」
「急いでない」
「急ぐと間違えるから」
「飯で何を間違えるんだ」
「分かんないけど」
トーマが少し笑った。
「試験中に腹減らすなよ」
「ちゃんと食べてる」
エイルは残っていたパンを口へ入れた。
---
宿を出て、昨日通った道を学校へ向かう。
大きな通りを進み、塔が見えたところで曲がる。
昨日一度歩いただけだが、今日は迷わなかった。
学校が見えてくる。
そして門の前まで来たところで、エイルの足が少し遅くなった。
「……多いな」
昨日とは比べものにならないほど人がいる。
エイルと同じくらいの年頃の子供。
その親らしい大人。
荷物を持った者。
一人で来ている者もいる。
立派な馬車から降りてくる子もいた。
「全員受けるの?」
「多分な」
「何人いるんだろ」
「数えるか?」
エイルは門の前を見た。
「やめとく」
数えても、緊張するだけだ。
---
並んでいる子供たちの服も様々だった。
エイルより明らかに上等な服を着ている者。
腰に剣を下げた大人に付き添われている者。
反対に、エイルとあまり変わらない服装の者もいる。
エイルは自分の袖を見る。
「父さん」
「なんだ」
「俺、これで大丈夫?」
「何が」
「服」
「破れてない」
「そういう意味じゃなくて」
「服の試験じゃないだろ」
エイルはもう一度周囲を見た。
「……まあ、そうか」
「昨日まで気にしてなかっただろ」
「人見ると気になるんだよ」
「気にするなら問題の方にしろ」
「分かってる」
---
受付で、トーマから昨日の確認票を受け取った。
「なくすなよ」
「もう使うから大丈夫」
「終わるまでは持ってるだろ」
「分かってるって」
列に並ぶ。
少しずつ前へ進み、名前と確認票を見せると、小さな木札を渡された。
番号が書かれている。
「首から下げてください」
「はい」
紐を頭から通す。
木札が胸元に落ちた。
ここから先へ進めるのは受験者だけだった。
エイルはトーマを見る。
「じゃあな」
「……うん」
「何だ」
「いや」
言いかけて、やめる。
別に何かしてほしいわけではない。
トーマが言った。
「問題は最後まで読め」
「分かってる」
「分からん問題で止まりすぎるな」
「うん」
「急ぐな」
「父さん」
「なんだ」
「母さんみたい」
「夫婦だからな」
またそれだった。
エイルは少し笑った。
「行ってくる」
「ああ」
今度は一人で建物の中へ入った。
---
案内された部屋は広かった。
机が一つずつ離して並べられている。
前には試験を見る大人が二人。
エイルは胸の木札と机の番号を見比べ、自分の席を見つけた。
座る。
まだ紙は置かれていない。
周囲には知らない子供ばかりだった。
隣の席には、少し年上に見える少年がいる。
その少年は厚い本を読んでいた。
エイルは自分の荷物の中にある本を思い出す。
薄い本、一冊。
何年も何度も読んできた。
隣の本は、それよりずっと厚い。
他にも何冊か持っているようだった。
「……」
少しだけ、不安になる。
これまで何を勉強してきたのか。
どんな家で育ったのか。
誰に教わったのか。
ここにいる全員違う。
村では比べる相手すらいなかった。
「受験者は私語をやめてください」
前から声がした。
部屋が静かになる。
紙が配られ始めた。
一枚。
二枚。
三枚。
思っていたより多い。
「開始の合図まで触れないように」
エイルは手を膝へ置いた。
目の前の紙は裏返されている。
心臓が少し速い。
「始め」
一斉に紙を返す音がした。
---
最初は読み書きだった。
文章を読む。
問いを確認する。
答えを書く。
一問目。
分かる。
すぐに書こうとして、エイルは手を止めた。
もう一度、最後まで読む。
それから答えを書いた。
二問目。
これも分かる。
三問目。
知らない言葉が一つ出た。
「……」
少し考える。
出てこない。
そこは飛ばした。
長い文章を読んで答える問題もある。
最初は緊張していたが、何問か進むうちに少し落ち着いてきた。
思っていたより読める。
書ける。
次の紙へ進む。
---
計算。
一問目。
簡単。
二問目も分かる。
三問目は文章が長かった。
麦の袋と値段について書かれている。
数字を拾い、順番に計算する。
答えを書こうとして、エイルは止まった。
「……あ」
求められているものが違う。
危うく途中の数字を答えにするところだった。
問題を読み直し、計算を続ける。
