第二十六話 減らす
雪は三日続いた。
ずっと降っているわけではない。
止んだと思えば、また降る。昼に少し空が明るくなっても、夜のうちに積もっている。
三日目の朝、エイルが扉を開けると、目の前に雪が盛り上がっていた。
「……閉めよ」
そのまま扉を閉める。
後ろからトーマの声がした。
「開けろ」
「無理」
「何が」
「雪」
「退けろ」
「多いよ」
「見れば分かる」
「じゃあ父さんやって」
「脚が痛い」
エイルが振り返る。
「そういうときだけ怪我人になるよね」
「今日は怪我人だ」
「この前は元怪我人って言ってたじゃん」
「日による」
便利だった。
結局、エイルがやることになった。
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板を雪へ押し込む。
ぐっと力を入れると、重い雪が少しだけ動いた。
もう一度。
少しずつ道を作っていく。
魔力は使わなかった。
昨日から、できるだけ使わないようにしている。
使えば楽になる。
一度にたくさん運べるし、雪を退けるのも速い。
ただ、そのぶん腹が減る。
食べ物が少なくなってからは、楽になることより、そちらの方が気になるようになった。
「兄ちゃん!」
家の中からリナが顔を出す。
「なに!」
「寒い!」
「閉めろ!」
「兄ちゃんも入れば?」
「誰のために雪退けてると思ってんだ!」
リナは少し考えた。
「みんな!」
正解だった。
なんとなく腹が立った。
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村の道へ出る。
いつもなら朝になると何人かが雪を退け始めているが、今日は人が少なかった。
ベルンと、近所の男が二人。
それだけだ。
「おはよう」
「おう」
ベルンの吐いた息が白くなる。
「トーマは?」
「家」
「脚か?」
「多分」
「今日は出すなよ」
「俺が言っても出るよ」
「ミラに言っとけ」
「それなら止まる」
ベルンが笑った。
エイルも板を持ち、道を作る。
家から井戸。
井戸から家畜小屋。
それから村の入口。
全部をきれいにする余裕はない。
人が通るところだけ、雪を退ける。
「東はどうする?」
男の一人が聞いた。
ベルンは首を振った。
「今日はいい」
「柵も見ないのか?」
「この雪じゃ外まで行かんだろ」
「魔物が?」
「人間が」
「ああ、そっちか」
エイルは少し笑った。
そのあと、また板を雪へ押し込んだ。
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昼前、ドルクが戻ってきた。
頭にも肩にも雪が積もっている。
「どこ行ってたの?」
エイルが聞く。
「森」
「一人で?」
「ああ」
「今は危ないって父さん言ってたよ」
「危ないぞ」
「じゃあなんで入ったの?」
ドルクは背負っていた袋を下ろした。
中には細い枝が少し。
それから、小さな兎が一羽。
「薪と飯だ」
エイルは袋と兎を見る。
「……それだけ?」
「ああ」
「朝から?」
「ああ」
ドルクは服についた雪を払った。
「今日はもう入らん」
「危なかった?」
「雪が深い」
「灰牙の跡は?」
「分からん。この雪じゃ古い跡も消える」
エイルは兎を見る。
「少ないね」
言ってから、少し後悔した。
朝から一人で森へ入って、それだけだったのだ。
けれどドルクは気にした様子もなく、
「少ないな」
と答えた。
それだけだった。
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昼食は粥と少しのパンだった。
粥が昨日より薄い気がする。
水が多い。
でも、本当にそうなのかは分からない。
エイルは何も言わなかった。
リナも黙って食べている。
トーマがパンをちぎりながら言った。
「午後、ベルンのところへ行ってくる」
ミラが顔を上げる。
「何しに?」
「食料を見直すんだと」
「歩ける?」
「村長の家までだぞ」
「雪があるでしょ」
「エイルと行く」
エイルの匙が止まった。
「俺?」
「嫌か?」
「嫌じゃないけど」
「じゃあ決まりだな」
「今決まったじゃん」
「人生そんなもんだ」
「大きい話にしないでよ」
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午後、二人でベルンの家へ向かった。
トーマは久しぶりに杖を使っている。
普通の道ならかなり歩けるようになっていたが、雪の上では別らしい。
エイルは少し前を歩き、雪を踏み固めた。
「父さん」
「なんだ」
「脚、大丈夫?」
「痛い」
エイルが振り返る。
「帰る?」
「このくらいなら平気だ」
「母さんに言うよ」
「やめろ」
「じゃあ帰る?」
「お前、最近そればっかりだな」
「効くから」
トーマが嫌そうな顔をした。
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ベルンの家には、すでに何人か集まっていた。
ドルク。
村の男たち。
女も二人いる。
机の上には袋と木札が並べられていた。
冬になる前にも見た光景だった。
そのときも、麦や豆や芋、肉、塩、薪を一つずつ数えた。
エイルは嫌な予感がした。
「来たか」
ベルンが言う。
「座ってくれ」
トーマが腰を下ろし、エイルも隣へ座った。
「何があった?」
トーマが聞く。
ベルンは机の上の木札を見た。
「減りが早い」
部屋が静かになった。
「どれくらいだ」
「このままだと厳しい」
「春までは?」
「持つ」
ベルンはそこで一度言葉を切った。
「予定通りならな」
「予定って?」
エイルが聞いた。
ベルンは指を折るようにして答えた。
「これ以上ひどい雪が続かない。森へ入れる日がある。家畜が病気にならない。大きな怪我人が出ない」
