第四十五話 道の上
「尻が痛い」
村を出て半日ほど経った頃、エイルはとうとう口にした。
前で手綱を握っていたセドが振り返りもせず答える。
「まだ昼だぞ」
「朝からずっと乗ってる」
「だから何だ」
「これ、いつ慣れるの?」
「そのうち」
「何日?」
「ものによる」
エイルは顔をしかめた。
「それ嫌い」
「何が?」
「ものによる」
昔から、大人はその言葉を使いすぎる。
隣に座るトーマを見ると、聞こえなかったふりをしていた。
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村を出た直後は、何もかもが珍しかった。
知らない道。
見たことのない森。
遠くに見える丘。
すれ違う荷車。
荷物を背負って歩く旅人。
馬に乗った人。
見つけるたびにエイルは振り返り、そのたびにトーマから「落ちるぞ」と服を引かれた。
けれど半日もすると、さすがに慣れてくる。
道。
木。
草。
また道。
「学校まで、ずっとこんな?」
「そんなわけあるか」
セドが答える。
「じゃあ何がある?」
「町」
「他は?」
「村」
「他は?」
「道」
「それは今ある」
「じゃあ聞くな」
エイルは荷物に背を預けた。
そのまま少し身体を横にしようとすると、トーマに止められる。
「寝るなよ」
「なんで?」
「落ちるぞ」
「落ちないって」
その直後、車輪が窪みに入った。
荷車が大きく跳ねる。
「うわっ!」
慌てて荷台の縁を掴んだ。
トーマがこちらを見る。
「ほら」
「今のは道が悪い」
「道に文句言え」
「父さん、それ好きだよね」
「何が?」
「何でも自然とか道のせいにするの」
「俺に言っても直らんからな」
それは確かだった。
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夕方には、最初の宿場へ着いた。
「やっと降りられる……」
エイルは荷台から地面へ足を下ろした。
一歩。
二歩。
そこで止まる。
「……父さん」
「なんだ」
「地面、揺れてる」
「揺れてない」
「いや、揺れてる」
「お前が揺れてるんだ」
少し歩いてみる。
確かに地面は動いていない。
なのに身体だけが、まだ荷車に揺られているような感じがする。
「変なの」
「明日も乗れば慣れる」
セドが言った。
「本当?」
「ものによる」
「もういい」
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宿場は、村よりもずっと小さかった。
数軒の建物。
井戸。
馬を休ませる場所。
旅人が泊まる宿。
それくらいしかない。
それなのに、エイルには村より賑やかに感じられた。
知らない荷車が何台も止まり、馬が繋がれている。
宿の前には見知らぬ人たちが座って話していた。
村なら、知らない顔が一人いるだけでも目立つ。
ここでは、ほとんど全員知らない。
「あの人、どこから来たんだろ」
「知らん」
「あっちは?」
「知らん」
「聞いていい?」
トーマがエイルを見る。
「知らん奴全員に話しかける気か?」
「全員じゃないよ」
「何人?」
「……気になった人」
「何人いる?」
エイルは周囲を見回した。
「結構いる」
「我慢しろ」
「はい」
ドルクに「村とは違う」と言われたことを思い出した。
まだ何がどう違うのか、よく分からない。
ただ、村と同じ調子で動かない方がよさそうなのは分かった。
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宿へ入るところで、エイルは足を止めた。
トーマが振り返る。
「何してる」
「靴」
「脱がんぞ」
「え?」
周囲を見る。
確かに誰も脱いでいない。
「このまま入るの?」
「ああ」
「床汚れるじゃん」
「そういうところなんだろ」
エイルは恐る恐る靴のまま中へ入った。
怒られない。
「変なの」
「家と宿を一緒にするな」
「知ってた?」
「こういう宿はな」
少し悔しかった。
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部屋は狭かった。
寝台が二つと、小さな机。
それだけだ。
エイルは部屋を一周するまでもなく見終わった。
「これでいくら?」
トーマが金額を教える。
エイルはもう一度部屋を見る。
「高くない?」
「宿だからな」
「家なら無料なのに」
「なら帰るか?」
「帰るのに一日かかるじゃん」
「まだ一日目だぞ」
その言葉で、急に先の長さを思い出した。
ここはまだ、旅の最初の宿場だ。
学校のある街までは、馬車を乗り継いでも二週間ほど。
「……遠いな」
「今さらか」
「地図で見るより遠い」
「地図の上じゃ尻は痛くならんからな」
それは本当にそうだった。
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夕食は、パンと豆、それから肉の入った煮込みだった。
見た目は村で食べるものと大きく変わらない。
一口食べる。
「……」
もう一口。
「父さん」
「なんだ」
「味違う」
「そうだな」
「何入ってる?」
「知らん」
「でも美味しい」
「なら食え」
気になったので、近くを通った宿の人に聞いてみた。
煮込みには香草が入っているらしい。
名前も教えてもらったが、聞いたことがない。
「どこで採れるの?」
「南の方だよ」
「南?」
「この辺じゃあまり育てないね」
それだけの話だった。
なのに、エイルには少し面白かった。
自分の村では見たことのないものが、ここでは普通に料理へ入っている。
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食後、宿の前へ出た。