今度は合っているはずだ。
トーマに何度も「最後まで読め」と言われた意味が、こんなところで分かった。
少し腹が立つ。
次。
割り算。
余り。
値段。
量。
村の仕事で使ったことのある計算も多かった。
ただ、一問だけ文章の意味が分かりにくいものがあった。
二度読む。
まだ怪しい。
三度目。
「……こうかな」
自信はない。
それでも計算して答えを書いた。
---
最後は、国や暮らしについての基礎的な問題だった。
地理。
作物。
季節。
歴史。
本で読んだものが次々と出てくる。
「あ、これ」
小さく声が出そうになり、慌てて口を閉じる。
知っている。
書く。
次も知っている。
知らないものは飛ばす。
そして、ある問題で完全に止まった。
昔の王の名前。
「……」
見た。
絶対に見た。
何度も読んだ。
ミラにも覚えておけと言われた。
なのに名前が出てこない。
本のどの辺りに書かれていたかまで、何となく思い出せる。
肝心の文字が出ない。
「……誰だっけ」
前の席の子が少し振り返った。
エイルは慌てて黙った。
駄目だ。
飛ばす。
---
一度、最後まで進んだ。
空欄は三つ。
そのうち一つは、戻って考えると答えられた。
残り二つ。
王の名前は、まだ出ない。
もう一つも分からない。
エイルは最初の紙へ戻った。
見直す。
一問、文字を書き間違えている。
直す。
計算。
数字を一つ写し間違えていた。
「……危な」
今度は声を出さなかった。
周囲からは筆記具の音が続いている。
紙をめくる音。
咳。
誰かが手を上げる。
他の人がどこまで進んでいるのか気になる。
でも見ても仕方がない。
自分の紙へ戻る。
---
終了が近いことを告げられた。
エイルはもう一度、空欄の問題を見る。
分からない。
ただ、問いの前後を読み直すと、知っていることが少しだけあった。
完全な答えではない。
それでも、分かる範囲を書いた。
最後に王の名前。
「……」
出ない。
とうとう最後まで思い出せなかった。
「終了です」
エイルは筆記具を置いた。
その瞬間、肩から力が抜けた。
「疲れた……」
指も少し痛い。
答案が回収される。
周囲では、すぐに小声が聞こえ始めた。
「あの問題――」
「三つ目って――」
エイルは聞かないように席を立った。
答え合わせをしたら、絶対に気になる。
---
建物を出る。
人の中からトーマを探す。
壁際に立っている父を見つけた。
「父さん」
「おう」
「終わった」
「見れば分かる」
「疲れた」
「どうだった」
エイルは少し考えた。
「分かんない」
「そうか」
「できたのもある」
「ああ」
「分かんなかったのもある」
「ああ」
「王様の名前が最後まで出なかった」
「俺に言われても知らん」
「母さんなら知ってた」
「帰ったら聞け」
「落ちてたら聞きたくない」
トーマが歩き出す。
「飯食うぞ」
エイルはその背中を見る。
「それだけ?」
「何が」
「もっとないの? 試験どうだったとか」
「今聞いただろ」
「そうじゃなくて」
トーマが振り返る。
「終わった問題を考えたら点が増えるのか?」
「増えない」
「なら飯だ」
「……はい」
少し笑ってしまった。
---
学校を出るところで、エイルは一度振り返った。
試験はあと二日ある。
明日は魔力量の確認と、魔力を扱う試験。
今日より、何をするのか分からない。
それなのに、少し楽しみでもあった。
「父さん」
「なんだ」
「明日の方が楽しみかも」
「試験なのにか?」
「うん」
「変な奴だな」
「だって、自分の魔力ってちゃんと調べたことないし」
村には、測るための道具もなかった。
多いのか。
少ないのか。
そもそも、どうやって比べるのかも知らない。
身体へ魔力を回すことも、形を作ることも、ずっと一人でやってきた。
比べる相手がいなかった。
「明日なら少し分かるかな」
「学校なら分かるんじゃないか」
「だよね」
---
昼食を食べたあと、本を少し開いた。
けれど昨日ほど集中できなかった。
明日のことが気になる。
夜になって、いつものように魔力で形を作ろうとして――やめた。
一晩やったところで、急に何かが変わるわけではない。
それに、何年もやってきた。
今さら慌てても仕方がない。
布へ入る。
目を閉じる。
明日、自分の魔力を初めてきちんと調べてもらう。
エイルはしばらく天井を見ていた。
昨日よりは、眠れそうだった。




