第百四十四話 林の手前
ガレスが林へ入ってから、しばらく経った。
エイルは農場に残り、柵の修理を手伝っていた。
最後の杭を打ち終えたところで、農場の男が腰を伸ばす。
「これで猪くらいなら、少しはましだろ」
「下のところ、もう少し塞ぎます?」
「いや。全部やってたら日が暮れる」
男は道具を片づけ始めた。
エイルも手についた土を払う。
林の方を見る。
まだガレスは戻ってこない。
「気になるか?」
「そりゃ気になります」
「追いかけないんだな」
「行くなって言われましたから」
「真面目だな」
「勝手に入って怪我したら、怒られるだけじゃ済まないですし」
農場の男が笑った。
「そこは分かってるのか」
「それくらいは」
エイルも笑った。
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ガレスが戻ってきたのは、日が高くなってからだった。
服に枝葉がついている。
怪我はない。
「どうでした?」
「跡はあった」
ガレスは水筒を取り出した。
「昨日のと同じ?」
「たぶんな」
「何だったんです?」
「まだ見てない」
エイルは少し肩を落とした。
「また分からないんですね」
「足跡だけで全部分かったら楽なんだがな」
ガレスは水を飲んだ。
農場の男も近づいてくる。
「どこまで行った?」
「林の中に古い獣道がある。そこを使ってる」
「巣は?」
「見つけてない」
「じゃあ、どうする?」
ガレスは少し考えた。
「もう一度入る」
農場の男が林を見る。
「今日中に終わるか?」
「分からん」
「また金がかかるのか?」
「かかる」
男の顔が曇った。
「昨日から結構払ってるぞ」
「だから決めてくれ」
ガレスは淡々としている。
「ここで終わるなら、昨日と今日の調査分まで。続きをやるなら、その分を決める」
「でもまだ何も倒してないだろ」
「そうだな」
「鶏三羽だぞ」
ガレスは答えなかった。
農場の男も黙る。
エイルは二人を見ていた。
やがて男が頭をかいた。
「……もう少し安くならんか」
「どこまでやる?」
「正体を見つけてほしい」
「見つけるだけ?」
「危ない魔物なら倒してほしい」
「それは別にする」
「また別か」
「見つけたものによって変わる。俺一人でやれるとも限らん」
農場の男は大きく息を吐いた。
しばらく話した末、今日もう一度林を調べる分だけ頼むことになった。
何かを見つけたら、その時点で改めて相談する。
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ガレスは荷物を確認した。
水。
短い縄。
布。
小さな袋。
剣。
エイルは少し離れて見ていた。
「ガレスさん」
「なんだ」
「俺はここで待ってればいいですか?」
「ああ」
エイルは頷いた。
それだけ聞いて、農場の方へ戻ろうとする。
「エイル」
呼ばれて振り返った。
ガレスが見ている。
「荷物は?」
「ありますけど」
「水は」
「あります」
「飯」
「あります」
「剣」
エイルは腰を見る。
「あります」
「森を歩いたことは?」
「あります。学校の実習でも、村でも」
「魔物がいる森は?」
エイルは少し考えた。
「いるかもしれない森なら」
「それはどこでも同じだ」
「じゃあ、ちゃんといると分かってる森は……学校の実習くらいです」
ガレスはエイルの靴を見る。
次に背負い袋。
「昨日、俺が止まれと言った時は止まったな」
「はい」
「さっきも勝手に入ってこなかった」
「はい」
「足跡は踏むな」
「はい」
「俺より前に出るな」
エイルは一瞬、返事が遅れた。
「……行っていいんですか?」
「林の入口から少しだけだ」
エイルの顔が明るくなる。
「はい」
「喜ぶな」
「いや、でも」
「遊びじゃない」
「分かってます」
ガレスは農場の男を見る。
「こいつも連れていく。金はいらん」
「好きにしてくれ」
農場の男はもう疲れたような顔をしていた。
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林へ入ると、すぐに歩きにくくなった。
道らしい道はない。
ガレスは枝を避けながら進む。
エイルも同じところを通った。
「そこ」
ガレスが止まる。
エイルも足を止めた。
目の前には、何もないように見える。
「何です?」
「下」
落ち葉の間に薄い窪みがあった。
「足跡?」
「ああ」
エイルは横から見る。
昨日のような柔らかい土ではない。
これを足跡と言われても、自分だけなら気づかなかったと思う。
ガレスが進む。
エイルもついていく。
しばらくすると、また止まった。
今度は低い枝だった。
灰色の毛が一本引っかかっている。
「これ、朝のと同じですか?」
「似てる」
ガレスは周囲を見る。
「ここから先は獣道だ」
エイルにもようやく分かった。
草が少し倒れている。
何かが繰り返し通ったような細い筋が、林の奥へ続いていた。
ガレスはそこへ入る。
エイルも続こうとした。
「待て」
すぐに止まる。
ガレスがしゃがんだ。
しばらく地面を見てから、手招きした。
「ここまで」
エイルが近づく。
ガレスの指した先に、足跡があった。
一つではない。
「二匹?」
エイルが聞く。
「少なくともな」
大きな跡と、それより少し小さな跡。
同じ方向へ続いている。
「昨日、農場に来たのは?」
「どっちかは分からん」
「両方かも?」
「それもある」
ガレスは立ち上がった。
そして、来た道を見る。
「戻るぞ」
エイルは思わず林の奥を見た。
「もう?」
「ああ」
「まだ入ったばかりですよ」
「二匹いることが分かった」
「でも何なのかは――」
「分からん」
ガレスは歩き始めた。
エイルも慌てて追う。
「だから戻る」
「正体を見つけるって仕事ですよね?」
「二匹いると分かる前に決めた仕事だ」
エイルは少し考えた。
「あ」
ガレスが振り返る。
「一匹だと思って進むのと、二匹いると分かって進むのは同じか?」
「違います」
「なら、一回戻る」
それ以上は言わなかった。
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林を出る。
農場の男がすぐに寄ってきた。
「見つけたか?」
「二匹いる」
「二匹?」
男の顔が変わる。
「何が?」
「まだ分からん」
「またそれか」
「だから相談する」
ガレスは農場の男の前に立った。
「ここから先は、さっきの金ではやらん」
「二匹になったから?」
「それもある」
「払えば行くのか?」
ガレスはすぐには答えなかった。
「もう一人欲しい」
「誰か呼ぶのか?」
「ああ」
農場の男が困った顔をする。
「また金が増えるじゃないか」
「増える」
「鶏三羽だぞ」
「知ってる」
「だったら――」
男はそこで止まった。
ガレスも何も言わない。
エイルは二人の間で黙っていた。
しばらくして、農場の男が林を見る。
「……今日は、もういい」
「分かった」
ガレスはあっさり答えた。
「え?」
エイルが思わず声を出した。
ガレスがこちらを見る。
「何だ」
「終わるんですか?」
「依頼主が終わりと言った」
「でも、何かいるんですよね?」
「いるな」
「二匹」
「ああ」
ガレスは荷物を背負い直した。
「それと、俺がただで林に入るかは別の話だ」
農場の男は、修理したばかりの鶏小屋を見ていた。




