第二十四話 話
第二十四話 話
初雪から数日。
朝の寒さは、もう珍しくなくなっていた。
「兄ちゃん」
「なに」
「寒い」
「知ってる」
「火」
「母さんに言って」
「兄ちゃんつけて」
「なんで俺」
「近いから」
「母さんの方が火に近いだろ」
リナが振り返る。
竈の前にはミラがいる。
少し考えてから、またエイルを見た。
「兄ちゃんがいい」
「なんでだよ」
「なんとなく」
「一番困る理由だな」
エイルは布から出ようとしなかった。
すると竈の方から声が飛んでくる。
「エイルも起きなさい」
「……はい」
結局、起きることになった。
---
朝食のあと、エイルはトーマと薪を運んだ。
森へ入れる範囲が少しずつ広がり、薪の山も以前よりは大きくなっている。
それでも、冬を越すにはまだ足りないらしい。
「父さん」
「なんだ」
「これ、いつまでやるの?」
「春まで」
「嘘でしょ」
「嘘だ」
「びっくりした」
「でも冬の間も、減ったら足すぞ」
「結局ずっとじゃん」
「冬ってそういうもんだ」
トーマが薪を一本積む。
エイルも大きな束を持ち上げた。
少し前なら、持つ前に魔力を集め、腕や脚へ流すことを意識していた。
今はもう違う。
重いものを持とうとすれば、自然と身体へ魔力が回る。
最初に父へ聞いたときの「普通に」という答えが、少しだけ分かるようになっていた。
---
昼前。
村の中央にはセドの荷車が停まっていた。
冬前だからか、最近は以前より短い間隔で村へ来ている。
エイルが横を通りかかると、セドが手を上げた。
「おい、そこの暇人」
「暇じゃない」
「じゃあ忙しい人」
「なに?」
「これ運べ」
大きな袋を渡される。
「重っ」
「ベルンの家まで」
「自分で持ってよ」
「腰が痛い」
「この前、もっと重いの持ってたじゃん」
「今日は痛い」
「便利だね」
「大人だからな」
エイルは呆れながらも袋を持ち直した。
中身は塩だった。
---
ベルンの家の前では、何人かの大人がセドを待っていた。
エイルが袋を置くと、すぐに話が始まる。
値段。
道の状態。
雪。
次にどれくらい荷物を運べるか。
エイルは帰ろうとして、少しだけ足を止めた。
「北は?」
ドルクが聞いた。
「相変わらずだ」
セドが答える。
「そっちを通る商人は減ってる」
「魔物か?」
「それもあるらしい」
「何が出てる?」
「知らんよ。俺はその道を通ってない」
ドルクはそれ以上聞かなかった。
エイルも聞かなかった。
少し前なら、魔物という言葉だけで近づいていたと思う。
どんな魔物なのか。
何頭いるのか。
誰が倒すのか。
今も気にはなる。
けれど、セド自身が知らないなら、聞いても分からない。
それに今は、別にずっと気になっていることがあった。
---
午後。
仕事が一段落すると、エイルは家の裏へ回った。
手頃な石を持ち上げる。
置く。
今度は少し大きなもの。
それも持ち上がる。
身体へ魔力を回すことは、もう日々の仕事の中で十分やっている。
エイルは石を置いた。
目を閉じる。
思い出すのはサナの魔術だった。
小さな火を灯したとき。
怪我人を診たとき。
そして、襲撃の日。
何度も思い返してきた。
けれど最近は、あまり細かく想像しないようにしている。
考えすぎると、本当に見たものと、自分があとから考えたものが混ざりそうだった。
だから、覚えているところだけ。
サナは魔力を集めた。
そこまでは分かる。
そのあとに何かをしていた。
自分のように、ただ身体へ流したのとは違う。
エイルも少しだけ魔力を集め、その場に留めた。
ここから先は分からない。
しばらくそのままにしてから、散らした。
「……やっぱり分かんないな」
もう一度やろうとしたところで、家の中から声がした。
「エイル」
トーマだ。
「何?」
「ちょっと来い」
「今?」
「今」
エイルは立ち上がった。
---
家に入ると、トーマとミラが待っていた。
リナはいない。
「リナは?」
「隣の家」
ミラが答える。
「なんで?」
「いいから座りなさい」
エイルは二人を見る。
なんとなく、いつもと違う。
今日何かしただろうか。
薪は運んだ。
水も汲んだ。
鶏も見た。
「俺、何かした?」
「してない」
トーマが言う。
「じゃあ何?」
「座れ」
エイルは椅子に座った。
トーマとミラが一度顔を見合わせる。
それからトーマが口を開いた。
「エイル」
「何?」
「お前、魔術に興味あるか?」
エイルは一瞬、父の顔を見た。
「……なんで?」
「あるか?」
「ある」
答えはすぐに出た。
トーマが頷く。
「やっぱりな」
「何が?」
「最近ずっとやってるだろ」
「見てたの?」
「家の裏でやってりゃ見える」
「魔術はやってないよ」
「分かってる」
「できないから。考えてるだけ」
「ああ。それも知ってる」
エイルは今度はミラを見る。
「母さんも?」
「見えてるよ」
「言ってよ」
「何を?」
「見えてるって」
「なんで?」
「……なんか恥ずかしいじゃん」
ミラが笑った。
「今さらでしょ」
それもそうだった。
---
「それでな」
トーマが話を戻した。
