第四十八話 学校
翌朝。
エイルは、まだ外が薄暗いうちに目を覚ました。
しばらく布の中にいたが、眠れそうにない。
「父さん」
返事がない。
「父さん」
「……なんだ」
「朝」
「知ってる」
「学校」
「逃げん」
「でも」
「まだ早い。寝ろ」
エイルは窓を見る。
確かに、通りにもまだ人影がほとんどない。
「……もう起きた」
「なら静かにしてろ」
仕方なく本を開いた。
けれど一ページ読んでも、何が書いてあったのかほとんど頭に残らなかった。
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朝食を終えると、二人は宿を出た。
昨日、御者に聞いた道を北へ向かう。
大きな通りは、朝から人でいっぱいだった。
店を開ける者。
荷物を運ぶ者。
馬車。
兵士。
エイルと同じくらいの年頃の子供もいる。
気になるものを見つけるたびに視線を向けていると、すぐトーマより遅れる。
「エイル」
「分かってる」
慌てて横へ戻った。
しばらく進むと、周囲の様子が少し変わった。
店が減り、その代わりに大きな建物や塀が増えてくる。
広い庭のある建物もあった。
「この辺?」
「多分な」
「父さんも分かってないじゃん」
「昨日聞いた道は合ってる」
「誰かに聞こうよ」
「そうするか」
珍しく、すぐ同意した。
通りにいた男へ学校の場所を尋ねる。
男は道の先を指した。
「あの塔が見えるだろ」
二人で顔を上げる。
建物の向こうに、白っぽい高い塔が見えた。
「あの辺りだよ」
礼を言って、再び歩き出す。
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近づくにつれ、塔だけではないことが分かった。
大きな建物が一つ。
その隣にも。
さらに奥にもある。
いくつもの建物と庭が、高い塀の内側にまとまっていた。
そして、大きな門。
エイルはその前で足を止めた。
「……ここ?」
「名前見ろ」
トーマが門の横を指す。
石に文字が彫られていた。
エイルは読む。
何年も前から、本や地図を見ながら覚えていた学校の名前だった。
「ここだ」
「ああ」
思っていたものとは少し違った。
エイルは学校というものを、大きな建物が一つある場所だと思っていた。
実際には、その中だけで小さな町のようにいくつもの建物がある。
門を通る人も多い。
エイルと同じくらいの者。
もっと年上に見える者。
大人もいる。
「あれ、学生?」
「多分な」
「大人は?」
「先生かもしれん」
「全部?」
「知らん」
「じゃあ聞こう」
門の横には詰所があった。
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トーマが中の男へ声をかけた。
「明日からの試験を受けに来たんだが」
男がエイルを見る。
「受験者か?」
「はい」
名前を聞かれ、答える。
次に出身。
村の名前を言うと、男は少し考えた。
「……どの辺りだ?」
やっぱり知られていない。
トーマが近くの地域の名前を出すと、ようやく通じた。
「ああ、そっちか。遠いな」
「馬車を乗り継いで二週間くらいです」
エイルが答える。
「よく来たな」
旅に出てから、何度目か分からない言葉だった。
「受付は今日のうちにできるぞ」
「今日?」
「ああ。明日の朝でもいいが、先に済ませておいた方が楽だ」
エイルはトーマを見る。
「やる?」
「そのために来たんだろ」
「うん」
二人は門を通った。
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一歩、中へ入る。
石敷きの道。
広い庭。
いくつもの建物。
学生らしい人たちが、普通に行き交っている。
エイルは歩きながら周囲を見ていた。
そのとき。
少し離れたところで、魔力が動いた。
足が止まる。
「……」
二人の学生が話している。
そのうち一人が手を前へ出した。
周囲の魔力が集まる。
それだけなら分かる。
けれど、その直後。
集まった魔力が、複雑な形を取った。
輪。
線。
細かな形。
それらが一瞬で組み上がる。
次の瞬間、小さな火が手の上に灯った。
「……父さん」
「なんだ」
「見た?」
「火か?」
「その前」
「何が?」
「魔力。形になった」
トーマがエイルを見る。
「そうなのか?」
「うん」
学生はもう歩き去っていた。
エイルはその背中を目で追う。
本屋で見た図。
サナが火を出したときに感じた、ただ集めるだけではない魔力の動き。
そして今、目の前で見たもの。
似ている。
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「エイル」
