第三十九話 もう一つの冬
収穫が一段落する頃には、朝の空気がずいぶん冷たくなっていた。
エイルは薪を抱えて家へ向かいながら、白くなった息を見る。
「寒い」
隣を歩くトーマが答える。
「まだ冬じゃないぞ」
「じゃあ秋?」
「ああ」
「秋って短くない?」
「毎年こんなもんだ」
「夏はあんなに長かったのに」
「文句言っても変わらん」
エイルは抱えた薪を持ち直した。
「冬、来なくていいのに」
「それは俺も思う」
エイルが横を見る。
「父さんも?」
「ああ」
「珍しく意見合った」
「珍しくは余計だ」
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村では、冬支度が始まっていた。
収穫した麦や豆を分ける。
野菜を保存する。
肉を干す。
薪を集める。
壊れたところがあれば、雪が降る前に直す。
去年も同じことをしていた。
けれど、エイルには見え方が違った。
「母さん、これどこ?」
「そっちの袋」
「こっちは?」
「それは別」
「なんで?」
「種にする分だから」
エイルは袋の中を覗く。
「結構あるよ」
「いるの、それくらいは」
「一袋くらい食べても――」
「駄目」
即答された。
「まだ何も言ってないよ」
「食べてもいいか聞こうとしたでしょう」
「……うん」
ミラが笑う。
「春に蒔く分がなくなったら困るの」
「分かってるけど、いっぱいあるから」
「いっぱいあるように見えるだけ」
その言葉で、エイルの手が止まった。
並んだ袋。
干した野菜。
積まれた薪。
去年なら、これだけあれば十分だと思っただろう。
今は違う。
冬の間、少しずつ減っていくのを知っている。
一日なら多い。
十日でも多い。
けれど、何か月も使えばなくなる。
「……薪、もう少し集めた方がいい?」
「できるならね」
「じゃあ行ってくる」
「森の奥まで行っちゃ駄目よ」
「分かってる」
「一人でも駄目」
「今日は他の人も行くって」
「ならいいけど、勝手に離れないでね」
「うん」
去年より森へ入れる範囲は広がっていた。
それでも、以前のように好きなところまで行っていいわけではなかった。
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森の浅いところで、エイルは乾いた枝を拾った。
太いもの。
長く燃えそうなもの。
湿っていないもの。
少し離れた場所には、村の男が二人いる。
姿が見える範囲から離れない。
それも、もう当たり前になっていた。
枝を一本拾ったところで、
ぱきっ。
奥から音がした。
エイルの手が止まる。
顔を上げる。
木。
茂み。
落ち葉。
何も見えない。
しばらく待つ。
もう一度。
ぱき。
身体が少し固くなる。
その直後、茂みから小さな鳥が飛び出した。
「うわっ」
思わず一歩下がる。
鳥はそのまま木々の向こうへ消えていった。
「……鳥か」
息を吐く。
以前なら、こんな音を気にしただろうか。
たぶん、しなかった。
森の中では枝くらい折れる。
鳥も飛ぶ。
小さな動物もいる。
分かっている。
それでも、あの夜から森の奥で何かが動く音には、身体が先に反応するようになった。
「エイル!」
遠くから声が飛んでくる。
「戻るぞ!」
「今行く!」
エイルは集めた枝を縄でまとめた。
持ち上げる。
「重っ」
脚と腰、腕へ魔力を回す。
必要な分だけ。
「よっ」
今度は上がった。
そのまま二人のところへ向かう。
村の柵を越えてから、エイルは一度だけ振り返った。
森はいつも通りだった。
何も見えない。
それでも柵の中へ戻ると、少しだけ肩の力が抜けた。
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数日後、最初の霜が降りた。
朝からリナが騒いでいる。
「兄ちゃん!」
「寒い」
「白い!」
「見れば分かる」
「畑も!」
「走るなよ。滑るぞ」
「大丈夫!」
リナは畑の端まで行ってしゃがみ込んだ。
エイルも後から追いつく。
土も葉も柵も、薄く白くなっている。
「きれい」
リナが指を伸ばす。
「触っていい?」
「知らない」
「じゃあ触る」
「なんで聞いたの?」
後ろからトーマも来た。
エイルが畑を指す。
「これ大丈夫?」
「ああ。このくらいならな」
「もっと寒くなったら?」
「冬だ」
「そうじゃなくて。作物」
「分かってる」
トーマが笑う。
「寒さに弱いやつは、その前に取る。残せるものは残す」
「じゃあ今日も仕事?」
「当たり前だ」
エイルは白くなった畑を見る。
「霜の日くらい休めばいいのに」
「霜に言え」
「父さん最近、自然に聞けって言いすぎ」
「俺に聞いても変えられんからな」
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そして、本当に冬が来た。
雪が降る。
風が冷たい。
朝、布から出たくない。
水は触るだけで手が痛い。
外仕事へ行くと、帰る頃には指先の感覚がなくなりそうになる。
そこまでは去年と同じだった。
けれど、家の中は少し違う。
「兄ちゃん」
「なに?」
「お腹減った」
「昼食べたばっかりだろ」
「もう減った」
「早すぎる」
「パンある?」
「あるけど勝手に食うなよ」
リナが棚を見る。
「いっぱいあるよ」
エイルも見る。
去年よりある。
麦も豆も、保存した野菜もある。
薪も、前の冬より多く積んである。
「一個だけ」
「母さんに聞け」
「兄ちゃんが聞いて」
「なんで俺が?」
「怒られたくない」
「俺もだよ」
結局、二人とも食べなかった。
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夕食の量も、去年より多かった。
腹いっぱい好きなだけ、というほどではない。
けれど、食べ終わったあとに本気で足りないと思うほどでもない。
