第四十六話 町
「見るな」
トーマが言った。
「見てない」
「見てる」
「ちょっとだけ」
「ぶつかるぞ」
エイルは仕方なく前を向いた。
けれど数歩も進まないうちに、また横を見る。
店。
その隣にも店。
さらにその先にも店が続いている。
野菜を並べた店もあれば、布を吊るした店もある。何を売っているのか分からない店まであった。
「父さん」
「なんだ」
「あれ何?」
「知らん」
「じゃあ、あれ」
「知らん」
「何なら知ってるの?」
「お前が前を見てないこと」
「見てるって――」
どん。
誰かの肩にぶつかった。
「痛っ……すみません!」
慌てて頭を下げる。
相手の男は少しだけエイルを睨み、そのまま人混みの中へ消えていった。
トーマが横から言う。
「ほら」
「……はい」
ドルクに言われた通りだった。
村とは違う。
立ち止まっているつもりでも後ろから人が来るし、横を見ていれば誰かにぶつかる。
気になるものは山ほどあるのに、全部見ている暇がない。
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セドが使う宿は、町の少し奥にあった。
荷車を止め、馬を預ける。
そのあと荷物を中へ運ぶことになった。
「セド、これどこ?」
「中」
「これは?」
「それも中」
「全部じゃん」
「全部中だからな」
「もっと分けて言ってよ」
「口を動かす前に手を動かせ」
「父さんと同じこと言う」
「正しいことは大体みんな同じなんだよ」
エイルは袋を持ち上げた。
「それ本当?」
「知らん」
「適当じゃん」
それでも荷物は減らないので、運ぶしかなかった。
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全部を運び終えると、セドが腰を伸ばした。
「俺は明日から別方向だ」
エイルが振り返る。
「ここまで?」
「ああ」
「じゃあ次の馬車は?」
「明後日だ」
「明日じゃないの?」
「毎日出てると思ったか?」
「……思ってた」
セドが笑った。
「どこでも好きなときに馬車が出るわけじゃねえよ」
エイルは宿の外を見る。
これだけ人がいるのだから、馬車もいつでもあると思っていた。
どうやら町にも町の都合があるらしい。
「じゃあ明日は?」
「待つ」
トーマが答えた。
「一日?」
「ああ」
エイルはすぐに聞いた。
「町見ていい?」
「俺と一緒ならな」
「全部?」
「無理だ」
「なんで?」
「一日しかない」
エイルは少し嬉しくなった。
全部は無理でも、一日見られる。
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翌朝。
宿を出ると、昨日よりさらに町が騒がしかった。
店が開き、人が道へ出ている。
「安いぞ!」
「今朝入ったばかりだ!」
「そっちは三枚だ!」
あちこちから声が飛ぶ。
エイルは昨日より少しだけトーマの近くを歩いた。
迷子になるつもりはない。
けれど昨日、門から宿まで来ただけで道が分からなくなった。
それくらいは認めることにした。
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最初に足を止めたのは食べ物を売る一角だった。
野菜。
肉。
パン。
干したもの。
漬けたもの。
そして、見たことのない大きな魚。
「父さん」
「なんだ」
「魚でかい」
「そうだな」
「川?」
トーマが魚を見る。
「海じゃないか」
「海?」
エイルも改めて見る。
海そのものは本で読んだ。
地図でも見た。
国の南にある、大きな水の広がり。
でも、そこにいる魚を実際に見るのは初めてだった。
「海って遠いよね?」
「ここからならな」
「じゃあ、どうやって持ってきたの? 腐らない?」
店の男が横から答えた。
「塩漬けだよ」
「塩?」
見ると、魚の表面に白いものが残っている。
「これ食べられる?」
「そのために売ってる」
「いくら?」
値段を聞く。
エイルは黙った。
「……高い」
男が笑う。
「遠くから運んでるからな」
「村なら魚もっと安い」
「じゃあ村で買いな」
「海の魚はいないよ」
「なら高くても仕方ないだろ」
もっともだった。
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次は布。
村で見るものより、色が多かった。
赤。
青。
黄。
緑。
薄い色も濃い色もある。
エイルが一枚を眺めていると、店の女が声をかけた。
「気になる?」
「これ、どうやって色つけるの?」
「染めるんだよ」
「何で?」
「ものによるね」
エイルは思わず顔をしかめた。
「大人、みんなそれ言う」
女が笑った。
「便利だからね」
横を見ると、トーマまで笑っていた。
「ほら」
「何がほらなの?」
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道具屋では、さらに長く止まった。
斧や鎌なら村にもある。
金槌も釘も知っている。
けれど、その間に知らない道具がいくつも並んでいた。
「これ何?」
「革に穴を開ける」
店の男が答える。
「これは?」
「木を削るやつだ」
「こっちは?」
「長さを測る」
細長い道具に、細かな線と数字が刻まれている。
エイルは顔を近づけた。
「……二十」
「読めるのか」
「うん」
答えてから、少し嬉しくなった。
何年か前なら、その数字も読めなかった。
今は知らない道具でも、書いてあるものなら自分で読める。
全部ではない。
それでも、以前とは違った。
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さらに歩いた先で、エイルは完全に止まった。
本が並んでいた。
店の外からでも分かる。
棚の中にも、奥にもある。
「父さん」
「駄目だ」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる」
「見るだけ」
「買わんぞ」
「見るだけ!」
トーマは少し迷ったあと、
