第百十話 最後の実習
三年目の終わりが近づくにつれて、通常の授業は少しずつ減っていった。
代わりに増えたのは、それぞれが卒業後を考えるための実習だった。
ノアは魔道具を扱う工房へ。
セレナは領地の仕事に近い行政の実習へ。
ミナは年下の生徒を相手にする授業の補助へ。
カイは商会へ行く日が増えた。
レオンは騎士団の訓練を見学し、一部の基礎訓練にも参加している。
エイルが選んだのは、街の外で行われる仕事だった。
何か一つに決めたわけではない。
護衛も見たい。
採取も見たい。
魔物が原因で困っている場所へ行く仕事も気になる。
ヴァレンとの進路相談で話した通り、まずは外でどんな仕事があるのか、もう少し見てみたかった。
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今回向かうのは、街から半日ほどの農場だった。
同行するのはバルガと、生徒四人。
出発前、バルガが依頼の内容を説明する。
「数日前から、農場の周辺で見慣れない獣が目撃されている。家畜が一頭傷つけられた」
「魔物ですか?」
一人が聞いた。
「まだ分からん」
「倒しに行くんじゃないんですか?」
「何を倒す」
「……分からないです」
「なら、まずそれを調べる」
エイルは配られた紙を見る。
確認することがいくつか書かれていた。
被害の状態。
目撃した場所。
時期。
数。
痕跡。
周囲の地形。
「見つけたら?」
エイルが聞く。
「その時考える」
「逃げたら追う?」
「必要ならな」
「必要じゃなかったら?」
「追わない」
それで説明は終わった。
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農場に着くと、まず農場主から話を聞いた。
傷ついた家畜も見せてもらう。
脚に布が巻かれている。
「夜中に騒いでな。朝になって見たらこうなってた」
「姿は見ました?」
エイルが聞く。
「俺は一度だけ。暗かったから、はっきりとはな」
「大きさは?」
「犬くらいだったと思う」
「何匹?」
「見たのは一匹だ」
別の働き手は二匹見たという。
もう一人は姿を見ていないが、鳴き声を聞いたらしい。
エイルは紙へ書き込んでいく。
一匹。
二匹。
鳴き声だけ。
「数、分からないな」
「そうだな」
バルガが答えた。
「どれを書けばいい?」
「全部だ」
「でも違ってるかもしれない」
「だから、誰が何を見たと言ったのかを書け」
エイルは少し考えてから、書き直した。
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次に農場の周囲を歩いた。
柵の一部に泥がついている。
近くの地面には足跡らしきものも残っていた。
エイルたちは触らずに観察する。
「牙ネズミじゃない」
一人が言った。
「角兎でもないと思う」
エイルも知っている足跡を思い出す。
大きさが違う。
指の形も違う。
「先生、何ですか?」
「他を見ろ」
「知ってるんですよね?」
「お前たちの実習だ」
「ですよね」
少し離れた場所で、低い枝に毛が引っかかっていた。
灰色がかった短い毛だ。
エイルが手を伸ばしかける。
「待て」
バルガに止められた。
「あ」
「先に何をする」
「場所を記録する」
簡単な図を描き、柵との位置関係を書く。
それから道具を使って毛を採った。
「これで分かる?」
「これだけでは決めない」
「足跡と合わせたら?」
「まだだ」
「厳しいな」
「間違った相手だと思い込むよりましだ」
エイルは採った毛を袋へ入れた。
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農場の外側をさらに確認していると、林へ向かう足跡が見つかった。
こちらは地面が柔らかく、形がはっきり残っている。
バルガがしゃがむ。
「これは灰犬だ」
エイルも横から見る。
授業で習ったことがある。
狼より小柄で、何匹かで動くことがある。
人を積極的に狙うことは多くないが、家畜を襲うことはある。
「じゃあ、さっきのも灰犬?」
「可能性は高くなった」
「まだ決まりじゃない?」
「家畜を襲った個体を見たわけじゃない」
「なるほど」
足跡は林の中へ続いている。
しかも一つではない。
エイルは数えようとしたが、途中で重なって分からなくなった。
「何匹だろ」
「分からんな」
「追えば分かる?」
「かもしれん」
バルガが四人を見る。
「どうする」
エイルたちは顔を見合わせた。
一人が言う。
「追わない方がいいと思います」
「理由は?」
「何匹いるか分からないから」
別の生徒が続ける。
「林の中に入ると、こっちが見つけにくくなります」