「遠くへ行くなよ」
トーマに言われる。
「ここにいる」
空を見上げる。
星は村で見ていたものと同じだった。
少し安心する。
けれど耳に入る音は違う。
馬の鼻息。
知らない人たちの声。
宿の中から聞こえる笑い声。
荷物を動かす音。
エイルはしばらくそれを聞いていた。
いつものように魔力で何か形を作ろうかとも思ったが、やめた。
今日は見るものが多すぎて、そちらの方が気になった。
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翌朝。
また荷車へ乗る。
「尻痛い」
「昨日も聞いた」
セドが言う。
「今日の方が痛い」
「明日はもっと痛いぞ」
「嫌だな……」
しばらく揺られたあと、エイルは荷車から降りた。
「歩く」
「好きにしろ」
自分の足で進む。
揺れない。
座っていないから尻も痛くない。
「こっちの方がいい」
セドは何も言わなかった。
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しばらくして。
エイルは荷車の横を歩きながら言った。
「セド」
「なんだ」
「乗る」
「早かったな」
「ずっと歩く意味ない」
「気づけて偉いぞ」
「うるさい」
荷台へ戻る。
尻は痛い。
でも歩き続けるよりは楽だった。
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二日目。
三日目。
少しずつ景色が変わっていった。
森ばかりだった場所に畑が増える。
小さな村を通る。
次の村は、エイルの村より大きかった。
道沿いに家が並び、人が行き来している場所もある。
村を通るたびに、エイルは荷台から眺めた。
「父さん」
「なんだ」
「あの村、うちより大きい」
「そうだな」
「何人くらいいる?」
「知らん」
「ベルンみたいな人いる?」
「いるんじゃないか」
「誰?」
「知らん」
「父さん、旅に出てから『知らん』増えたね」
トーマがエイルを見る。
「知らんものは知らん」
村にいたときは、父が大抵のことを知っているように思っていた。
どうやら、そうでもないらしい。
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四日目。
道が明らかに広くなった。
すれ違う荷車も増えている。
「なんで?」
「町が近い」
セドが答えた。
エイルはすぐ身体を起こす。
「今日着く?」
「ああ」
「大きい?」
「お前の村よりはな」
「どれくらい?」
「見れば分かる」
エイルは荷台から身を乗り出した。
すぐに後ろから服を掴まれる。
「落ちるぞ」
「見えない」
「そのうち見える」
「父さんも見たいでしょ?」
「落ちない程度にな」
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昼を過ぎた頃。
道の先に、見慣れないものが見えた。
「……あれ何?」
長い。
高い。
木の柵ではない。
道の先を横切るように、ずっと向こうまで続いている。
エイルは目を細めた。
「町?」
「ああ」
セドが答えた。
近づくほど、それが壁だと分かった。
村の柵とは比べものにならない。
人の背よりずっと高い壁が、町を囲んでいる。
中央には大きな門。
その前には荷車が並んでいた。
「なんで止まってるの?」
「順番待ちだ」
「町に入るだけで?」
「荷物も人も多いからな」
前には荷車。
歩いている人。
馬に乗った人。
大きな荷物を背負った人。
服装も、持っている物もばらばらだ。
エイルはあちこちへ目を向けた。
「人、多いな……」
隣でトーマも町を見ている。
「そうだな」
「父さんもここ初めて?」
「ああ」
その答えを聞くと、少しだけ安心した。
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順番が来ると、門のところでセドが男と話した。
荷台の荷物を確認され、金も払う。
門を抜けてから、エイルはすぐ聞いた。
「今の何のお金?」
「町へ入るための金だ」
「入るだけで?」
「ああ」
「出るときも?」
「ここは取られん」
「じゃあ、入らなかったら無料?」
「当たり前だろ」
エイルは少し考えた。
「町って金かかるな」
セドが振り返った。
「学校へ行く前に気づけてよかったな」
「学校はもっと?」
「知らん」
「またそれ」
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門を抜けたところで、エイルは黙った。
家が多い。
道も広い。
人はもっと多い。
店が並び、看板が下がっている。
荷車が通る。
馬が通る。
知らない匂いがする。
あちこちから声が聞こえる。
右を見る。
左を見る。
また右を見る。
「父さん」
「なんだ」
「あれ何?」
「知らん」
「あっちは?」
「知らん」
「あの人、何売ってる?」
「知らん」
エイルは父を見る。
「本当に何も知らないじゃん」
「俺も初めてだって言っただろ」
前を歩くセドが笑った。
「二人ともついてこい。迷うぞ」
「迷わないよ」
角を一つ曲がる。
人を避ける。
荷車を避ける。
もう一度曲がる。
エイルは後ろを見た。
「……」
さっき通った門が、もう見えない。
「父さん」
「なんだ」
「今、どっちから来た?」
トーマが少し黙った。
「セドについていけ」
「父さんも分かんない?」
「セドについていけ」
「分かんないんだ」
「置いてくぞ」
エイルは笑いながら、慌てて二人を追った。
まだ学校のある街ではない。
旅の途中にある町だ。
それだけなのに、知らないものばかりだった。




