第十一話 準備
翌朝。
村の中央には、昨日より多くの人が集まっていた。
エイルも朝食を済ませると、その輪の外に立った。
ハイン、ドルク、ベルン。
昨日森へ入ったボルとカイル、それにサナもいる。ほかにも村の大人が何人か集まっていた。
ハインが地面に枝で簡単な図を描く。
「昨日、森で確認できたのは五頭だ。成獣が三頭、若いのが二頭」
「それで全部か?」
村の男が聞いた。
「分からん」
エイルは心の中で、やっぱり、と思った。
「ただ、奥にも跡があった。鳴き声も聞いてる」
ドルクが図の一か所を指す。
「こっちにも新しい跡が残ってた。同じ群れだとは思うが、何頭いるかまでは読めん」
「十頭くらいか?」
「数当てしても仕方ない」
ハインが答えた。
「多いと思って準備する。それでいい」
その言葉には、誰も反対しなかった。
話はそのまま、これからどうするかへ移った。
ハインとカイルは街へ戻り、さらに人を探す。
ボルとサナは村に残る。
その間はドルクと村の男たちで見回りを続け、森には入らない。東の畑も、できるだけ避ける。
「どれくらいで戻れる?」
ベルンが聞く。
「早ければ二日」
「遅ければ?」
「人が見つからなければ、もっとかかる」
ベルンの表情が曇った。
「その間に、灰牙が村まで来たら?」
少しの沈黙があった。
昨日までは、森の中にいる灰牙をどうするかという話だった。
今のは違う。
ハインが村を見回す。
「そのときは、ここで守る」
周囲の空気が少し変わった。
「守れるのか?」
誰かが聞いた。
ハインはすぐには答えなかった。
「来る数による」
結局、そこも分からない。
だから人を増やす。
見回りも続ける。
家畜もなるべく内側へ入れる。
できる準備をして、待つ。
話が終わると、人がそれぞれ動き始めた。
エイルは真っ先にサナを見た。
昨日、魔術を見せてもらえなかった。
今日は村に残るらしい。
なら、聞ける。
そう思って近づこうとしたところで、
「エイル」
後ろからトーマに呼ばれた。
「何?」
「手伝え」
「今?」
「今」
「ちょっとだけ待って」
「何を」
エイルはサナを見る。
「魔術のこと聞きたい」
トーマもそちらを見た。
「あとにしろ」
「昨日もあとにした」
「今日は村にいるんだろ?」
「いるけど」
「なら逃げん」
「……はい」
結局、エイルはトーマに連れていかれた。
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昼前。
エイルは西側の柵で、トーマと補修用の板を運んでいた。
「そっち持て」
「うん」
板へ手を伸ばす。
その途中で、エイルは自分の内側へ意識を向けた。
少しだけ魔力を集めて、腕へ流す。
そのまま板を持つ。
「よいしょ」
持ち上がった。
反対側をトーマが持つ。
「行くぞ」
「うん」
二人で運び始めて、数歩進んだところでエイルは気づいた。
「父さん」
「なんだ」
「今、止まらなかった」
「歩いてるからな」
「違う。魔力」
トーマは前を向いたまま歩く。
「そうか」
「前は持つ前に一回止まってたじゃん」
「そうだったか?」
「そうだったよ」
今は違う。
手を伸ばしながら魔力を動かせた。
集めて、腕へ流して、持つ。
やっていること自体は同じなのに、その間が少しずつ短くなっている。
板を置くと、エイルは次の一枚を見る。
「もう一枚やろう」
トーマが妙な顔をした。
「珍しいな」
「今のもう一回やりたい」
「仕事だぞ」
「仕事も進むじゃん」
「ならいい」
二枚目。
エイルは手を伸ばした。
魔力を集め、腕へ流す。
そのまま持つ。
できた。
「よし」
「何がよしなんだ」
「今のも速かった」
「そうか」
「見てた?」
「板を見てた」
「俺も見てよ」
「なんでだよ」
「できるようになってるから」
「板落とさなくなったら見る」
「落としたことないじゃん」
「じゃあ見る必要ないな」
「なんでそうなるの?」
トーマは笑いながら次の板へ向かった。
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昼食の頃には、ハインとカイルはもう村を出ていた。
エイルはパンを食べながら、何度も窓の外を見る。
「落ち着かないね」
ミラが言った。
「別に」
「サナさんに聞きたいんでしょ?」
エイルが止まる。
「なんで分かったの?」
「昨日からずっと気にしてるから」
「そんな見てないよ」
「見てる」
リナが言った。
「兄ちゃん、サナ好きなの?」
「違う」
「早いねえ」
ミラが笑う。
「違うって。魔術!」
「魔術?」
リナがパンを齧りながら首を傾げる。
「サナは魔術を使えるんだよ」
「知ってる」
「だから、どうやって使うのか聞きたいの」
「聞けば?」
「だから聞こうとしてるんだよ」
「じゃあ聞けばいいじゃん」
「父さんが仕事させるから」
トーマが顔を上げた。
「俺が悪いみたいに言うな」
「半分くらい父さんのせい」
「全部お前の仕事だ」
「……それはそうだけど」
食事を終えると、エイルはすぐ外へ出た。
今度こそ聞く。
そう決めていた。
