第百十一話 卒業
最後の試験が終わった。
エイルは答案を机の上に置き、教室を出た。
廊下には、同じように試験を終えた生徒たちが集まっている。
「どうだった?」
壁にもたれていたカイが聞いた。
「基礎魔力学は大丈夫だと思う」
「計算は?」
「たぶん」
「その『たぶん』怖いな」
「ちゃんと見直したよ」
「何回?」
「二回」
カイが少し驚いた顔をした。
「成長したな」
「三年生だからね」
「そこだけ?」
「字も前より綺麗になった」
「自分で言うなよ」
二人で笑いながら食堂へ向かった。
新しい授業は、もうほとんど残っていない。
三年間続いた学校生活も、あと数日だった。
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卒業前の教室では、片づけをする時間が増えた。
三年間使った教材を返し、机や棚の中を整理する。
エイルが自分の机から紙を次々と取り出していると、カイが覗き込んだ。
「多くない?」
「何が?」
「紙」
机の上には、いつ書いたのかも忘れた紙が積み上がっていた。
術式を書き写したもの。
魔物の特徴をまとめたもの。
実習の記録。
街道の地図。
商業の計算。
選択授業でもらった資料。
カイが一枚拾う。
「これ何?」
「……なんだろ」
「お前の紙だろ」
「俺の字ではある」
「読める?」
エイルが受け取って眺める。
「ここの三文字は読める」
「残りは?」
「分からない」
「捨てろよ」
「待って。何か大事なことかもしれない」
「大事なら読めるように書け」
「三年前の俺に言って」
結局、かなりの量を捨てた。
それでも残したものはある。
一年目に使った魔術の教材。
魔物についてまとめた冊子。
野外活動で使った地図。
それから、卒業後に仕事を探すとき、聞いておいた方がいいことを書いた紙。
「それ、まだ持ってたの?」
「使うから」
「なくすなよ」
「大丈夫」
エイルは鞄の奥へ入れた。
カイがその様子を見ている。
「そこ、なくす人の入れ方だぞ」
「じゃあどこ?」
「もっと取り出しやすいところ」
エイルは考え、鞄の横の袋へ移した。
「これで?」
「さっきよりは」
「カイ、母さんみたいだな」
「やめろ」
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最後の戦闘基礎の授業も、特別なことはしなかった。
いつものように身体を動かし、二人一組で基本動作を確認する。
エイルの相手はレオンだった。
「最後だし、今日は勝つ」
木剣を持ちながらエイルが言う。
「何が最後なんだ」
「学校でレオンとやるの」
「卒業したら二度と会わないみたいに言うな」
「そういう意味じゃないよ」
二人が構える。
合図。
エイルが踏み込んだ。
レオンが盾で受ける。
一度離れる。
今度は少し角度を変えて入る。
レオンも動く。
木剣がぶつかった。
エイルはそのまま押さず、一歩引いて構え直す。
三年前なら、ここで無理に前へ出ていた。
もう一度。
レオンの肩が動く。
エイルも盾を上げる。
――違う。
下だ。
気づいたときには、レオンの木剣が胴へ触れていた。
「そこまで」
バルガの声が飛ぶ。
エイルは息を吐いた。
「負けた」
「負けたな」
「最後なのに」
「最後だからって俺が弱くなるわけじゃない」
「それはそうだけど」
エイルは木剣を拾った。
「もう一回」
「授業終わるぞ」
「じゃあ卒業してから」
レオンは少し笑った。
「いいぞ」
「本当に?」
「ああ」
「忘れないでよ」
「お前こそ」
少し離れたところからバルガが言った。
「話してないで片づけろ」
「はい」
二人で木剣を戻しに行った。
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卒業後の行き先も、それぞれ決まってきた。
ノアは魔道具を扱う工房へ見習いとして入る。
「最初から魔道具作れる?」
エイルが聞く。
「無理だと思う」
「何するの?」
「掃除とか、材料の整理とか。簡単な作業からじゃないかな」
「魔道具の勉強したのに?」
「だからって、いきなり売り物を触らせてもらえるわけないだろ」
ノアはそう言ったが、嬉しそうだった。
「でも、毎日近くで見られるから」
どうやら、それだけでも十分らしい。
ミナは町の教育施設で、教師の補助をしながら経験を積むことになった。
「先生になったら会いに行く」
エイルが言う。
「授業中には来ないでね」
「なんで?」
「絶対、子供より質問するから」
「質問したら駄目なの?」
「私にして。授業中じゃなくて」
「じゃあ終わってから行く」
「それならいいよ」
セレナは領地へ戻る。
学校で学んだことを使いながら、まずは家の仕事を手伝うという。
レオンは騎士団の試験を受ける。
カイは一度家へ戻ったあと、父親の紹介でいくつかの商会を訪ねる予定だった。
「決まったら手紙書いて」
エイルが言う。
「お前もな」
「俺、どこにいるかまだ分からない」
「泊まってる宿から出せばいいだろ」
「宿変えたら?」
「次の手紙に新しい場所を書け」
「ああ、なるほど」
カイが少し不安そうに見る。
「本当に大丈夫か?」
「何が?」
「お前が一人で生活できるか」
「三年間できたよ」
「寮だっただろ」
「……できるよ」