「興味があるなら、一応話しておこうと思って」
「何を?」
「学校のことだ」
「学校?」
知らない言葉ではない。
セドから街の話を聞いたときに、そういう場所があることくらいは知っていた。
けれど、自分が行くものだと考えたことはなかった。
「学校で何するの?」
「いろいろだ」
「いろいろって?」
「字や計算も習うし、歴史なんかもやるらしい。魔術も習う」
最後の言葉で、エイルは顔を上げた。
「魔術?」
「ああ」
「教えてくれるの?」
「そう聞いてる」
「どうやって使うかも?」
「たぶんな」
「どこにあるの?」
「遠い」
「街?」
「もっと大きな街だ」
「セドが行くところ?」
「そこよりずっと遠い」
エイルは少し考えた。
「歩いたら?」
「一月以上は見た方がいい」
「……遠っ」
「だから遠いって言っただろ」
「馬車なら?」
「二週間くらいだな」
急に、学校という場所がものすごく遠く感じた。
「近くにはないの?」
「ない」
「なんで?」
「そりゃ俺に聞かれても知らん」
「父さん、何も知らないな」
「学校行ってないからな」
「父さんも?」
「も、ってなんだ」
「母さんは?」
「私も行ってないよ」
ミラが答えた。
「村で行った人いる?」
「昔なら何人かいたらしいけどね」
「へえ……」
エイルにとって、学校は急に出てきた知らない場所だった。
---
「誰でも行けるの?」
「誰でも、とはいかない」
トーマが答える。
「なんで?」
「遠いし、金もかかる」
その言葉で、エイルの勢いが少し止まった。
金。
今の家にも村にも余裕がないことは、もう知っている。
「……高い?」
「安くはない」
「うち、無理?」
トーマはすぐには答えなかった。
ミラも黙っている。
その間で、エイルは何となく答えを察した。
「今すぐどうこうって話じゃない」
トーマが言った。
「じゃあ、なんで教えてくれたの?」
「お前がずっと魔術のこと考えてるからだよ」
「うん」
「俺も母さんも、教えられん」
「うん」
「サナみたいな奴が村にずっといるわけでもない」
エイルは黙って聞く。
「だから、そういうことを学べる場所があるってことくらいは、知っておいた方がいいと思ってな」
「行けってこと?」
「違う」
「行くなってこと?」
「それも違う」
「じゃあ何?」
トーマが頭を掻いた。
「だから、話だよ」
エイルは少し不満そうに父を見る。
「分かりにくい」
「俺もこういう話は苦手なんだ」
「畑の話ならいっぱいするのに」
「畑なら分かるからな」
ミラが小さく笑った。
---
エイルは椅子の上で少し考えた。
「学校に行ったら、サナがやってたことも分かる?」
「それは俺には分からん」
トーマが答える。
「でも魔術は習うんでしょ?」
「そう聞いてる」
「じゃあ、火も?」
「たぶんな」
「治すのも?」
「それは簡単じゃないんじゃない?」
ミラが言った。
「サナはずっとああいう仕事をしてる人なんだから」
「そっか」
学校へ行けば何でもできる。
そういう話ではないらしい。
それでも。
魔術を教えてくれる。
その言葉だけで、エイルには十分だった。
「エイル」
トーマが呼ぶ。
「何?」
「今すぐ決める話じゃないぞ」
「分かってる」
「本当に?」
「うん」
エイルは頷いた。
それから、もう一度聞いた。
「でも、俺くらいから考えていいの?」
「ああ。行くなら準備もいるだろうしな」
「準備?」
「それも今度だ」
「なんで?」
「俺たちも詳しく知らん。まず聞かないと話にならん」
「誰に?」
「知ってそうな奴」
エイルは少し考える。
「セド?」
「まあ、あいつも候補だな」
「じゃあ今聞いてくる」
立ち上がろうとすると、トーマに止められた。
「座れ」
「なんで?」
「今日全部決めるな」
「聞くだけだよ」
「セドも仕事中だ」
「……じゃああとで」
トーマがため息をついた。
---
その日の話は、それで終わった。
学校へ行けるとは言われなかった。
行けないとも言われなかった。
どうすれば入れるのか。
何を準備するのか。
どれくらい金がかかるのか。
何も分からない。
ただ一つ。
遠くの大きな街に、学校がある。
そこで、字や計算や歴史、それから魔術も学べる。
それだけは分かった。
---
夜。
エイルは寝床の中で目を開けていた。
隣ではリナが眠っている。
昼間に聞いた話が、ずっと頭に残っていた。
学校。
馬車でも二週間ほどかかる街。
今まで、自分とは関係ないと思っていた場所。
そこで魔術を習える。
エイルは布の中で右手を開いた。
魔力を集める。
身体へ流す。
これはできる。
でも、その先は分からない。
サナが使っていたものも。
襲撃の日に見たものも。
ずっと考えて、それでも分からなかった。
今までは、いつか自分で分かるかもしれないと思っていた。
今日、初めて知った。
誰かに教わるという方法がある。
エイルは目を閉じた。
行ってみたい。
その言葉が、頭の中に浮かんだ。
まだ父にも母にも言っていない。
自分でも、行けるのかどうか分からない。
それでも、その夜はなかなか眠れなかった。