エイルも足跡を見る。
「農場から離れていってるなら、今すぐ追わなくてもいいと思う」
「なぜ?」
「依頼は、何が家畜を襲ったのか調べることだから」
言ってから、少し考える。
「……それと、また来ないようにすること?」
バルガは農場の方を見る。
「農場主に確認するぞ」
「それも聞くんだ」
「誰の困り事だと思ってる」
「ああ」
エイルたちは農場へ戻った。
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話を聞き直すと、農場主が一番望んでいたのは、まず家畜への被害を止めることだった。
灰犬らしきものを森の奥まで追って倒してほしい、とまでは言わなかった。
「近づかなくなるなら、それが一番いい」
農場主はそう言った。
そこで今度は、侵入したと思われる場所を詳しく確認した。
柵の下に隙間ができている。
雨で土が流れ、以前より広がっていた。
「ここから入った?」
エイルが聞く。
「断定はできん」
バルガが答える。
「でも可能性はある?」
「ある」
農場主もその場所を見て、すぐに補強すると決めた。
家畜を夜に置く場所も、しばらく変えるという。
「それで来なくなるかな」
エイルが言う。
「分からん」
農場主が答えた。
「また来たら、今度は人を頼むさ」
「誰に頼むんですか?」
「前に頼んだ狩人が近くにいれば、そいつだな。いなけりゃ町で聞く」
「すぐ見つかる?」
「その時次第だ」
エイルは先日の授業を思い出した。
やはり、ここでも同じだった。
必要になったとき、いつでも決まった相手がいるわけではない。
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その日は結局、灰犬そのものを見ることなく実習が終わった。
帰り道。
一緒に参加した生徒が少し残念そうに言った。
「結局、何も出なかったな」
「うん」
エイルが答える。
「せっかく外まで来たのに」
「でも、家畜が傷ついた理由はだいたい分かったじゃん」
「倒してないけど」
エイルは少し考えた。
「倒すのが仕事だったっけ?」
相手も考える。
「……違うか」
後ろからバルガの声がした。
「違うな」
二人が振り返る。
「先生、聞いてたんですか?」
「聞こえていた」
「じゃあ今日の仕事、これで終わり?」
「学校の実習はな」
「農場は?」
「柵を直して、それでも被害が続けば次を考える」
エイルは歩きながら聞く。
「灰犬を見つけたら、先生は倒してた?」
「状況による」
「何匹なら?」
「数だけで決めるな」
「じゃあ何で決める?」
「場所。相手の数と状態。こちらの人数。周囲に人や家畜がいるか。逃げ道があるか。そもそも戦う必要があるか」
エイルは指を折りかけて、途中でやめた。
「多い」
「現場ではもっと増える」
「すぐ決めるの?」
「必要ならな」
「難しいな」
「だから、最初から一人でやるなと言っている」
エイルは前を向いた。
「うん。それはもうやめる」
「やめる?」
「最初から一人でやるの」
バルガが少しだけ笑った。
「それならいい」
「だから経験ある人を探す」
「そうしろ」
ガレスのことが頭に浮かんだ。
まだ会ったこともない男だ。
卒業までに会えるかも分からない。
会えたとして、一緒に働かせてもらえるとも限らない。
それでも、今日のバルガの判断を見ていると、経験のある人間について行った方がいいという意味はよく分かった。
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翌日。
エイルたちは実習の報告書を書いた。
農場主たちから聞いた話。
家畜の傷。
柵についた泥。
足跡。
毛。
林へ続いていた複数の足跡。
灰犬の痕跡を確認したこと。
ただし、家畜を襲ったところを直接見たわけではないこと。
エイルが書き終えて紙を眺めていると、横からミナが覗き込んだ。
「終わった?」
「うん」
「見せて」
「なんで?」
「誤字」
「今回は見直したよ」
「何回?」
「一回」
「じゃあ見せて」
エイルは少し迷ってから紙を渡した。
ミナが読み始める。
しばらくして指が止まった。
「ここ」
「もう?」
「あとここ」
「二個?」
「三個目もある」
「見直したのに」
「もう一回見直して」
エイルは紙を返してもらった。
「ミナ、卒業したら俺の報告書見てくれないよね」
「当たり前でしょ」
「困るな」
「今のうちに自分で見つけられるようになって」
「それも練習か」
「そういうことにしておく」
エイルはもう一度、最初の行から読み直した。
学校で受ける実習は、これが最後になる。
けれど、次に街の外へ出るときは、もう実習ではなかった。