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ところが、午後になってもサナはなかなか一人にならなかった。
村の家を何軒か回っている。
昨日森へ入った男の擦り傷を見たり、腰を痛めている老人の様子を確かめたり、熱を出している子供の家にも入っていった。
エイルは少し離れたところから、その様子を眺めていた。
サナは薬を使い、傷を洗い、布を巻く。
話もよく聞いている。
けれど、昨日見せてもらえなかった杖はほとんど使わない。
「魔術使わないんだ」
「何が?」
すぐ横から声がして、エイルは驚いた。
ボルがいた。
「いつからいたの?」
「ずっと」
「サナ、治す魔術使えるんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、なんで使わないの?」
ボルが肩をすくめる。
「必要ないからだろ」
「魔術の方が早くない?」
「何でも魔術で済ませるわけじゃねえよ」
「なんで?」
「使う方も疲れるし、魔術じゃなくていい傷もある」
「ふうん……」
エイルはもう一度サナを見る。
ちょうど老人の腰に手を当てて、痛む場所を聞いているところだった。
「ボルは治す魔術使えないの?」
「使えん」
「ほかの魔術は?」
「ほとんど使わん」
「魔力ないの?」
「ある」
エイルは首を傾げた。
「じゃあ、なんで使わないの?」
「習ってねえからだよ」
「習えば使える?」
「知らん。今さら覚える気もねえ」
「なんで?」
「槍で困ってないから」
ボルは背負っている槍を軽く叩いた。
「でも火とか出せたら便利じゃない?」
「火なら火打ち石がある」
「暗いときは?」
「灯りを持つ」
「怪我したら?」
「サナに頼む」
「サナいなかったら?」
ボルがエイルを見る。
「お前、ほんと質問多いな」
「ハインにも言われた」
「だろうな」
ボルはそのまま歩いていった。
結局、知りたいことはサナに聞くしかないらしい。
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夕方。
ようやくサナが一人になった。
ベルンの家の前で鞄の中を整理している。
エイルはすぐに近づいた。
「サナ」
「ん?」
顔を上げたサナが、少し考える。
「ああ。エイル」
「今日は覚えてた」
「昨日教えてもらったからね」
「魔術、見せて」
「いきなりだね」
「昨日、帰ってきたらって言った」
「気が向いたらって言った」
「気、向いた?」
「まだ」
「いつ向く?」
「知らない」
「じゃあ聞くだけ」
サナが少し笑った。
「何を?」
エイルはそこで止まった。
聞きたいことが多すぎる。
火はどうやって出すのか。
治す魔術はどうするのか。
杖は何のために使うのか。
そもそも、自分がやっていることと何が違うのか。
少し迷って、一番気になっていたことを聞いた。
「魔術って、どうやって使うの?」
「ずいぶん大きい質問だね」
「魔力を使うんでしょ?」
「そうだね」
「俺は、腕とか脚に動かすことしかできない」
サナがエイルを見る。
「それ、普段からやってるの?」
「うん。重いもの持つときとか」
「誰かに教わった?」
「父さんに聞いたけど、『普通に』って言われた」
サナが吹き出した。
「それで?」
「分からないから自分でやってる」
「なるほどね」
サナは鞄から杖を取り出した。
エイルの目がすぐにそちらへ向く。
「魔術は、それだけじゃ使えないよ」
「それだけって?」
「魔力を集めて、どこかへ流すだけじゃ駄目ってこと」
「じゃあ、何するの?」
「説明するより、一度見た方が早いかな」
エイルの顔が明るくなる。
「見せてくれる?」
「小さいのだけね」
「うん」
今度は余計なことを言わず、エイルは黙った。
サナが杖を持つ。
その瞬間、彼女の魔力が動いた。
エイルにも、それは分かった。
自分がいつもやっているのと同じように、身体の内側で魔力が集まっていく。
けれど、その先が違った。
集めた魔力をそのまま腕や杖へ流しているわけではない。
一度、何かをする。
エイルには、それが何なのか分からなかった。
ただ、さっきまで一つに集まっていた魔力が、何か決まったものに沿うように整えられていく。
細かく。
順番に。
自分が魔力を腕へ流すときとは、明らかに違う。
エイルが目を凝らしていると、サナが杖を少し持ち上げた。
その先に、小さな火が灯った。
「……」
指先ほどの、小さな火。
けれどエイルは、火を見ていなかった。
その直前。
火が出る前に、サナが魔力へ何をしたのか。
そちらの方が気になった。
火が消える。
「はい、終わり」
「今の」
「ん?」
「火が出る前」
サナがエイルを見る。
「何かしたよね?」
「したよ」
「何したの?」
「魔術を使った」
「それじゃ分かんない」
「そうだろうね」
「もう一回やって」
「え?」
「もう一回。今度ちゃんと見るから」
サナは少し呆れた顔をした。
「火じゃなくて?」
「その前が見たい」
「変なところ見るね、君」
「だって、そこが分からなかったから」
サナはしばらくエイルを見ていた。
それから、小さく息を吐いた。
「一回だけね」
「うん」
エイルはすぐにサナの手元へ視線を戻した。




