第百六十四話 狼のいる場所
昼を食べたあと、エイルとガレスはニルの家へ向かった。
ニルは畑の端で道具を片づけていた。
二人を見ると、手を止める。
「羊は見つかったのか?」
「全部な」
ガレスが答える。
「一頭は死んでいた。狼に食われた可能性が高い」
ニルの表情が少し変わった。
「狼か」
「この辺りで最近見たか?」
「姿は見てないな」
「鳴き声は?」
ニルは少し考えた。
「夜に聞いたことはある。珍しくはないぞ」
「どの辺りだ」
「東の林の方だな」
エイルとガレスが今朝入った方角だった。
「家畜をやられた話は?」
「俺は聞いてない」
「畑は?」
「狼に畑を荒らされても困るがな」
ニルが笑う。
「鹿や猪ならある。狼はない」
「ほかに聞けそうな奴は?」
「家畜を飼ってる家なら何軒かある。あとは北側の畑にいる連中だな」
ガレスが頷く。
「聞いてくる」
「狩るのか?」
「まだ決めてない」
ニルはそれ以上聞かなかった。
---
次に訪ねたのは、山羊を飼っている家だった。
「狼?」
年配の女が眉を寄せる。
「見るよ。たまにだけどね」
「村まで来ますか?」
エイルが聞いた。
「村の中じゃ見ないね。林の端ならあるよ」
「最近は?」
「春に一度見たかな」
「山羊を襲われたことは?」
「ないよ」
柵を見ると、ロマの牧場より頑丈だった。
夜は小屋へ入れているという。
「狼がいるからですか?」
「狼だけじゃないよ。外に出しておいて、何かあってから困るのはこっちだからね」
エイルは柵を見る。
ロマの牧場では、羊を広い場所へ放していた。
飼い方も違う。
「昔から狼はいるんですか?」
「そりゃいるよ。私が子供の頃からいる」
「じゃあ、最近急に増えたとか?」
「さあねえ。数えたことないから」
「ですよね」
女が笑った。
---
何軒か回った。
答えは似ていた。
狼はいる。
昔からいる。
林や丘で見かけることはある。
鳴き声を聞くこともある。
ただ、最近になって家畜の被害が増えたという話は出てこなかった。
「じゃあ、あの三頭が特別に羊を狙ってるんですか?」
歩きながらエイルが聞いた。
「まだ分からん」
「一頭食べてるのに?」
「羊を見つけた狼が食ったのかもしれん」
「ああ……それはそうか」
エイルは小さく呟いた。
「牧場まで取りに来たのか、逃げた羊を見つけたのか。それでも話が変わる」
「じゃあ、ロマさんの牧場に狼が入った跡があるか見た方がいいですか?」
「ああ」
二人はもう一度、ロマの牧場へ戻った。
---
ロマは羊を戻したあと、壊れた柵を直していた。
「また来たのか」
「柵を見る」
ガレスが言う。
「昨日も見ただろ」
「もう一度な」
三人で牧場の外周を歩く。
羊が消えた場所は、ロマにも分かっていなかった。
柵が倒れていた場所が一か所。
下に隙間ができていた場所が二か所。
枝が折れているところもある。
エイルは地面を見る。
「羊の跡はありますね」
「そりゃ羊の牧場だからな」
ロマが言う。
「狼のは?」
「探してます」
土が固い場所では足跡が残りにくい。
草の上ではさらに分からない。
三人でゆっくり進む。
やがてガレスが止まった。
柵の外側。
泥が少し残った場所に、足跡があった。
エイルもしゃがむ。
「狼ですか?」
「ああ」
一つ。
その少し先にもある。
だが、柵の内側には見つからない。
「ここからは入ってない?」
「ああ」
さらに歩く。
倒れた柵の近くにも足跡はあった。
今度は内側。
「あります」
エイルが言う。
ガレスが確認する。
「一つだけだな」
「じゃあ、ここから入ったんですか?」
「可能性はある」
「一頭ですか?」
「そこまでは分からん」
ロマが腕を組む。
「やっぱり来てるじゃないか」
「来た可能性は高い」
「なら狩ってくれ」
ガレスは立ち上がった。
「いくら出す?」
ロマが黙る。
エイルも黙った。
急に金の話になった。
「……いくらだ?」
「それを決めるのはあんただ」
「相場くらいあるだろ」
「ある。だが、何を頼むかで変わる」
「狼を狩る」
「どの狼を?」
ロマが眉を寄せた。
「羊を食った奴だ」
「見分けられるか?」
「それは……」
「三頭見た。ほかにもいるかもしれん。この辺りには昔から狼がいる」
ロマは黙った。
ガレスが続ける。
