第四話 いつものこと
翌朝、エイルが目を覚ましたときには、トーマはもう家にいなかった。
「父さんは?」
パンをちぎりながら聞くと、鍋をかき混ぜていたミラが答えた。
「ベルンさんのところ」
「なんで?」
「柵よ」
「また?」
「また」
最近、柵を直してばかりな気がする。
「昨日直したじゃん」
「あれは南側でしょ。今日は東」
「壊れたの?」
「傾いてるんだって」
エイルはパンを口に入れた。
「俺も行く?」
「畑」
「……はい」
「嫌そうな顔しない」
「してない」
「してるよ」
向かいに座っていたリナが笑った。
「兄ちゃん、畑嫌い」
「じゃあリナも来る?」
笑わなくなった。
「私、母さん手伝う」
「急に偉くなったな」
「偉いもん」
ミラがすぐに言う。
「じゃあ、お皿洗ってくれる?」
「それは嫌」
「偉くないじゃん」
「うるさい」
ミラが二人を見た。
「朝から喧嘩するなら、二人とも畑に行かせるよ」
二人とも黙った。
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畑に着くと、エイルは一人で鍬を持った。
今日は草を取って、固くなったところの土を起こす。
難しい仕事ではない。
ただ、面倒だった。
鍬を振る。
土を起こす。
一歩進んで、また振る。
しばらく続けたところで、昨日の感覚を思い出した。
少しだけ魔力を集める。
散らさないようにして、腕へ流す。
そのまま鍬を振った。
「……あ」
少し楽だ。
もう一度。
今度はうまくいかなかった。
「違うな」
鍬を止める。
昨日もそうだった。
一度できたからといって、毎回同じようにはならない。
エイルはもう一度試した。
少しだけ集めて、腕へ。
振る。
今度はうまくいった。
「よし」
もう一度。
次もできた。
嬉しくなって、そのまま続ける。
十回ほど振ったところで、腕ではないところに妙な重さを感じた。
「……疲れた」
エイルは鍬を置いた。
普通に畑仕事をしているときとは少し違う。
身体の内側が重いような感じがする。
水を飲んで、畑の端に座った。
少し休むと楽になった。
「使いすぎたのかな」
昨日、トーマが言っていた。
倒れるまでやるな。
身体がおかしいのに続けるな。
エイルは水筒を置いた。
「じゃあ、少なくすればいいのか?」
どれくらい使えばいいのかなんて知らない。
だったら自分で試すしかない。
ただ、さっきみたいになるまで続けるのはやめておこう。
エイルは立ち上がり、鍬を持った。
「よし」
今度は、さっきより少しだけ少なく。
そんなつもりで魔力を動かしてみた。
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昼前。
村の方が少し騒がしくなった。
エイルが鍬を担いで戻ると、東側の柵に何人か集まっている。
トーマもいた。
「父さん」
「終わったのか?」
「だいたい」
「だいたい?」
「……終わった」
「ならいい」
エイルは柵を見る。
一本が外され、その横では新しい杭を打ち込んでいるところだった。
「何があったの?」
「杭の下が腐ってた」
「それだけ?」
「それだけってなんだ」
「人が多いから」
柵一本を直すだけにしては、確かに人が多かった。
少し離れたところでは、ベルンとドルクが地面を見ながら話している。
エイルもそちらへ近づいた。
「朝見つけた」
ドルクが地面を指差す。
土の上に跡があった。
犬にも似ている。
けれど、村で飼われている犬より大きい。
エイルはもう少し近くで見ようとした。
「踏むなよ」
ドルクに言われ、出しかけた足を戻した。
「これ何?」
「まだ分からん」
「魔物?」
「その可能性はある」
「昨日の羊を襲ったやつ?」
「それも分からん」
まただ。
「最近、みんな分からないばっかりだね」
「分からんものを適当に決めるよりいいだろ」
「それはそうだけど」
ベルンが柵の外側を見た。
「中へ入った跡は?」
「見当たらん。こいつも柵の外を通っただけかもしれん」
「壊れた杭は?」
トーマが尋ねる。
「腐ってただけだ」
「なら、この跡とは関係ないか」
「たぶんな」
エイルはもう一度、足跡を見る。
「大きいね」
「ああ」
「危ない?」
ドルクが少し考えた。
「近くにいるなら、気をつけた方がいい」
「何か分からないのに?」
「分からないからだ」
その答えは、なんとなく分かった。
ベルンが周囲の大人たちを見る。
「今日は念のため、東側の畑には子供を近づけないようにしよう。家畜も少し内側へ寄せておく」
何人かが頷いた。
トーマがエイルを見る。
「聞いたな」
「俺、もうそんな小さい子供じゃないけど」
「聞いたな?」
「……はい」
「東には行くな」