「長居するなよ」
と言った。
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店へ入る。
エイルはしばらく何も言わなかった。
棚。
本。
その隣にも本。
机の上にも本。
村では、一冊あるだけでも珍しい。
セドが持ってくることもあるが、せいぜい数冊だ。
ここには、どこを見ても本がある。
「……こんなにあるんだ」
近くの一冊へ手を伸ばしかけて、止める。
店の主人を見る。
「触っていい?」
「手が汚れてなければね」
エイルは自分の手を確認した。
朝に洗った。
さっき魚には触っていない。
大丈夫だ。
多分。
一冊を取る。
開く。
文字は読める。
けれど、知らない言葉がいくつもある。
別の本。
地図。
別の本には物語。
植物について書かれたものもある。
「父さん」
「買わんぞ」
「まだ聞いてない」
「値段を見ろ」
見る。
エイルは静かに本を閉じた。
「……高い」
「だろ」
それでも見るだけなら無料だ。
エイルは棚を順番に眺めていった。
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一番奥の棚で、足が止まった。
背表紙に見覚えのある言葉がある。
魔術。
エイルは一冊を抜いた。
『魔術基礎概論』
表紙の文字は読める。
胸が少し高鳴った。
開く。
最初の数行を読む。
読める文字なのに、意味がよく分からない。
知らない言葉が多い。
もう少し先へ進む。
そこで図が出てきた。
「……」
エイルの手が止まる。
輪。
線。
その中に並ぶ記号。
いくつかの形が繋がり、一つの複雑な図になっている。
自分が何年も作ってきたものとは違う。
けれど、魔力で形を作る遊びを続けてきたエイルには、どうしても目が離せなかった。
図の横にある説明を読む。
知っている文字を追う。
けれど、言葉の意味が分からない。
「術式……?」
その言葉も初めて見た。
次の行も読む。
やっぱり分からない。
「父さん」
「なんだ」
「これ」
トーマが隣から覗く。
「魔術の本か」
「うん」
「欲しいのか?」
エイルは値段を見る。
一度見て。
もう一度見た。
「……高い」
さっきまで見ていた本より、さらに高かった。
「買える?」
聞いた直後、自分でも少し困った。
ここまで来るのに馬車代がかかっている。
宿にも金がいる。
帰りもある。
試験だって無料ではない。
トーマも値段を確認した。
「今は無理だな」
「……うん」
エイルはもう一度ページへ目を落とした。
輪。
線。
記号。
何が書かれているのかは分からない。
それでも、気になった。
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「坊主」
店の主人が声をかけてきた。
「学校でも行くのか?」
エイルが顔を上げる。
「試験を受ける」
「どこの?」
学校の名前を答える。
主人が少し眉を上げた。
「遠いところを受けるんだな」
「知ってる?」
「名前くらいはね」
エイルは開いている本を見せた。
「この本、そこで使う?」
「さあ。学校ごとに使う本は違うだろうからね」
「この図って、魔術の形?」
主人は困ったように笑った。
「そこまで聞かれても分からないよ。私は本を売ってるだけだ」
「そっか」
エイルはまた図を見る。
「学校へ行けば分かるかな」
「それを知りたいなら、習えばいいんじゃないか?」
エイルは少し黙った。
そうだった。
分からないから、行きたいのだ。
本を閉じる。
元の場所へ戻した。
名残惜しかったが、今は買えない。
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店を出てからもしばらく、エイルは静かだった。
トーマが横を見る。
「欲しかったか」
「うん」
「悪いな」
エイルは首を振った。
「いいよ」
少し考えてから続ける。
「学校で習えるなら」
「受かればな」
「分かってる」
頭には、さっき見た図が残っていた。
輪。
線。
その中の、意味の分からない記号。
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夜。
宿の寝台に座り、エイルは目を閉じた。
思い出してみる。
本に載っていた図。
外側の輪。
そこから伸びる線。
内側には確か、いくつかの記号があった。
魔力を集める。
覚えているところだけ作ってみる。
輪。
線。
「……違うな」
途中で分からなくなった。
どの線がどこへ繋がっていたのか。
記号がどこにあったのか。
そもそも記号そのものを覚えていない。
仕方なく続きを自分で作ると、いつもの意味のない形になった。
完成。
何も起きない。
エイルは少し笑った。
「全然違う」
すぐに散らした。
真似できなかったことより、別のことの方が気になっていた。
本の中にも、複雑な形があった。
自分が文字から始めて、面白いから作り続けてきたものとは違う。
あの図には、何か意味があるらしい。
今の自分には、それを読むことすらできない。
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翌朝。
宿の前に次の馬車が来た。
セドとはここで別れる。
「じゃあな」
「うん」
「帰りも時期が合えば乗せてやる」
「本当?」
「合えばな」
「絶対合わせて」
「俺の商売をお前に合わせるな」
トーマが荷物を積み、エイルも手伝う。
今度の馬車には、荷物だけでなく他の乗客もいた。
老人。
親子。
一人旅らしい男。
全員、知らない人だ。
エイルが荷台へ上がると、セドが手を上げた。
「試験、落ちるなよ!」
「出発前に縁起悪いこと言うな!」
「落ちたら笑ってやる!」
「受かっても笑うくせに!」
「分かってきたな!」
馬車が動き始める。
エイルも手を上げた。
町の道を抜け、門を出る。
壁が少しずつ遠くなる。
学校のある街までは、まだ一週間以上ある。
エイルは前を向いた。
頭の片隅には、昨日の本で見た図が残っていた。




