第百五十一話 森牙の跡
夜明けを少し過ぎた頃、エイルとガレスは牧場へ向かった。
デリクはすでに来ていた。
弓を背負い、腰には短い刃物。昨日より荷物も多い。
「遅くないな」
デリクが言った。
「そっちも」
ガレスはそれだけ返すと、牧場主のところへ向かった。
牛は今日も森から離れた場所に集められている。
「何かあったか?」
「いや。昨夜は何もない」
「分かった」
ガレスは森を見る。
デリクも同じ方を見た。
「跡はどこだ?」
「案内する」
三人は放牧地を横切った。
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森へ入る前に、ガレスが止まった。
「デリク」
「何だ」
「昨日、沢まで入った。大きい跡と小さい跡がある」
「小さい方はどれくらいだ?」
ガレスが手で大きさを示す。
デリクが眉を寄せた。
「子か」
「そう見える」
「親は一頭?」
「確認できたのは一頭」
デリクは弓の弦を指で軽く確かめた。
「分かった」
次にガレスがエイルを見る。
「昨日と同じだ。後ろ」
「はい」
「今日は俺だけ見て歩くな」
エイルが首を傾げる。
「デリクさんも?」
「ああ。三人になったからな」
デリクが笑う。
「俺の後ろを歩いてても獲物は見つからんぞ」
「そういう意味じゃない」
ガレスが言う。
「互いの位置を見失うなってことだ」
「ああ、はい」
エイルは二人から少し距離を取った。
ガレスが先頭。
エイルがその後ろ。
デリクは少し離れて最後尾を歩いた。
三人で森へ入った。
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昨日と同じ場所を進む。
最初のうちは、ガレスもほとんど止まらなかった。
毛が残っていた枝。
湿った土。
昨日見つけた糞。
一度確認した場所を通り過ぎていく。
途中、エイルが後ろを見る。
デリクはガレスほど地面を見ていなかった。
時々左右の木々を見たり、後ろを振り返ったりしている。
やがて昨日の沢が近づいた。
ガレスが歩調を落とす。
三人とも声を出さなくなった。
沢の手前でガレスがしゃがんだ。
昨日と同じ泥。
大きな足跡。
小さな足跡。
デリクも横から見る。
「森牙でよさそうだな」
「俺もそう見てる」
「小さい方は?」
「こっちだ」
デリクは少し位置を変えて確認した。
「子だな」
「そう思うか」
「ああ」
二人の意見が初めて一致した。
エイルも足跡を見る。
「これで森牙だと決めるんですか?」
ガレスではなく、デリクが答えた。
「俺ならな」
「ガレスさんは?」
「俺もだ」
「じゃあ、やっと決まった」
エイルが言うと、デリクが笑った。
「長かったな」
ガレスは気にせず沢の向こうを見ている。
「ここから先だ」
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沢を渡った。
ガレスが先。
エイル。
最後にデリク。
水は浅かったが、石が滑る。
エイルは足元を確かめながら渡った。
対岸に着くと、ガレスがすぐに止まった。
新しい跡がある。
昨日よりもはっきりしていた。
デリクがしゃがむ。
「朝か?」
「そこまでは分からん」
「新しいのは間違いないだろ」
「ああ」
二人は跡を見る。
エイルは周囲を見る。
「子供の跡は?」
ガレスが少し先を指した。
「ある」
小さな跡も続いている。
二頭は一緒に動いているらしい。
そこから三人の進み方が変わった。
ガレスはさらにゆっくりになった。
デリクは弓を手に持った。
まだ矢はつがえていない。
エイルも剣には触れなかった。
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しばらく進んだところで、デリクが小さく音を出した。
ガレスが振り返る。
デリクが木の幹を指した。
傷がある。
かなり高い位置だ。
ガレスが近づく。
樹皮が削れている。
「爪?」
エイルが小声で聞いた。
「たぶんな」
デリクが傷を見る。
「でかいぞ」
「ああ」
昨日まで足跡でしか分からなかった大きさが、少し具体的になった。
エイルの胸の高さより上まで傷がある。
「森牙って、こんなところまで届くんですね」
「立てばな」
デリクが答えた。
エイルは木の傷と自分の身長を見比べた。
学校で大きさは習った。
絵も見た。
だが、森の中で実際の跡を見ると印象が違った。
ガレスが先へ進む。
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やがて地面に血が見つかった。
古い。
もう黒くなっている。
少し先には白い毛も落ちていた。
山羊のものだった。
「ここまで運んだのか」
デリクが言う。
ガレスは返事をせず、周囲を確認した。
さらに進むと骨があった。
ほとんど肉は残っていない。
エイルは少し離れたところから見る。
「山羊ですか?」
「たぶんな」
ガレスが答える。
デリクは周囲を見回した。
「餌場にしてるな」
「そうだな」
牛一頭だけではなかった。
六日前に消えた山羊も、おそらくここへ運ばれている。
ガレスはしゃがんで地面を確認した。
「戻るぞ」
デリクが顔を上げる。
「ここまで来て?」
「ああ」
「近いぞ」
「だからだ」
デリクは少し考えたあと、弓を下げた。
「分かった」
エイルも何も言わなかった。
三人は来た道を戻った。
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沢を渡り、しばらく歩いたところだった。
先頭のガレスが突然止まった。
エイルも止まる。
後ろのデリクも止まった。
ガレスが左を見る。
エイルもそちらを見る。
何も見えない。
ただ、森の奥から音がした。
低い。
喉を鳴らすような音。
エイルの背中に力が入った。
デリクがゆっくり矢を一本抜いた。
ガレスが手を上げる。
まだ。
三人とも動かない。
また音がした。
今度は少し近い。
茂みの奥で何かが動いた。
葉の間に、茶灰色のものが見えた。
エイルは息を止めた。
大きい。
最初に見えたのは頭だった。
次に肩。
低い姿勢なのに、灰犬とは比べものにならない。
森牙がこちらを見ていた。
エイルも初めて実物を見る。
ガレスは剣を抜かなかった。
デリクも矢をつがえたまま、弓を引かない。
森牙も動かない。
しばらく互いに見ていた。
その後ろで、小さな影が動いた。
エイルにも見えた。
子だ。
ガレスがゆっくり一歩下がった。
エイルも同じように下がる。
デリクも続く。
森牙は追ってこない。
さらに一歩。
もう一歩。
距離が開く。
ガレスが小さな声で言った。
「そのまま」
三人は森牙に背を向けず、少しずつ離れた。
茂みで姿が見えなくなってからも、ガレスは急がなかった。
沢まで戻る。
そこで初めて剣に手を置いたまま、少し歩調を上げた。
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森を出ると、エイルは大きく息を吐いた。
「……でかかった」
デリクが笑う。
「そこかよ」
「いや、本当に」
ガレスは森を見る。
「追ってこなかったな」
「子を守ってるだけか?」
デリクが聞く。
「今のところは」
「どうする?」
ガレスはすぐには答えなかった。
牧場の方を見る。
牛一頭。
山羊一頭。
森の中の餌場。
そして子を連れた森牙。
「牧場主と話す」
デリクが肩をすくめた。
「また話か」
「金を払うのは俺たちじゃない」
「そりゃそうだ」
エイルは二人について牧場へ戻った。
今度はもう、何がいるのかは分かっていた。