エイルはパンを食べながら棚を見る。
「父さん」
「なんだ」
「今年、大丈夫そう?」
トーマも棚を見た。
「今のところはな」
「冬越せる?」
「何もなければ」
エイルは嫌な顔をした。
「その言い方嫌い」
「仕方ないだろ」
「大丈夫って言ってよ」
「言って駄目だったらどうする」
「父さんのせいにする」
「なら絶対言わん」
「けち」
それでも、去年よりずっと安心できた。
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雪が強い日は、外の仕事が減った。
そういう日は本を読む。
一年前なら、一ページ読むだけで何度も止まっていた本だ。
今はかなり違う。
一行。
次の行。
そのまま一ページ。
知らない言葉が出れば少し考え、それでも分からなければミラに聞く。
「母さん、これ」
「どれ?」
指を差す。
ミラが意味を教える。
「なるほど」
また読む。
少しずつではあるけれど、最初の頃より明らかに進めるようになっていた。
計算も続けている。
ある夜、トーマが問題を出した。
「二十七を三つに分ける」
「九」
「四十二を六つ」
「七」
「五十三を四つ」
「十三、余り一」
トーマが少し眉を上げた。
「早くなったな」
「今のは簡単」
「ほう」
嫌な予感がした。
「じゃあ百二十七を――」
「待って」
「簡単なんだろ」
「今のは簡単って言っただけ」
「同じ計算だ」
「数字がでかい」
「数字は数字だ」
「ちょっと待って。考えるから」
トーマが笑う。
「ほら、やれ」
エイルは板を睨んだ。
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冬は、魔力で形を作る時間も増えた。
外仕事が少ない分、夜にまだ元気が残っている。
最近は一つの形を作るだけでは物足りなくなっていた。
まず、小さな輪。
その中に文字。
少し離れたところに、別の形。
線を伸ばし、途中で枝分かれさせる。
先に小さな輪を二つ。
さらにもう一つ。
三つの違う形を同時に保つ。
「……」
右側が歪む。
直す。
すると左側が薄くなる。
「待て」
そちらも戻す。
真ん中を崩さないようにしながら、三つを整える。
しばらくして、全部が安定した。
「よし」
前なら一つ作るだけでも何度も失敗した。
今は三つ。
もちろん、何も起きない。
ただ形があるだけだ。
エイルは一度散らした。
次は、さっきより複雑にする。
「兄ちゃん」
後ろからリナの声がした。
「なに?」
「またやってる」
「うん」
「見えない」
「知ってる」
「楽しい?」
「楽しい」
「何が?」
エイルは少し考えた。
「難しいところ」
「難しいの嫌じゃないの?」
「できないと嫌」
「じゃあ嫌じゃん」
「できると楽しいんだよ」
リナが首を傾げる。
「最初から簡単なのやれば?」
「それじゃ面白くない」
しばらくエイルの顔を見てから、
「変なの」
と言って去っていった。
「うるさい」
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冬が深くなっても、去年ほど村は静かにならなかった。
子供たちは雪の中で遊ぶ。
大人たちは道の雪をどける。
家々から薪を割る音や、料理の匂いがする。
もちろん楽ではない。
食料は毎日減る。
薪も減る。
寒さで寝込む人もいる。
それでも去年とは違った。
何が必要になるのか、村の誰もが知っていた。
秋のうちに集めた。
残した。
足りなくならないように分けた。
その結果が、今の棚や薪の山に残っている。
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ある朝、トーマと並んで薪を運んでいたとき、エイルはふと思った。
「父さん」
「なんだ」
「俺、大きくなった?」
「なったんじゃないか」
「どれくらい?」
トーマがエイルを見る。
それから、自分の胸のあたりに手を置いた。
「これくらい」
「それ今の俺じゃん。前は?」
「知らん」
「覚えてないの?」
「毎日見てるからな」
役に立たない。
エイルはミラにも聞いてみた。
「大きくなったよ」
「どれくらい?」
「去年の服が小さくなったくらい」
「それ、どれくらい?」
「服一枚分」
「分かんないよ」
結局、誰もまともに答えてくれなかった。
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夕方。
エイルはリナを捕まえ、隣に立たせた。
「じっとして」
「なんで?」
「背を比べる」
「兄ちゃんの方が大きいよ」
「それは知ってる」
頭の高さを手で比べる。
自分。
リナ。
「……前より差がある気がする」
「私も大きくなったよ」
「じゃあ分かんないな」
「兄ちゃん馬鹿?」
「なんでそうなるんだよ」
リナは笑いながら逃げていった。
エイルも追いかけた。
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夜。
本を開く。
何度も見た地図のページ。
自分の村がある辺り。
そこから、学校のある街まで指を動かす。
距離は変わらない。
馬車を乗り継いでも、二週間ほど。
遠い。
それは今も同じだ。
エイルは指を止め、本を閉じた。
「兄ちゃん」
布の中からリナが呼ぶ。
「なに?」
「早く寝て」
「なんで?」
「明日、雪で遊ぶ」
「俺も?」
「うん」
「勝手に決めるなよ」
「もう決めた」
エイルは本を片づけた。
「仕事なかったらね」
「ある?」
「知らない」
「じゃあ遊べる」
「なんでそうなるんだよ」
布へ入る。
外では、また雪が降り始めていた。
去年と同じように寒い冬だった。
けれど明日のことを考える余裕があるだけで、ずいぶん違って感じられた。