「分かった」
今回は素直に答えた。
昨日、ドルクにも似たようなことを言われたばかりだ。
足跡を見るくらいなら面白い。
でも、その足跡をつけた何かに会いたいわけではなかった。
「ハインさんに見せたら分かるかな」
エイルが言うと、ドルクが頷いた。
「戻ったらな」
「今日?」
「向こうで何もなければな」
「何かあったら?」
「遅くなる」
「そっか」
それ以上聞いても、今は誰にも分からない。
エイルは諦めて家へ戻った。
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昼食の席でも、その話になった。
「東に何か来たみたいだ」
トーマが言うと、ミラがパンを切る手を止めた。
「畑は?」
「荒らされてない」
「家畜は?」
「そっちも大丈夫だ」
「なら、よかった」
リナが顔を上げた。
「魔物?」
「かもしれん」
「大きい?」
「知らん」
「兄ちゃんより?」
「なんで俺が基準なんだよ」
「兄ちゃん、食べられる?」
「食べられない」
「なんで分かるの?」
「俺だから」
「意味分かんない」
「俺も今言ってて分かんなかった」
トーマが吹き出した。
その横で、ミラがリナの皿に野菜を置く。
「ほら、食べなさい」
リナの顔が曇った。
「これ嫌い」
「残さない」
「父さん食べる?」
「俺に渡すな」
「兄ちゃん」
「俺もいらない」
リナが困った顔で野菜を見る。
トーマが小さな声で言った。
「魔物より怖いな」
「何か言った?」
ミラが聞いた。
「何も」
トーマはすぐにパンを食べ始めた。
エイルも黙って食べた。
リナだけが笑っていた。
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午後、エイルは東には行かなかった。
代わりに家の裏で、手頃な石を一つ拾った。
手のひらより少し大きい。
普通に持てる重さだ。
右手で持ち上げて、重さを覚える。
置く。
今度は魔力を少しだけ集めて、腕へ流してから持つ。
「……うん」
少し楽な気がする。
置く。
もう一度。
今度は、さっきより少ない量を意識した。
持つ。
「ん?」
あまり変わらない。
もう少し減らす。
持つ。
今度は普通に持ったときとほとんど同じだった。
「この辺かな」
どれくらいがちょうどいいのか。
エイルには分からない。
ただ、たくさん使えばいいわけではなさそうだった。
何度か繰り返していると、また声がした。
「何してるの?」
「……また来た」
リナだった。
「何?」
「なんでもない」
リナが隣にしゃがみ、エイルの石を拾った。
「これ?」
「そう」
「軽いよ」
「知ってる」
「もっと大きいのにしたら?」
「父さんに怒られる」
「怖いの?」
「腰痛めるからやらないだけ」
「怖いんじゃん」
「違うって」
リナは石を置いた。
「何の練習してるの?」
「少ない魔力で同じようにできないかなって」
「なんで少なくするの?」
「疲れるから」
「じゃあ使わなかったら?」
エイルは止まった。
リナが続ける。
「使わなかったら疲れないよ」
「……これは使う練習なの」
「でも疲れるんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ使わなかったらいいじゃん」
「そういう話じゃないんだよ」
「なんで?」
「……もういい」
説明できなかった。
リナは気にした様子もなく、近くの小石を拾って積み始めた。
一個。
二個。
三個目で崩れる。
「あ」
「下に大きいの置いたら?」
「嫌」
「なんで?」
「これでやる」
「じゃあ好きにすれば」
エイルも石を持ち直した。
少しだけ魔力を集める。
腕へ流す。
持ち上げる。
置く。
もう一度。
さっきより自然にできた。
「よし」
隣で、また石が崩れた。
「兄ちゃん」
「なに?」
「できない」
「もっと簡単にやればいいじゃん」
「これがいい」
「じゃあ頑張れば」
リナはまた石を積み始めた。
エイルも自分の石を持ち上げる。
村の東に何が来たのかは、まだ分からない。
ハインたちがいつ戻るのかも分からない。
けれど今のエイルにできることは特にない。
だから、いつも通りだった。
畑を手伝って。
母に怒られて。
リナに邪魔されて。
気になったことを、自分なりに試してみる。
「兄ちゃん、できた!」
横を見ると、小石が三つ積み上がっていた。
「おお」
「すごい?」
「すごいすごい」
「ちゃんと見て」
「見てるって」
その瞬間、一番上の石が落ちた。
「あ」
「……もう一回」
「頑張れ」
リナが石を拾う。
エイルも自分の石を拾った。
二人は日が傾くまで、家の裏でそれぞれ同じことを繰り返していた。




