第十七話 東の畑
翌朝。
エイルは鍬を担いで家を出た。
「エイル」
後ろからトーマの声がする。
「何?」
「忘れ物」
「何か忘れた?」
トーマが家の前から袋を持ち上げた。
「昼飯」
エイルは足を止めた。
「……忘れてた」
「畑で何食うつもりだった」
「一回帰ってくる」
「東の畑から?」
「それは面倒だな」
「だから持ってけ」
袋を受け取る。
「ありがと」
「あと――」
「まだあるの?」
「森には入るなよ」
「入らないって」
「一人になるな」
「分かってる」
「考え事して畑から――」
「消えない」
先回りすると、トーマが眉を上げた。
「ならいい」
「毎日同じこと言ってない?」
「毎日言わないと忘れるだろ」
「昼飯は忘れたけど、それは忘れないよ」
「信用ならんな」
「行ってきます」
これ以上続けるとまた何か増えそうなので、エイルは手を振って歩き出した。
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東の畑には、すでに十人ほどが集まっていた。
一人で来ている者はいない。
ベルンもいる。ドルクも弓を背負い、畑ではなく森の方を見ていた。
「全員いるか?」
ベルンが尋ねる。
「たぶん」
誰かが答える。
「たぶんじゃ困る」
結局、一人ずつ確認することになった。
その間に、エイルは東の柵を見る。
襲撃のあと、近くまで来るのは初めてだった。
新しい板。
交換された柱。
まだ荒れたままの地面。
直したところだけ木の色が違う。
「エイル」
ドルクに呼ばれた。
「何?」
「そっち行くな」
「行ってないよ」
「行きそうだった」
「見てただけ」
「見るだけなら、そこから見ろ」
エイルは柵から離れた。
「みんな心配しすぎじゃない?」
「お前の父親にも言ってやれ」
「父さんが一番ひどい」
ドルクは少し笑った。
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人数の確認が終わると、仕事が始まった。
土を起こす。
草を抜く。
傷んだ作物を確かめる。
以前と同じ畑仕事のはずだったが、襲撃の跡は畑にも残っていた。
何かが走り抜けた場所では、作物がまとめて倒れている。
エイルは一本を持ち上げた。
茎が折れていた。
「これ、駄目?」
近くで作業していた男が見る。
「駄目だな」
「こっちは?」
「それも」
「結構あるね」
「仕方ねえ」
男が傷んだ株を抜く。
エイルも隣の一本を抜いた。
その次も。
まだ育つ途中だったものを捨てるのは、少しもったいなく感じる。
「灰牙って、これ食べないよね?」
「食わんだろ」
「じゃあ踏んだだけ?」
「そうだな」
「最悪じゃん」
男が笑った。
「食われた方が納得するのか?」
エイルは少し考えた。
「……ちょっと」
「変なところ気にするな」
「だって、食べないのに駄目になったんでしょ」
「魔物が畑の都合なんか考えるか」
「それはそうだけど」
エイルは折れた株を端へ運び、また鍬を持った。
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昼になると、全員が畑の端へ集まった。
以前なら、それぞれ木陰や畑の好きな場所で休んでいた。
今日はまとまって座る。
ドルクだけは少し離れ、森の見える場所にいた。
エイルは朝に忘れかけた昼飯の袋を開ける。
パンを一口食べてから、ドルクを見る。
「ドルクさん」
「なんだ」
「森見てて楽しい?」
「楽しくない」
「ずっと見てるじゃん」
「見張ってるからな」
エイルも森を見る。
風で枝が揺れている。
それ以外は何も見えない。
「何もいないよ」
「そうだな」
「じゃあ見なくてもよくない?」
ドルクがこちらを見る。
「お前、前にトーマと見回りしただろ」
「した」
「そのとき同じこと聞かなかったか?」
エイルは少し考えた。
何もない道を歩いていて、何を見ているのか父に聞いた。
「……聞いた」
「何て言われた」
「何もないのを確かめてるって」
「なら、それだ」
「大人って同じこと言うね」
「だいたい同じこと考えてるからな」
「本当?」
「今のは適当だ」
「なんだよ」
近くで聞いていた男たちが笑った。
ドルクはもう森へ視線を戻していた。
