第四十七話 遠い街
乗合馬車は、セドの荷車より少し速かった。
その代わり、よく揺れた。
「……尻が」
「言うな」
隣のトーマが即座に返す。
「まだ何も言ってない」
「毎日聞いてる」
「今日は腰かもしれない」
「どっちだ」
「両方」
向かいに座っていた老人が笑った。
「若いのに情けないな」
「ずっと座ってるんですよ」
「わしは平気だぞ」
「何日乗ってるの?」
「六日」
エイルは老人を見た。
「……強い」
「年季だな」
馬車に乗るのにも年季がいるらしい。
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町を出てから、道は少しずつ広くなっていった。
すれ違う人も増えた。
荷車。
乗合馬車。
馬に乗った人。
歩いている旅人。
ときには何台もの荷車がまとまって進んでいる。
休憩中、エイルは少し離れたところに止まった荷車の列を眺めた。
「父さん」
「なんだ」
「あれ何?」
「商人たちじゃないか」
「何運んでるんだろ」
「知らん」
「見てくる」
「行くな」
「休憩中だよ?」
「知らん奴の荷物を見に行くな」
「見るだけ」
「一番怪しい奴が言うやつだぞ」
「……やめとく」
村なら、誰の荷物か大体分かる。
ここでは、知らない相手との距離も自分で考えなければならないらしい。
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旅は、思っていたより何も起きなかった。
朝、起きる。
食べる。
馬車に乗る。
昼に休む。
また馬車に乗る。
夕方、宿へ入る。
食べて、寝る。
次の日も同じ。
エイルは少し拍子抜けしていた。
旅というものは、もっといろいろ起きると思っていたのだ。
「父さん」
「なんだ」
「旅って暇だね」
「何もない方がいい」
「でも暇」
「魔物でも出てほしいのか?」
「それは嫌」
「なら暇でいろ」
正しかった。
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六日目。
突然、馬車が止まった。
エイルはすぐに顔を上げた。
「何?」
御者が降りて前へ向かう。
他の乗客も、何事かと外を覗いている。
エイルも立とうとすると、トーマに腕を掴まれた。
「待ってろ」
「見るだけ」
「道の真ん中で勝手に動くな」
しばらくして、御者が戻ってきた。
「前の荷車の車輪が壊れた。道を塞いでる」
「直る?」
乗客の一人が聞く。
「時間はかかるな」
結局、全員いったん馬車を降りることになった。
地面へ足をつけた瞬間、エイルは大きく伸びをした。
「最高」
「何が」
「歩ける」
「昨日まで歩くの嫌がってただろ」
「馬車に乗ったあとなら歩くの最高」
「勝手な奴だな」
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前へ行くと、壊れた荷車が道の端へ寄せられていた。
車輪が傾き、男たちが荷台を持ち上げようとしている。
エイルは少し近づいた。
「手伝う?」
「向こうが頼んだらな」
「持ち上げるくらいならできるよ」
「だから勝手に入るな」
「……はい」
言われた通り待っていると、少しして本当に声が飛んできた。
「そこの兄ちゃん、ちょっと手を貸してくれるか?」
エイルは自分を指した。
「俺?」
「そうそう。そっち持ってくれ」
トーマを見る。
「行ってこい」
「うん」
荷車の端に手をかける。
男が二人。
そこにエイル。
「せーの!」
重さが腕へかかった。
エイルは身体の動きに合わせて、脚、腰、腕へ魔力を回す。
ぐっと持ち上げる。
「お?」
隣の男がエイルを見た。
「兄ちゃん、力あるな」
「農家だから」
「農家か」
なぜか、それで納得された。
荷車を支えている間に車輪を外し、代わりのものへ交換する。
エイルが想像していたより、ずっと時間がかかった。
再び出発した頃には、空が赤くなり始めていた。
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「今日、予定してた宿まで行ける?」
エイルが聞く。
御者が空を見て首を振った。
「厳しいな。次の宿場で止まる」
「そこまで行けなかったら?」
「まあ、野宿だな」
「野宿?」
エイルは少し身を乗り出した。
「ちょっとやってみたい」
「俺は嫌だ」
トーマが即答する。
「なんで?」
「寒い。地面は硬い。飯も面倒だ」
「父さん、夢ないね」
「寝る場所には屋根がある方がいい」
結局、暗くなる少し前に小さな宿場へ着いた。
野宿はなかった。
エイルは少し残念だった。
トーマはかなり安心していた。
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さらに二日ほど進むと、景色が変わり始めた。
畑が増えた。
しかも広い。
村の畑とは比べものにならないほど先まで続いている。
道の脇には家も増え、人の姿も多くなった。
「もう街?」
エイルが聞く。
「まだだ」
御者が答える。
「これで?」
「街の外の農地だよ」
エイルは外を見た。
自分の村より、はるかに多くの人がいる。
家もある。
畑もある。
それでも、まだ街ではないらしい。
