第百六十一話 消えた羊
翌朝、エイルとガレスはロマの牧場へ向かった。
空は晴れていた。
昨夜は雨も降っていない。
ロマはすでに羊を柵から出す準備をしていた。
「東側はまだ入れてない」
ガレスが頷く。
「そのままでいい」
昨日ニルから聞いた場所へ向かう。
エイルも後ろを歩いた。
「まず何を見ます?」
「柵」
昨日も見た場所だった。
だがガレスは、今度は入口から順に歩き始めた。
板の隙間。
杭の傾き。
地面。
エイルも反対側を見る。
しばらくして、柵の下に少し広く空いている場所を見つけた。
「ここは?」
ガレスが来る。
しゃがんで見る。
「羊が通れそうか?」
「大人は無理そうです」
「俺もそう思う」
それで終わった。
さらに進む。
今度は門だった。
ガレスが何度か開け閉めする。
「夜はどうしてる」
ロマに聞く。
「閉めて、こいつを掛ける」
木の留め具を示す。
「毎晩?」
「当たり前だ」
「最後に羊を数えるのは?」
「息子か俺だ」
「三頭とも、朝になって気づいた?」
「ああ」
「門は閉まってた?」
「閉まってた」
ガレスは留め具を見る。
壊れた跡はない。
エイルも触ってみた。
外から簡単に外れるようには見えなかった。
---
次に草地へ向かった。
ニルが狼らしい足跡を見つけた場所を通り、そのまま東の丘へ進む。
「昨日より先まで行くんですか?」
「ああ」
「ニルさんは?」
「近くだけ見たと言ってた」
丘を越えると、小さな林が見えた。
その手前に細い道がある。
人が使っているらしく、草が踏まれている。
ガレスが立ち止まる。
「ロマ」
「なんだ」
「この道は?」
「隣の村へ抜ける。あまり使わんけどな」
「羊は?」
「こっちへ来ることもある」
ガレスは道を横切り、林の手前へ向かった。
地面を見ながらゆっくり歩く。
エイルも少し離れてついていく。
羊の跡は多かった。
古いものも新しいものも混ざっている。
どれが消えた三頭のものなのか、エイルにはまったく分からない。
「何か分かります?」
「まだ」
少し進んだところで、ガレスが止まった。
しゃがむ。
エイルも近づいた。
地面に小さなくぼみがある。
「狼?」
「違う」
ガレスが指した。
「靴だ」
よく見ると、踵らしい形が残っている。
ただし一つだけではない。
周囲にもいくつかある。
「この道、人が使うんですよね」
「ああ」
「じゃあ普通じゃないですか?」
「普通だ」
ガレスは立ち上がった。
そのまま先へ進む。
---
林の中には入らず、その周囲を回った。
獣の糞。
古い足跡。
折れた枝。
いくつか見つけたが、ガレスはどれも少し確認するだけだった。
やがてエイルが灰色の毛を見つけた。
低い枝に引っかかっている。
「これ、昨日の毛と似てません?」
ガレスが受け取る。
「似てるな」
「狼?」
「たぶん」
「じゃあ、やっぱり狼が羊を?」
「まだ分からん」
エイルはもう一度毛を見る。
「毛があっても?」
「狼がここにいたことしか分からん」
「ああ」
その通りだった。
羊を食べた証拠ではない。
二人はさらに林の周りを歩いた。
---
林の反対側へ出たところで、エイルが足を止めた。
少し先に何か白いものがある。
「ガレスさん」
ガレスも見る。
二人で近づいた。
羊毛だった。
枝に絡みついている。
今度はかなり多い。
ガレスがしゃがむ。
地面にも毛が落ちていた。
エイルは周囲を見る。
「ここで襲われた?」
「かもしれん」
ガレスは土を探る。
「血がない」
確かに見当たらない。
骨もない。
食べられた跡もない。
少し先にも羊毛が落ちていた。
さらにその先。
点々と続いている。
ガレスが歩き始める。
エイルもついていく。
「追うんですか?」
「毛をな」
「はい」
