第十六話 いつもの村
襲撃から五日が経った。
東の柵はまだ新しい木の色をしていた。壊されたところだけ板が白く、遠くから見てもどこが壊れたのか分かる。
「エイル」
「分かってる」
「まだ何も言ってないぞ」
振り返ると、トーマが家の前に座っていた。右脚を伸ばし、壁に背を預けている。
「どうせ薪でしょ」
「水だ」
「そっちか」
「薪もだ」
「結局あるじゃん」
エイルは桶を持った。
ここ数日は、毎朝こんな感じだった。
水を汲んで、薪を運んで、鶏の世話をする。それから畑へ行く。
父が動けない分、当然エイルの仕事は増えていた。
「父さん」
「なんだ」
「いつ治るの?」
「知らん」
「早く治してよ。俺の仕事、多いんだけど」
「いい経験だな」
「父さんが楽してるだけじゃん」
「怪我人は休むのが仕事だ」
「それ便利すぎない?」
トーマが笑った。
「ほら、水」
「はいはい」
エイルは桶を持って井戸へ向かった。
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村は少しずつ元に戻っていた。
畑には人がいる。
家の前には洗濯物が干され、子供たちもまた走り回るようになった。
けれど、前と同じではない。
森へ向かう道には縄が張られている。
見回りもまだ続いていた。
日が暮れる前には家畜を戻し、子供だけで村の外へ出るのは禁止されたままだ。
それから。
ガンツの家の前を通るとき、エイルは少しだけ歩くのが速くなった。
怖いわけではない。
ただ、そこをじっと見るのは何か違う気がした。
井戸には何人かが並んでいた。
エイルも最後につく。
「トーマはどうだ?」
後ろから声をかけられて振り向く。
オルバの兄だった。
「まだ歩けない」
「そうか」
「でも、傷は大丈夫だって」
「そうか」
それだけだった。
エイルも、それ以上は何も言わなかった。
やがて順番が来る。
桶を下ろして、水を汲む。
引き上げた桶へ手を伸ばしながら、魔力を腕へ流した。
以前なら、ここで一度止まっていた。
今はほとんど止まらない。
そのまま桶を持ち上げる。
「お」
近くにいた男が声を上げた。
「力ついたな」
「魔力使ってるから」
「そうなのか?」
「うん。腕に集めると、ちょっと楽になる」
「へえ」
男は桶を見てから、エイルの腕を見る。
「便利なもんだな」
「父さんは普通にやってるみたいだけど」
「俺も重いもん持つときは力入れるぞ」
「それと同じなのかな」
「さあな」
男は笑った。
「使えてるならいいんじゃないか?」
またそれだ。
エイルは少し笑って、桶を持ち直した。
「まあ、いいか」
今は水を持って帰れれば、それでいい。
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昼前、エイルは畑へ出た。
今日はドルクはいない。
代わりに近所の男と一緒だった。同じ畑で仕事をするだけだが、一人で村の外へ出ないという決まりがまだ残っている。
エイルは鍬を振った。
土へ入れる。
起こす。
また振る。
魔力を使えば、前よりずっと楽になった。
それでも父ほど速くない。
「父さん、これ毎日やってたのか……」
思わず口にすると、隣から声がした。
「何か言ったか?」
「父さんの方が速かったなって」
「そりゃ何年やってると思ってるんだ」
「魔力の使い方だけじゃない?」
「畑仕事なんて、身体の使い方の方が大事だろ」
男はそう言って、エイルよりずっと少ない力で鍬を土へ入れた。
土がきれいに返る。
エイルも真似してみる。
「……あれ?」
さっきより軽い。
「そこ、力入れすぎだ」
「先に言ってよ」
「聞かれてないからな」
エイルはもう一度やった。
今度は少しましだった。
魔力を使えば何でも楽になるわけではないらしい。
昼まで働き、一度休む。
午後もまた畑へ出る。
ここ数日は、魔術のことをゆっくり考える時間が思っていたより少なかった。
父の仕事が、そのまま消えるわけではないからだ。
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家へ戻ると、トーマが木を削っていた。
「何それ」
「柄」
「何の?」
「鍬」
「動けないのに?」
「治ったら使う」
エイルは自分の鍬を見た。
「俺のも直してよ」
「壊れたのか?」
「ちょっとぐらぐらする」
「持ってこい」
渡すと、トーマは柄を握り、金具の辺りを何度か動かした。
「使い方が雑だな」
「古いんじゃない?」
「お前が雑なんだ」
「証拠は?」
トーマが一か所を指差す。
「ここ」
エイルも覗き込む。
「……分かんない」
「だろうな」
「じゃあ直して」
「最初からそのつもりだ」
トーマが作業を始める。
エイルはその横に座った。
削る。
確かめる。
また少し削る。
いつも畑にいる父が、ここ数日はずっと家にいる。
変な感じだった。
「父さん」
「なんだ」
「ハインたち、いつ戻るかな」
「知らん」
「街に連れていった人、どうなったかな」
