第百四十一話 鶏小屋の跡
翌朝、二人は宿で簡単に腹を満たしてから村を出た。
西の農場までは、それほど遠くないらしい。
ガレスは街道を外れ、畑の間を通る細い道へ入った。
「昨日言ったこと、覚えてるか」
「勝手なことをしない。危ないと言われたら離れる」
「ああ」
「今日は話を聞くだけですよね?」
「まずはな」
二人はそのまま農場へ向かった。
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農場には母屋のほかに、納屋と家畜小屋がいくつかあった。
牛。
羊。
少し離れたところに鶏小屋。
近づくと、五十ほどの男が待っていた。
「ガレスか?」
「ああ」
「そっちは?」
男がエイルを見る。
「ついてきただけだ」
ガレスが答える。
エイルも頭を下げた。
「エイルです」
「手伝いか?」
「まだ違います」
農場の男は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
ガレスはすぐに仕事の話へ移った。
「被害は鶏が三羽?」
「ああ」
「一度に?」
「最初に一羽。その次の日に二羽だ」
「昨夜は?」
「何もなかった」
「見たのは?」
「二度目の夜だ。音がして外に出たら、向こうを何かが走っていった」
男が畑の端を指す。
「大きさは?」
「犬より大きかったと思う」
「色は?」
「暗くて分からん」
「鳴き声は?」
「聞いてない」
ガレスは一つずつ聞いていく。
エイルは横で黙って聞いていた。
学校の実習でも、現場へ着いてすぐ動くなとは教わった。
ただ、ガレスが聞いているのは魔物の特徴だけではなかった。
「鶏は普段どこにいる?」
「夜は小屋だ」
「戸は閉めてたか?」
「閉めてた」
「壊された?」
「いや」
そこでガレスが鶏小屋を見る。
「見せてくれ」
⸻
戸は壊れていなかった。
ガレスはしゃがみ込み、留め具を見る。
そのあと、小屋の横へ回った。
エイルも少し離れてついていく。
板の一枚が浮いていた。
「これ、前からか?」
「いや……どうだったかな」
農場の男もしゃがむ。
ガレスは板に触れず、その下を見る。
土が少し掘れている。
羽も落ちていた。
「ここから入った?」
エイルが聞く。
「たぶんな」
ガレスは周囲を見る。
「足跡は?」
農場の男が小屋の裏へ案内した。
「昨日まではもっと残ってたんだが」
地面にはいくつか跡がある。
人。
鶏。
犬らしいもの。
他にも形の崩れた跡が混じっていた。
ガレスはしばらく見ていた。
エイルも横から見る。
学校で動物の足跡をいくつか習ったことはある。
ただ、泥が崩れた跡から種類を判断できるほどではない。
「分かります?」
「まだ」
ガレスは場所を変えた。
小屋の裏から畑の端まで歩く。
何度かしゃがみ、また歩く。
エイルは後ろからついていった。
やがてガレスが止まった。
「これ」
エイルも見る。
柔らかい土に、一つだけ比較的きれいな跡が残っていた。
「犬……ですか?」
「似てる」
「違う?」
「少し大きい」
ガレスは自分の指を横に置いて幅を見た。
「爪も長い」
農場の男が聞く。
「魔物か?」
「まだ分からん」
昨日と同じ答えだった。
⸻
次にガレスは柵を見た。
畑の外側を囲う簡単な木柵だ。
一か所、下に毛が引っかかっている。
ガレスが摘まむ。
茶色がかった硬い毛だった。
「猪?」
エイルが聞く。
「かもしれん」
「でも鶏を?」
「食うことはある」
「じゃあ足跡は?」
「別かもしれん」
エイルは黙った。
また二種類。
炭焼き小屋と似ている。
一つの被害に、一つの原因があるとは限らない。
ガレスは農場の男へ向き直った。
「犬は飼ってるか?」
「ああ」
「どこだ」
母屋の裏から、一匹の大きな犬が出てきた。
繋がれている。
エイルは足を見る。
さっきの跡より小さい。
「夜も繋いでる?」
「ああ」
ガレスは犬の足も確認した。
「こいつじゃない」
農場の男が少し安心した顔をする。
「じゃあ、やっぱり魔物か?」
「だからまだ分からん」
「いつ分かる?」
「跡が残れば」
ガレスは鶏小屋へ戻った。
「今夜、鶏はここへ入れるのか?」
「ああ」
「板は直すな」
「え?」
「今夜だけだ」
男の顔が曇る。
「また取られたらどうする」
「それも含めて話をする」
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三人は母屋の前へ戻った。
そこで初めて、ガレスは金の話をした。
今日の調査分。
夜まで残って確認する場合の分。
何かが現れ、それを狩る必要が出た場合は別。
農場の男は金額を聞いて腕を組んだ。
「高いな」
「なら今日はここまででもいい」
「ここまで?」
「跡を見た分だけもらって帰る」
「それじゃ何も解決してないだろ」
「だから続きを頼むなら、その分が要る」
農場の男はしばらく黙った。
「魔物じゃなかったら?」
「夜まで見る分は同じだ」
「何も来なかったら?」
「同じだ」
「何もしてないじゃないか」
ガレスは農場を見回した。
「ここで待ってる」
「待つだけだろ?」
「ああ」
農場の男は納得していない顔だった。
エイルも少し分かる気がした。
何かを倒せば、金を払う理由は見える。
だが、一晩待って何も出なかったら、払う側には何も残らない。
「少しまけられないか?」
農場の男が聞く。
ガレスは少し考えた。
「飯を出すなら、その分は下げる」
「二人分か?」
「一人分だ」
ガレスがエイルを見る。
「こいつは仕事じゃない」
エイルも頷いた。
「俺の分は自分で払います」
農場の男がエイルを見る。
「じゃあ、お前は何しに来たんだ?」
「見に来ました」
「金にもならんのに?」
「はい」
男はますます不思議そうな顔をした。
⸻
結局、ガレスは夜まで残ることになった。
農場の男が母屋へ戻ってから、エイルが聞く。
「何も来なかったら、本当に待つだけですか?」
「ああ」
「それでも同じ金?」
「俺の一日がなくなる」
エイルは少し考える。
「でも、頼む側からしたら払いたくないですよね」
「だから最初に決める」
ガレスは鶏小屋の方を見た。
「嫌なら頼まなければいい」
「それで仕事なくなったりしません?」
「する」
「じゃあ安くした方が――」
「安くすれば仕事は取れる」
「ですよね」
「その金で宿と飯と薬と道具が払えるならな」
エイルは口を閉じた。
ガレスは腰の袋から小さな布を出し、さっき拾った毛を包んだ。
「今日は俺が払うものは少ない。ここまで近かったし、飯も出る」
「遠かったら?」
「もっと欲しい」
「依頼する人が払えなかったら?」
「受けられんこともある」
「危なくても?」
ガレスはエイルを見る。
「俺がただで全部片づけてたら、俺が先に食えなくなる」
エイルは何も言わなかった。
ガレスは立ち上がった。
「日が落ちる前に、もう一回周りを見るぞ」
「俺も?」
「見るだけなら来い」
エイルも立ち上がった。
今夜、何かが来るかはまだ分からない。
それでもガレスの仕事は、もう始まっていた。