羊毛は林から離れる方向へ続いていた。
東。
牧場とは反対側だった。
途中で一度見失ったが、ガレスが泥の柔らかい場所に羊の蹄跡を見つけた。
「一頭?」
エイルが聞く。
「ここではな」
足跡は道へ出ている。
そこから先は固い地面で分からなくなった。
ガレスは左右を見る。
「隣の村ってどっちだ」
ロマが言っていた道を思い出す。
エイルが東を指した。
「こっちだと思います」
「ああ」
二人は道を進んだ。
---
しばらく歩くと、前から荷車が来た。
ガレスが手を上げる。
「この先に村があるか」
御者が頷く。
「あるぞ」
「ベルノの羊を見なかったか」
「羊?」
男は少し考えた。
「何頭だ」
「三頭いなくなってる」
「ああ」
男の顔が変わった。
「それなら見たかもしれん」
エイルがガレスを見る。
「どこで?」
「この先だよ。二、三日前だったかな。道の脇に羊が一頭いた」
「一頭だけ?」
「ああ」
「誰か一緒だったか」
「いや」
「捕まえなかったのか」
「俺の羊じゃないからな」
男は苦笑した。
「荷車止めてまで追いかけんよ」
「どっちへ行った」
「東だったと思う」
ガレスが礼を言う。
荷車が通り過ぎる。
エイルはその後ろを見送った。
「生きてた?」
「少なくとも、その時はな」
「狼に持っていかれたわけじゃない?」
「一頭は違うかもしれん」
三頭すべてが同じ理由で消えたとも限らない。
ガレスは東の道を見る。
「行くぞ」
---
隣の村は、ベルノより小さかった。
二人が村へ入ると、家の前で薪を割っていた老人にガレスが声をかけた。
「この辺で、持ち主の分からない羊を見なかったか」
老人は斧を止めた。
「白いやつか?」
エイルが思わず聞く。
「羊ってだいたい白くないですか?」
老人がエイルを見る。
「黒いのもいるぞ」
「そうですね」
ガレスが話を戻した。
「数日前に一頭、この道を来たらしい」
「ああ。それならいるぞ」
「いる?」
老人は村の奥を指した。
「マルクんとこで預かってる」
エイルとガレスは顔を見合わせた。
---
小さな柵の中に、羊が一頭いた。
村の男が水をやっている。
「道にいたんだよ」
マルクという男は言った。
「首に印があったから、どこかの飼い羊だとは思ってた」
ガレスが羊の耳と首元を見る。
「ベルノのロマって男を知ってるか」
「名前は聞いたことあるな」
「羊を三頭なくしてる」
「ああ、じゃあこいつか」
エイルは羊を見る。
怪我はなさそうだった。
「なんでここまで来たんでしょう」
「さあな」
マルクが答える。
「羊に聞いてくれ」
エイルは羊を見る。
羊もエイルを見る。
「聞いても答えませんね」
「だろうな」
ガレスは羊の身体を確認していた。
大きな傷はない。
血もついていない。
「連れて戻る」
「頼むよ。餌代まではいらんから」
マルクが柵を開けた。
---
帰り道。
エイルが縄を持ち、羊を引いていた。
思ったより素直についてくる。
「一頭見つかりましたね」
「ああ」
「普通に逃げただけ?」
「たぶんな」
「じゃあ狼の毛は?」
「狼もいた」
「関係ない?」
「分からん」
「残り二頭は?」
「分からん」
エイルは少し笑った。
「分からないことばっかりですね」
「そういう仕事だ」
羊が道端の草を食べようとして止まった。
エイルも引っ張られて止まる。
「ほら、帰るぞ」
羊は動かない。
ガレスは先を歩いている。
「ガレスさん、ちょっと待ってください」
「あ?」
「こいつ、動きません」
「引っ張るな。少し待て」
エイルは言われた通り待った。
羊は草を何口か食べると、何事もなかったようにまた歩き始めた。
「……自由だな」
「羊だからな」
二人と一頭は、来た道をベルノへ戻っていった。