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さらに進むと、土だった道が石敷きに変わった。
車輪が石を拾い、揺れ方まで変わる。
「痛っ」
エイルが腰を浮かせる。
トーマが前を見る。
「もう近いんじゃないか」
「分かるの?」
「人が増えただろ」
確かに増えていた。
馬車。
荷車。
歩く人。
道の両側には建物まで現れ始めている。
それでもまだ門は見えない。
やがて馬車が坂を上った。
少し高い場所へ出る。
そこでエイルは、前を見たまま黙った。
遠くに壁が見えた。
前に泊まった町より、ずっと長い。
左右へどこまで続いているのか分からない。
その向こうには、無数の屋根がある。
さらに奥には高い建物や塔まで見えた。
「……あれ?」
ようやく声が出た。
御者が頷く。
「学校のある街だよ」
エイルはもう一度見た。
まだ遠い。
それなのに、大きい。
前の町を初めて見たときも、十分すごいと思った。
けれど今見えているものは、さらにその先だった。
「父さん」
「なんだ」
「あれ全部、街?」
「……多分な」
トーマも少し驚いている。
「父さんも分かんないんだ」
「初めてだからな」
その答えを聞いて、エイルは少し笑った。
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馬車が坂を下るにつれて、街が近づいてくる。
壁は想像していた以上に高かった。
門の前には長い列。
馬車。
荷車。
馬に乗った人。
歩いている人。
兵士もいる。
「……多すぎない?」
「街だからな」
「村何個分?」
「知らん」
「百?」
「知らん」
「千?」
「数える気か?」
エイルは壁の端を探してみた。
「無理」
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門へ着くまでにも時間がかかった。
順番が来ると、荷物を確認され、名前や目的を聞かれる。
「何しに来た?」
門にいた男が聞いた。
トーマが答える。
「学校の試験だ」
男がエイルを見る。
「受験か」
「はい」
「どこから来た?」
村の名前を答える。
男は少し考えたが、知らないらしい。
「遠いのか?」
「馬車を乗り継いで二週間くらい」
「そりゃ遠いな」
街の人にまで遠いと言われると、本当に遠くまで来たのだと実感した。
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門を通る。
エイルは、また黙った。
ただ、前の町に入ったときより長く。
人が多い。
道が広い。
建物が高い。
二階建て。
三階建て。
もっと高く見えるものまである。
店の看板が並び、知らない匂いが混ざり、あちこちから声が飛んでくる。
遠くでは鐘の音までした。
「父さん」
「なんだ」
「あれ何?」
「知らん」
「あっちは?」
「知らん」
「学校どこ?」
「知らん」
「宿は?」
トーマが黙った。
「父さん?」
「……御者に聞く」
少しだけ不安になった。
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馬車を降りると、トーマは御者に宿の多い場所を聞いた。
ついでに学校の場所も確認する。
「学校なら北の方だな。ここから結構歩くぞ」
エイルは街の奥を見る。
「同じ街なのに?」
御者が笑った。
「広いからな」
村なら端から端まで歩くこと自体、大したことではない。
同じ街の中なのに目的地までかなり歩くという感覚が、エイルにはまだよく分からなかった。
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宿へ向かう間、エイルは今度こそトーマから離れなかった。
角を一つ曲がる。
さらにもう一つ。
人を避けて、また曲がる。
少し進んだところで、エイルは後ろを振り返った。
「……」
もう、どこから来たのか分からない。
「父さん」
「なんだ」
「帰れる?」
「宿から?」
「村まで」
トーマが少し笑った。
「帰るために俺がいるんだろ」
「父さんも道分かってないじゃん」
「明日覚える」
「本当に?」
「多分な」
「ものによる?」
「便利だろ」
「嫌い」
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宿に荷物を置く。
エイルは窓のそばへ行った。
外には、まだ大勢の人が歩いている。
学校は、この街の中にある。
明日は場所を確認しに行く。
そして、その翌日から試験だ。
何年も本の地図で見ていた場所。
ずっと遠いと思っていた場所。
そこまで、本当に来た。
エイルは荷物から、何年も読んできた本を取り出した。
表紙を少し撫でる。
「父さん」
「なんだ」
「明日、学校見に行くよね」
「ああ」
「中入れるかな」
「知らん」
「試験前でも?」
「明日聞け」
「魔術使ってる人いるかな」
「知らん」
「本いっぱいあるかな」
「エイル」
「なに?」
「今日は寝ろ」
「まだ早いよ」
「二週間、馬車に乗ってきただろ」
「座ってただけじゃん」
「その座ってただけで毎日尻が痛いって騒いでたのは誰だ」
「……俺」
「なら休め」
エイルは窓の外をもう一度見た。
眠れる気は、あまりしなかった。
学校はもう、歩いて行ける場所にあった。