トーマに呼ばれた。
「あ」
受付だった。
慌てて追いつく。
建物へ入ると、机が並び、その向こうに何人か大人が座っていた。
名前。
年齢。
出身。
順番に聞かれて答える。
出身については、また近くの地域まで説明することになった。
最後に受験料を求められた。
トーマが袋を出す。
金額は前から知っていた。
それでも、実際に父が硬貨を渡すところを見ると、妙に気になった。
ここまでの馬車代もある。
宿代もある。
帰りの分も必要だ。
「エイル」
呼ばれて顔を上げる。
受付の女性から一枚の紙を渡された。
「これが受験の確認票です。明日は朝の鐘が鳴ったら、この建物へ来てください。遅れないように」
「はい」
「筆記用具は持っていますか?」
「あります」
「では、なくさないように」
エイルは紙を受け取った。
建物を出たところで、トーマが言う。
「なくすなよ」
「分かってる」
袋を開き、一番奥へ入れようとする。
「……取りにくいな」
少し手前へ移す。
今度は落ちそうな気がする。
布の間に挟む。
「これなら大丈夫かな」
「俺が持つか?」
「自分で持つ」
トーマが何も言わず見ている。
エイルはもう一度入れ直した。
「……やっぱり持ってて」
「早いな」
結局、トーマへ渡した。
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そのまま帰ろうとしたところで、エイルは振り返った。
「父さん」
「なんだ」
「もう少し見ていい?」
「学校を?」
「うん」
トーマは空を見た。
まだ昼には早い。
「少しだけな」
「うん」
二人は敷地の中を歩いた。
今度のエイルは、建物よりも人を見ていた。
正確には、人が使う魔力を。
少し先で、杖を持った学生が何かをしている。
魔力が集まる。
形が整う。
その直後、水が動いた。
別の場所では、風が起きる。
何かを浮かせて運んでいる者もいた。
やはり同じだった。
起きることは違う。
形も同じではない。
けれど、魔術が起こる前には、集めた魔力が何らかの形へ整えられている。
「やっぱり……」
「何がだ?」
「形」
トーマが横を見る。
「そんなに気になるか?」
「うん」
「お前も作ってるだろ」
「違う」
「何が?」
エイルは少し考えた。
自分が何年も作ってきたもの。
文字。
丸。
線。
複雑な模様。
どれだけ上手く作っても、何も起きない。
「俺のは、ただ作ってるだけ」
「今の奴らも作ってたんじゃないのか?」
「でも、そのあと魔術が出る」
「そりゃ魔術だからな」
「そうじゃなくて……」
うまく説明できない。
見た目が複雑だから違うわけでもない。
エイルが作る形だって、今では十分複雑だ。
けれど、学生たちのものは違う。
線や形を適当に並べているようには見えなかった。
何かの決まりに沿って組まれているように感じる。
本屋で見た図にも、同じものを感じた。
「分かんない」
結局、そう言った。
「なら学校で習えばいいだろ」
トーマが答える。
エイルは父を見る。
「……うん」
そのために来た。
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門を出て、宿へ戻る。
途中、エイルは珍しくあまり喋らなかった。
頭の中に、さっき見たものが残っている。
火。
水。
その直前に作られた形。
けれど宿へ戻ると、本を開いた。
明日の試験は読み書きと計算、それから基礎的な知識だ。
魔力の試験はその次。
今考えても仕方がない。
一ページ読む。
次。
計算も少し確認する。
しばらくすると、トーマが言った。
「そこ、さっきも読んでなかったか?」
エイルの目が止まる。
「……読んだ」
「頭、学校に置いてきたか?」
「置いてない」
「なら戻せ」
「分かってるよ」
エイルは一度本を閉じた。
少し息を吐く。
それから、もう一度開いた。
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夜。
今日は形を作らなかった。
昼間に見たものを真似したところで、何が正しいのか分からない。
それより明日のために寝た方がいい。
布へ入る。
目を閉じる。
しばらくしてから、エイルは小さな声で言った。
「父さん」
「なんだ」
「明日、落ちたらどうする?」
少し間があった。
「帰る」
「それだけ?」
「それだけだ」
エイルは暗い天井を見る。
「母さんと同じこと言うね」
「夫婦だからな」
思わず少し笑った。
「それ便利だね」
「ああ」
目を閉じる。
すぐには眠れなかった。
それでも、明日は来る。
最初の試験が始まる。




