第四十一話 受けるなら
次の日、学校の話は出なかった。
朝は畑へ行き、昼から柵を直し、夕方には家畜の世話をする。
いつも通りだった。
エイルも聞かなかった。
聞きたくはあった。
かなり。
けれど昨日、トーマは「母さんと話してる」と言っていた。
なら、まだ決まっていないのだろう。
そう思って待った。
三日。
何もない。
五日。
まだない。
そして七日目。
エイルはとうとう我慢できなくなった。
「父さん」
「なんだ」
「学校」
トーマが作業の手を止める。
「学校がどうした」
「忘れてない?」
「何を」
「来年、試験を受けるかもしれないって話」
「ああ」
「ああ、じゃないよ」
「覚えてるぞ」
「じゃあ、なんで何も言わないの?」
「話してる途中だからだ」
「一週間も?」
トーマが振り返った。
「大事な話は、一週間で全部決めないと駄目なのか?」
「……別に」
「なら待て」
「どれくらい?」
「決まるまで」
「それが知りたいんだけど」
「俺も知らん」
聞いたのに、結局何も分からなかった。
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その日の夕食後。
いつもなら片づけを始めるミラが、席に座ったままだった。
トーマも動かない。
エイルは二人を見た。
「何?」
トーマが言う。
「エイル、そのまま座ってろ」
「座ってるけど」
「なら動くな」
「なんか嫌な言い方だな」
リナだけは何も気にせず、机に落ちたパンの欠片を指で集めている。
「リナ」
ミラが呼んだ。
「なに?」
「ちょっと向こうに行ってて」
「なんで?」
「話があるから」
「私も聞く」
「あなたの話じゃないよ」
リナがエイルを見る。
「兄ちゃんの?」
「そう」
「じゃあ聞く」
「なんでそうなるの?」
結局、リナはそのまま残った。
トーマも追い出すのを諦めたらしい。
「学校の試験の話だ」
エイルの背筋が少し伸びた。
「うん」
トーマは一度ミラを見てから、エイルへ戻した。
「来年、受けに行くか」
一瞬、意味を理解するのが遅れた。
「……本当に?」
「ああ」
「行っていいの?」
「試験を受けにな」
「分かってる」
「受かるとは限らんぞ」
「それも分かってる」
「ならいい」
エイルはすぐミラを見る。
「母さんも?」
「いいよ」
「本当に?」
「何回聞くの」
ミラが笑った。
ずっと行きたかった。
けれど、いつも話は「まだ先」で終わっていた。
今回は違う。
「いつ?」
「来年の春」
「春のいつ?」
「それはまだ分からん」
「試験の日は?」
「これから調べる」
「どうやって?」
「セドに頼む」
エイルは少し考えた。
「セド、知ってる?」
「知らなくても、街で聞いてもらえるだろ」
「あ、そっか」
行商でいくつもの街へ行くセドなら、村にいる自分たちより調べやすい。
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「それと」
トーマが続けた。
「試験を受けるなら、今までみたいに好きなところだけやるのは駄目だぞ」
「好きなところ?」
ミラが、エイルが何年も使っている本を持ってきた。
角は擦れ、何度も開いたページには癖がついている。
「あなた、興味のあるところは何回も読むでしょう?」
「うん」
「興味のないところは?」
「読むよ」
「飛ばしてるよね?」
「……ちょっとだけ」
「飛ばしてるじゃない」
横でリナが笑った。
「兄ちゃん怒られてる」
「お前は黙ってろ」
ミラが本を開く。
「試験で何が出るかは、まだ分からないの」
「うん」
「だから、分かるまでは一通りやる」
エイルは嫌な予感がした。
「一通り?」
「一通り」
「歴史も?」
「もちろん」
「地名も?」
「もちろん」
「昔の王様の名前も?」
「必要ならね」
「それ覚えて何に使うの?」
「試験に出たら使うでしょう?」
「……」
急に試験が少し嫌になった。
「計算もな」
トーマが言う。
「やってる」
「もっとやる」
「なんで父さん、ちょっと楽しそうなの?」
「気のせいだ」
絶対に違う。
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「魔力は?」
エイルが聞いた。
「試験で何かする?」
トーマとミラが顔を見合わせた。
「それは分からない」
ミラが答える。
「学校でも魔術を習うんでしょ?」
「そう聞いてるけど、入る前に何をするかまでは知らないよ」
「じゃあ何を練習したらいい?」
「分からないものを勝手に練習するより、今できる勉強をやりなさい」
「……はい」
そこだけは、村にいる誰に聞いても答えが出なかった。