「着いてりゃ、今頃は向こうで診てもらってるだろ」
「治るかな」
「それが必要だから連れてったんだろ」
「うん」
エイルは少し考えた。
「サナでも治せない怪我って、結構あるの?」
トーマの手が止まる。
「俺に聞くな」
「父さん怪我してるじゃん」
「怪我したら魔術に詳しくなるのか?」
「……ならないか」
「ならん」
また木を削り始める。
エイルはその手元を見ながら言った。
「サナの魔術、俺がやってるのと全然違った」
「そうか」
「魔力を集めたあとに、何かしてたんだよ」
「ふうん」
「父さん、気にならない?」
「ならん」
「なんで?」
「俺は使えんからな」
「覚えたら使えるかもしれないじゃん」
「じゃあ、お前が覚えろ」
エイルは口を閉じた。
トーマは何気なく言っただけだろう。
けれど、その言葉は少し引っかかった。
「……覚える」
「そうか」
「ちゃんと知りたい」
「そうか」
「父さん絶対聞いてないでしょ」
「聞いてる」
「じゃあ俺、何て言った?」
「ちゃんと知りたい」
エイルは父を見る。
「聞いてるじゃん」
「うるさいな」
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夕方。
仕事が一段落して、エイルは家の裏に座った。
魔力を集める。
保つ。
腕へ流す。
戻す。
脚へ。
また戻す。
ここまではできる。
問題は、その先だった。
サナが小さな火を灯したとき。
魔力が集まったあと、何かが変わった。
エイルは目を閉じて、そのときのことを思い出す。
同じように魔力を集め、そこで止める。
「……」
当然、何も起きない。
サナはここから何かをしていた。
けれど、何をしていたのかが分からない。
適当に動かしてみようとは思わなかった。
何をすればいいのか知らないのだから、真似のしようがない。
エイルは一度魔力を散らした。
もう一度だけ集める。
止める。
あのとき何が違ったのか考えてみる。
それでも答えは出なかった。
「兄ちゃん」
目を開けると、リナが目の前にしゃがんでいた。
「何?」
「何してるの?」
「考えてた」
「何を?」
「魔術」
「できた?」
「できない」
「火出して」
「出せない」
「水は?」
「それも出せない」
リナが首を傾げる。
「じゃあ何できるの?」
エイルは少し考えた。
「重いもの持つのが、ちょっと楽になる」
「私も持てるよ」
「知ってる」
「じゃあ同じだね」
「……今はな」
「いつ違うの?」
「そのうち」
「いつ?」
エイルは少し考えた。
「知らない」
リナがにやっとする。
「父さんみたい」
「何が?」
「知らないって言った」
エイルは黙った。
それから笑う。
「便利だからな」
「兄ちゃん大人?」
「十二」
「子供じゃん」
「うるさい」
リナは笑いながら走っていった。
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翌朝。
ベルンが家へやってきた。
トーマと話があるらしい。
エイルはちょうど水を汲みに出ようとしていたが、ベルンに呼び止められた。
「エイルも聞いとけ」
「俺も?」
「ああ」
桶を置く。
ベルンは椅子に腰を下ろした。
「今日から、見回りを少し減らす」
トーマが聞く。
「灰牙は?」
「この五日、村の近くでは見てない」
「跡は?」
「古いものだけだ。ドルクも、あの群れは散っただろうと言ってる」
トーマが頷いた。
「なら、いつまでも今の人数では回せんしな」
「ああ。ただし森へ入るのはまだ禁止だ」
ベルンがエイルを見る。
「特に子供」
「分かってる」
「お前に言ってるからな」
「なんで俺だけ?」
「入りそうだから」
「入らないよ」
「なら問題ない」
最近、こんなやり取りばかりだ。
ベルンは続けた。
「それと、東の畑は明日から使う」
トーマの顔が少し真面目になる。
「人は?」
「最初は何人かで固まって出る。森際までは行かせない」
「そうか」
「お前はまだ休め」
「分かってる」
ベルンが怪しいものを見るようにトーマを見た。
「本当に?」
「……分かってる」
「ならいい」
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ベルンが帰ると、エイルは桶を持った。
「じゃあ明日、俺も東の畑行くの?」
「そうなるだろうな」
「父さんは?」
「休む」
「便利だな」
「怪我人だからな」
「早く治してよ」
「だから俺に言うな」
いつものやり取りをして、エイルは家を出た。
井戸へ向かう途中、東を見る。
新しく直された柵。
その向こうに畑があり、さらに先に森がある。
五日前。
あそこから灰牙が来た。
二人が死んだ。
父も怪我をした。
けれど今日は、風が吹いているだけだった。
鳥の声が聞こえる。
少し離れた畑では、誰かの笑い声もした。
エイルはほんの少し立ち止まった。
それから、また歩き出す。
水を汲んで、薪を運んで、畑へ行く。
考えたいこともある。
でも、まずは水だった。