「牧場の周りから追い払うだけなら、それで終わるかもしれん。何日か見張るなら、その分かかる。林へ入って群れを探すなら、危険も手間も増える」
エイルは横で聞いていた。
同じ狼への対処でも、何を頼むかで仕事の中身が変わる。
「じゃあ、どうすればいい?」
ロマが聞いた。
ガレスは柵を見る。
「俺なら先に柵を直す」
「それだけ?」
「夜は羊を内側へ寄せる。できるなら人を置く。狼が近づいた痕跡が出たら追い払う」
「また食われたら?」
「そのときは次を考える」
ロマは納得していない顔だった。
「一頭食われてるんだぞ」
「ああ」
「また来るかもしれない」
「ああ」
「だったら先に狩った方が早くないか?」
ガレスは少し間を置いた。
「林にいる狼を何頭狩れば安心する?」
ロマが答えられない。
「三頭?」
「ほかにいたら?」
「……」
「別の群れが来たら?」
ロマは柵を見る。
「だから、まず羊を守れ」
しばらくして、ロマが息を吐いた。
「分かった」
---
結局、その日は狼を狩る仕事にはならなかった。
代わりにロマは、柵を補強し、しばらく夜の見回りを増やすことにした。
ガレスには、調査した分の金が支払われた。
村を離れてから、エイルが聞く。
「狩らなくていいんですか?」
「今のところはな」
「でも、あの狼たちがまた来るかもしれないですよね」
「来るかもしれん」
「じゃあ、まだ危なくないですか?」
「危険がなくなるまで、森の狼を全部狩るのか?」
「……それは無理ですね」
「狼がいることと、被害が続いていることは別だ」
エイルは歩きながら考える。
「魔物でも同じですか?」
「種類と場所による」
「やっぱり、その時によって違うんですね」
「そうだ」
「判断するの、難しいですね」
「まあな。だから先に見る」
エイルは少し考えてから、ガレスを見た。
「ガレスさんも、最初から分かったんですか?」
「分かるわけないだろ」
「じゃあ、やっぱり経験ですか」
「そういうことだ」
「覚えること多いな……」
エイルは小さく呟いた。
---
村の宿へ戻ると、ガレスは受け取った金を机に置いた。
そこから宿代や食事代を差し引く。
さらに、今回使った道具の分も見る。
エイルが横から覗く。
「思ったより残らないですね」
「そうだな」
「二日動いたのに」
「そうだな」
「狼を狩ってたら、もっともらえました?」
「危険も増える」
「……確かに」
エイルは残った金を見る。
ガレスはそれを袋へ戻した。
「それに、仕事は倒した数で金が出るとは限らん」
「今回は調べた分ですか?」
「ああ」
「羊も見つけましたよね」
「それはついでだ」
「二頭も見つけたのに?」
「依頼は三頭の行方を調べることだ。生きて戻せるなら戻す」
「追加でもらえないんですか?」
「欲しいなら最初に決めておけ」
「そういうのも先に決めるんですね」
「金の話を後回しにすると揉める」
エイルは覚えておこうと思った。
少しして、エイルが口を開く。
「ガレスさん」
「なんだ」
「最初に狼の跡を見つけたとき、すぐ追わなかったですよね」
「ああ」
「あの時点じゃ、何頭いるか分からなかったからですか?」
「それもある」
「ほかにも?」
「何のために追うのか決まってなかった」
エイルは首を傾げる。
「何のために?」
「俺たちが受けたのは、いなくなった羊を探す仕事だ」
「ああ」
「狼を見つけることでも、狩ることでもない」
エイルは少し考えた。
「だから、羊を探すのが先だったんですね」
「そうだ」
昨日からのことを思い返す。
狼らしい毛を見つけた。
足跡も見つけた。
実際に三頭の狼も見た。
それでも追わず、最後の羊を探した。
そのあともすぐに狼を狩らず、村の人たちから話を聞いた。
「見つけたものを追えばいいってわけじゃないんですね」
「そういうことだ」
「なるほど……」
エイルは頷いた。
---
ガレスは受け取った金を袋へしまうと、寝台へ腰を下ろした。
「明日、出るぞ」
「ベルノからですか?」
「ああ」
「次はどこに行くんです?」
「街道に戻る」
「仕事は?」
「まだない」
「また探すところからか……」
今度は誰に言うでもなく、エイルは呟いた。
ガレスは何も返さなかった。
---
翌朝。
二人はベルノを出た。
次の仕事がどこにあるのかは、まだ分からなかった。