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数日後、セドが村へやって来た。
荷物を下ろしているところへ、トーマが声をかける。
「セド、頼みがある」
「嫌な予感がするな」
「まだ何も言ってないだろ」
「お前がそういう顔で来ると、大体面倒なんだ」
「学校の試験について調べてほしい」
セドの手が止まった。
「学校?」
「ああ。来年、こいつに受けさせようと思ってる」
セドがエイルを見る。
「お前、とうとう行くのか」
「受かったら」
「その前に試験だろ」
「分かってるよ」
トーマが続ける。
「試験の日程。受験に必要な金。持っていくもの。分かる範囲でいい」
「今は知らんぞ」
「だから頼んでる」
「次に大きい街へ行ったとき聞いてみる」
「頼む」
セドが少し考える。
「学校の名前は?」
エイルが答えた。
何年も前、本の地図を見ながら初めて覚えた名前だ。
今では迷わず言える。
「ああ、そこか」
セドが頷く。
「遠いぞ」
「知ってる」
「馬車を乗り継いでも二週間くらい」
「それも知ってる」
「尻が痛くなるぞ」
「それは知らなかった」
「覚悟しとけ」
「試験と関係ないじゃん」
「二週間座ったあと試験を受けるんだ。十分関係ある」
エイルは少し嫌になった。
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「父さんも一緒に行く?」
エイルが聞くと、トーマは首を振った。
「ずっとは無理だ」
「なんで?」
言ってから、すぐ分かった。
畑。
家畜。
家。
リナ。
何週間も村を空けられるわけがない。
「じゃあ、誰と行くの?」
「それも考えてる」
「一人じゃ駄目?」
トーマがエイルを見る。
「国を一人で一月歩いたことあるか?」
「馬車で行くんでしょ」
「一人で馬車を乗り継いだことは?」
「ない」
「宿に一人で泊まったことは?」
「ない」
「知らない街を一人で歩いたことは?」
「……ない」
「なら、今は黙ってろ」
何も言い返せなかった。
横で聞いていたセドが笑う。
「俺の行商と時期が合えば、途中までは乗せてやれるぞ」
エイルが顔を上げる。
「本当?」
「途中までな」
「学校まで?」
「俺の商売をお前の試験に合わせるな」
「けち」
「なら歩いて行け」
「ごめんなさい」
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それから、勉強のやり方が少し変わった。
本を最初から読む。
ただ読むだけではない。
「ここ」
ミラが指した。
「知ってる」
「じゃあ説明して」
「……読むだけじゃ駄目?」
「自分で説明できた方が、ちゃんと分かってるか確認できるでしょう?」
仕方なく、エイルは書かれている内容を自分の言葉で話す。
川。
山。
街。
国。
作物。
昔の出来事。
読める。
意味も分かっているつもりだった。
けれど説明しようとすると、途中で詰まる。
「……分かってると思ってた」
「読むのと、自分で説明するのは少し違うからね」
「嫌なことに気づいた」
「今気づいてよかったでしょう?」
それはそうだった。
計算はトーマが見る。
「麦が十八袋ある」
「うん」
「一袋から――」
「待って」
「まだ何も言ってないぞ」
「絶対面倒なやつ」
「試験やめるか?」
「やる」
返事だけは早かった。
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夜になると、頭が疲れた。
それでも余裕のある日は、魔力で形を作った。
これは試験勉強ではない。
誰かにやれと言われたわけでもない。
だから気楽だった。
大きな輪を作る。
内側へ何本もの線を伸ばす。
途中で分け、別の場所へ繋ぐ。
その先に小さな形を置く。
中心にも一つ。
意味はない。
ただ、自分が崩さず作れるぎりぎりまで複雑にする。
一つできた。
隣に、少し小さな別の形を作る。
さらにもう一つ。
三つ。
四つ。
五つ。
全部違う形。
昔は、文字一つを保つだけでも苦労した。
今は多少別のことを考えても、すぐには崩れない。
「……よし」
しばらく保ってから、全部散らした。
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来年。
試験を受ける。
そのために、調べることがある。
勉強することもある。
行き方も決めなければならない。
受かった後のことは、まだ全部決まっていない。
それでも、「いつか」ではなくなった。
エイルは片づけた本の表紙を一度撫で、それから寝床へ向かった。
明日の夜は、飛ばしていた歴史のところを最初から読むことになっている。
少しだけ憂鬱だった。