エイルは聞きながら眉を寄せた。
「……多くない?」
「多いな」
「全部大丈夫なら?」
「何とかなる」
別の男が聞く。
「駄目だったら?」
ベルンはすぐには答えなかった。
代わりにドルクが言った。
「減らすしかない」
何を、とは誰も聞かなかった。
食べる量だ。
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「もう減らしてるだろ」
一人が言った。
「ああ」
「まだ減らすのか」
「必要なら」
「子供も?」
その言葉で、少しだけ部屋が静かになった。
ベルンが首を振る。
「子供は最後だ」
エイルは自分の手を見る。
十二歳。
自分もそこに入っているらしい。
「先に大人から減らす」
「でも働く奴が食わないと動けんぞ」
「分かってる」
「じゃあどうする」
「だから今考えてるんだ」
ベルンの声が少し強くなった。
言った男も黙る。
誰かに怒っているわけではないのだと思う。
ただ、誰にも簡単な答えがない。
「家畜は?」
トーマが聞いた。
「もう一頭潰す」
「春は?」
「減る」
「来年がきついぞ」
「今年を越せなきゃ来年もない」
今度は誰も返さなかった。
エイルにも、その意味は分かった。
来年のために残す。
でも、残している間に今の食べ物がなくなれば意味がない。
冬前にも似た話を聞いた。
あのときより、ずっと近い話になっていた。
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帰り道、エイルとトーマはしばらく黙って歩いた。
雪を踏む音だけが続く。
「父さん」
「なんだ」
「うちも減らす?」
「ああ」
「どれくらい?」
「母さんと決める」
「リナは?」
「今まで通りでいい」
「俺は?」
トーマがエイルを見る。
「お前もだ」
「でも俺、働いてるよ」
「ああ」
「子供だから?」
「そうだ」
エイルは納得できなかった。
「父さんと母さんは?」
「少し減らす」
「父さんも働くじゃん」
「俺は大人だからな」
「意味分かんない」
「分からなくていい」
「それずるいよ」
「大人だからな」
いつもなら笑うところだった。
今日は、あまり面白くなかった。
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家に戻ると、ミラとトーマが話し始めた。
エイルとリナは少し離れたところにいたが、狭い家なので聞こうとしなくても聞こえる。
麦。
豆。
芋。
肉。
薪。
何をどれだけ使うか。
いつまで持たせるか。
リナが黙ったままエイルの袖を引いた。
「兄ちゃん」
「なに?」
「ご飯、減るの?」
声が小さい。
エイルは少し迷った。
「俺たちは、そんなに変わらないって」
「父さんと母さんは?」
「……少し減らすって」
「なんで?」
「大人だから」
「大人だとお腹減らない?」
「減るよ」
「じゃあなんで?」
答えられなかった。
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その日の夕食。
エイルの器には、いつもと同じくらい入っていた。
リナも同じだ。
トーマの器を見る。
少ない。
ミラも。
「父さん」
「なんだ」
「少なくない?」
「そうか?」
「少ないよ」
「気のせいだ」
「母さんも」
ミラは笑った。
「冷めるよ。食べなさい」
「でも――」
「エイル」
トーマが言った。
「食え」
エイルは黙った。
自分の器を見る。
それから匙を取った。
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翌朝、雪は止んでいた。
久しぶりに青い空が見える。
村の中央で、男の一人がドルクに聞いた。
「森、行けそうか?」
ドルクは空を見た。
積もった雪を見る。
それから森を見る。
「昼まで待つ」
「晴れてるぞ」
「木から雪が落ちる。枝も折れるかもしれん」
エイルも森を見た。
晴れている。
それだけで安全になるわけではないらしい。
昼になって雪が少し落ち着くと、ドルクたち五人が森へ向かった。
エイルも入口までついていく。
「俺は?」
「留守番」
トーマが答えた。
「何するの?」
「薪割り」
「森行った方が――」
「エイル」
ドルクに呼ばれた。
「今日は来るな」
エイルは一度森を見た。
「……分かった」
理由は聞かなかった。
ドルクがそう言うなら、今日はそういう日なのだろう。
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村へ戻り、薪を割った。
一本。
二本。
三本。
魔力は使わない。
しばらくすると腕が痛くなる。
休む。
また割る。
遅い。
魔力を使っていたときより、ずっと遅い。
それでも続けた。
夕方になって、ドルクたちが戻ってきた。
持って帰ってきた薪は少しだけ。
獲物はなかった。
「駄目だった?」
エイルが聞く。
「ああ」
ドルクが答える。
それだけだった。
誰も責めなかった。
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夜。
食事を終えると、リナがエイルの隣へ座った。
珍しく何も言わない。
二人で小さな火を見る。
「兄ちゃん」
「なに?」
「春来たら」
「うん」
「お腹いっぱい食べられる?」
エイルは口を開きかけて、止まった。
大丈夫。
そう言えば簡単だった。
でも、本当にそうなるかは知らない。
「……多分」
「多分?」
「うん」
リナは少し考えてから、火へ目を戻した。
「そっか」
しばらくして、小さく笑う。
「じゃあ春まで我慢する」
エイルも火を見た。
薪がぱち、と小さく鳴った。
「うん」
春までは、まだ遠かった。