「その間は何だよ」
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卒業式の日。
三年前に入学式を行った大講堂へ、卒業する生徒たちが集まった。
あのときは、知らない顔ばかりだった。
今は違う。
同じ教室だった者。
選択授業で一緒になった者。
食堂で何度も見た者。
訓練場で顔を合わせた者。
話したことのない相手でさえ、見覚えがある。
エイルは七組の列に座った。
少し前にセレナ。
隣の列にレオン。
後ろからカイが椅子を動かす音がする。
壇上に校長が立った。
「三年前の入学式で、皆さんには、まず多くのものを知ってほしいと話しました」
エイルは入学した日のことを思い出す。
三百人を超える生徒。
知らない教室。
知らない先生。
初めて聞いた授業の名前。
あの頃は、学校で何を学べるのかさえ、よく分かっていなかった。
「この学校で学んだことのすべてを、これから使う人はいないでしょう」
校長は続ける。
「使わないものもあります。忘れるものもあるでしょう。そして、学校を出れば、ここでは教わらなかったことにも数多く出会います」
講堂は静かだった。
「そのときは、自分で調べてください。知っている人に聞いてください。必要なら確かめ直してください。そのうえで、自分で考え、選んでください」
エイルは壇上を見ていた。
「皆さんの行き先は、それぞれ違います。卒業、おめでとうございます」
拍手が起こった。
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式が終わると、七組は最後に教室へ戻った。
ヴァレンが、三年間と同じ場所に立っている。
「三年間、お疲れさまでした」
一人ずつ名前が呼ばれ、卒業証を受け取る。
「エイル」
「はい」
前へ出る。
卒業証を受け取ると、ヴァレンが聞いた。
「卒業後は、決まりましたか?」
「一回村に帰ります」
「その後は?」
「外で仕事を探します。できれば、いろんな場所へ行ける仕事」
「職業は?」
「まだ決まってません」
ヴァレンが笑う。
「そこは最後まで決まりませんでしたね」
「でも、前よりは決まってます」
入学した頃は、何を知りたいのかさえ全部は分かっていなかった。
今は少なくとも、外へ出て働いてみたいと思っている。
「そうですね」
ヴァレンが頷いた。
「気をつけて行ってきてください」
「はい」
エイルは卒業証を持って席へ戻った。
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最後に六人で食堂へ行った。
三年間、何度も使った席に座る。
「卒業の日まで食堂なんだ」
セレナが言う。
「最後だから来たかった」
エイルが答えた。
カイが皿を見ながら付け加える。
「肉あるし」
「そっちが本当の理由じゃない?」
ミナが笑った。
「両方だよ」
食べながら、卒業後の話をした。
レオンは騎士団に入れるのか。
ノアはいつ自分で魔道具を作らせてもらえるのか。
ミナは子供をちゃんと叱れるのか。
セレナは領地へ戻ったら、まず何をするのか。
カイは結局どの商会を選ぶのか。
「エイルは?」
ノアが聞いた。
「何が?」
「どこまで行くの?」
「分からない」
五人が笑った。
「またそれ」
ミナが言う。
「まだ行ってないんだから分からないよ」
「それはそうだけど」
「面白い場所があったら手紙書く」
「ちゃんと届くように書いてね」
「それ、カイにも言われた」
「じゃあ二人分ちゃんと聞いて」
「分かったよ」
エイルも笑った。
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翌朝。
寮の部屋は、入学した日と同じくらい何もなくなっていた。
エイルは最後に机の中を見る。
空。
棚も空。
ベッドの下も見る。
「何してるの?」
カイが聞く。
「忘れ物確認」
「成長したな」
「三年生だからね」
「もう卒業したけど」
「あ、そうか」
鞄を背負う。
カイも荷物を持った。
二人で部屋を出た。
廊下を歩き、階段を下りる。
三年前は部屋番号を探しながら歩いた場所だ。
今では考えなくても足が動く。
寮を出て、校門へ向かった。
そこで二人の進む方向が分かれる。
カイは家へ。
エイルもまず村へ戻る。
「じゃあな」
カイが手を上げた。
「うん。またね」
「手紙」
「書く」
「宿変わったら?」
「新しい場所を書く」
「よし」
「カイもね」
「ああ」
二人は別々の馬車へ向かった。
エイルは途中で一度、学校を振り返った。
大きな校舎。
寮。
その向こうには、図書館や訓練場もある。
三年前、十二歳でこの門をくぐった。
今は十五歳になっている。
三年間で、できるようになったことは増えた。
それでも、仕事の探し方を聞きに街を回れば、知らないことはいくらでも出てきた。
最後の実習でも、バルガに聞かなければ分からないことばかりだった。
エイルは前へ向き直る。
まずは村へ帰る。
父と母とリナに、卒業したことを話す。
そのあと、仕事を探す。
何をすることになるのかは、まだ分からない。
馬車に荷物を載せ、エイルも乗り込んだ。
御者の声がして、馬車がゆっくり動き始めた。
学校が少しずつ遠くなっていった。