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午後も仕事は続いた。
エイルは鍬を振る。
土へ入れ、起こす。
もう一度。
身体を動かしながら、必要な分だけ魔力を腕へ流す。
以前のように、そのたびに立ち止まることはなくなった。
それでも、ふとした拍子にサナの魔術を思い出す。
自分は魔力を集めて、腕へ流す。
それだけだ。
サナは違った。
火を灯したときも、怪我人を診たときも、集めたあとに何かをしていた。
同じ魔術ではないのだから、やっていたことも違うのかもしれない。
けれど、どちらにも自分には分からない部分があった。
エイルの手が止まる。
あのとき――
「エイル」
「何?」
顔を上げると、ドルクが見ていた。
「休むなら座れ」
「あ」
鍬を持ったまま止まっていた。
「休んでない。考えてた」
「見れば分かる」
「何考えてたかも?」
「それは知らん」
「だよね」
エイルは鍬を握り直した。
今ここで考えても、答えは出ない。
仕事へ戻った。
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日が傾く前に、全員で村へ戻った。
東の柵を通る。
エイルは補修された場所をもう一度見た。
今度は足を止めなかった。
家へ着くと、トーマがいつものように家の前に座っていた。
「ただいま」
「おう。どうだった?」
「疲れた」
「仕事は?」
「ちゃんとやった」
「森は?」
「入ってない」
「一人になったか?」
「なってない」
「昼飯は?」
「食べた」
「よし」
エイルは呆れて父を見る。
「父さん」
「なんだ」
「俺、五歳くらいじゃないよね?」
「十二だな」
「確認多すぎない?」
「お前だからな」
「どういう意味だよ」
トーマは答えずに笑った。
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夕食のあと、ベルンの家の前に何人かが集まった。
エイルも少し離れたところから話を聞く。
ドルクが、その日の見回りについて報告していた。
「新しい跡はなし」
「鳴き声は?」
「聞いてない」
「森の中は?」
「入ってない」
ベルンが頷く。
「なら、明日も同じようにやろう」
話はそれだけだった。
誰も怪我をしていない。
灰牙も出ていない。
新しい跡もない。
何も起きなかった日の話は、すぐに終わった。
人が散り始める。
エイルも帰ろうとすると、ベルンに呼ばれた。
「エイル」
「何?」
「明日も東へ出るのか?」
「たぶん」
「トーマの代わりか」
「うん。早く治ってくれればいいんだけど」
「まだかかるだろうな」
「どれくらい?」
「婆さんは何て言ってる?」
「まだ歩くなって」
「なら、まだだ」
エイルは眉を寄せた。
「大人って、誰も日にち言わないね」
ベルンが笑う。
「分からんからな」
「またそれ」
「分からんものは仕方ない」
それを言われると、もう返す言葉がなかった。
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家へ戻る途中、エイルは村の入口の方を見た。
サナたちが怪我人を乗せて出ていった道。
あれから何日か経っている。
もう街には着いているはずだ。
いつ戻るのかは聞いていない。
そもそも、またこの村へ戻ってくるのかも知らない。
エイルは歩きながら右手を開いた。
ほんの少しだけ魔力を集める。
散らさず、そのまま保つ。
ここまではできる。
その先。
サナがやっていたことは、まだ分からない。
試してみたい気持ちはある。
けれど、何をすればいいのかも分からないのに、適当に動かしても仕方がない。
エイルは魔力を散らした。
見たことだけは覚えている。
それで今は十分だった。
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翌日も灰牙は来なかった。
その次の日も来なかった。
見回りは続き、東の畑にも人が出た。
毎朝集まって人数を確かめ、日が傾く前には一緒に戻る。
そうして何日か経つうちに、補修したばかりだった柵の木にも土がつき始めた。
村は少しずつ、いつもの形へ戻っていった。




