第百六話 一泊実習
三年目最初の野外実習の日。
校庭には、いつもより大きな荷物を背負った生徒たちが集まっていた。
一泊分の食料。
水。
毛布。
雨具。
簡単な調理道具。
記録用紙。
必要なものは学校から一覧を渡されていたが、実際に全部詰めるとかなり重い。
「重い」
カイが言った。
「カイ、この授業取ってないでしょ」
「見送りに来てやったんだよ」
「じゃあ持って」
「嫌だよ」
エイルが背負っていた荷物を下ろそうとすると、カイはすぐに離れた。
「逃げるなよ」
「自分で選んだ授業だろ」
「友達なのに」
「その言葉便利に使いすぎだ」
少し離れたところでは、レオンが荷物の紐を締め直していた。
エイルはそちらを見る。
「レオンの軽そう」
「同じくらいだ」
「持ってみていい?」
「もう出発するぞ」
バルガの声が飛んできた。
「ほら」
カイが笑う。
「行ってこい」
「帰ったら話す」
「疲れてなかったらな」
---
今回の目的地は、街から徒歩で一日弱の場所にある小さな中継所だった。
商人や旅人が休むための建物があり、近くには井戸もある。
ただし今回は、そこへ最短で向かうだけではない。
途中でいくつかの地点を確認し、自分たちで休憩場所を選びながら進む。
教師は同行する。
危険があれば介入する。
それでも、歩く順番や休憩の判断は生徒たちが行うことになっていた。
「最初の休憩、どこにする?」
出発してしばらくして、同じ班の生徒が聞いた。
エイルが地図を開く。
レオンも横から見る。
「この辺?」
エイルが街道沿いを指した。
「早くないか?」
「でも水あるよ」
小さな沢が記されている。
「次は?」
レオンが聞く。
エイルが地図を追う。
その先はしばらく水場がない。
「じゃあ、ここで水も確認する?」
「そうだな」
班で相談し、その場所まで進むことにした。
---
実際に着いてみると、地図にあった沢は細かった。
水は流れている。
ただ、周囲の地面がかなりぬかるんでいた。
「ここで休む?」
「座るところないな」
「少し先まで行く?」
エイルが周囲を見る。
街道を少し進んだところに、木陰がある。
「水だけここで確認して、休むのは向こうでいいんじゃない?」
班の意見がまとまった。
バルガは何も言わない。
エイルが聞く。
「先生、それでいい?」
「俺に聞くな」
「でも間違ってたら?」
「危険なら止める」
「危険じゃなかったら?」
「自分たちで決めろ」
エイルはレオンを見る。
「じゃあ行こう」
「最初からそうしろ」
---
昼を過ぎる頃には、荷物の重さが朝よりずっと増したように感じられた。
「同じもの入ってるのに」
エイルが肩紐を引っ張る。
レオンが言う。
「疲れただけだ」
「分かってるよ」
「なら言うな」
「言いたくなるんだよ」
少し前を歩いていた生徒が笑った。
その後も、道の状態を確認しながら進んだ。
一か所、地図では使えるはずの脇道が倒木で塞がれていた。
「通れる?」
エイルが近づこうとする。
「待て」
レオンが止めた。
倒木の周囲を見る。
木を越えること自体は難しくない。
だが、荷物を背負ったまま全員が越えるとなると面倒だった。
しかもその道を使う必要はない。
「街道のままでよくないか?」
「ちょっと遠いよ」
「どれくらいだ?」
地図で確認する。
大きな差ではなかった。
エイルは倒木を見る。
それから自分の荷物を見る。
「街道でいい」
「珍しく早いな」
「これ背負って木を越えたくない」
「いい判断だ」
後ろからバルガが言った。
エイルが振り返る。
「今の褒めた?」
「余計な苦労をしないのも大事だ」
「じゃあ褒めた」
「歩け」
---
夕方になる前に中継所へ到着した。
古い建物だったが、屋根と壁はしっかりしている。
井戸も使えた。
「今日はここまで」
バルガが言った。
生徒たちから安堵の声が漏れる。
エイルも荷物を下ろした。
「軽い!」
「荷物は軽くなってない」
レオンが言う。
「背負ってないから軽い」
「そうか」
「レオン疲れてない?」
「疲れてる」
「顔変わらないね」
「お前がうるさいだけだ」
休めるわけではなかった。
寝る場所を決める。
水を用意する。
食事を作る。
荷物を濡れない場所へ置く。
周囲も確認する。
教師たちは見ているが、基本的には手を出さない。
「火つかない」
エイルが薪の前で言った。
「薪が湿ってるんじゃない?」
同じ班の生徒が一本折ってみる。
内側まで少し湿っていた。
「別の探す?」
「もう暗くなるぞ」
レオンが周囲を見る。
中継所の軒下に、前の利用者が残した薪が積まれていた。
確認すると、こちらは乾いている。
「あるじゃん」
エイルが言う。
「使っていいのか?」
「……分からない」
結局、教師に確認した。
中継所の利用者が使うために置かれているものだった。
「聞いてよかった」
「勝手に使うなって工房でも言われただろ」
「覚えてるよ」
「今使おうとしてただろ」
「確認しようとは思ってた」
「本当か?」
「半分くらい」
---
夕食は簡単な煮込みだった。
特別美味しいものではない。
それでも一日歩いた後では、食堂の料理とは違う美味しさがあった。
「うまい」
エイルが言う。
「味薄いぞ」
レオンが食べながら答える。
「でもうまい」
「腹減ってるだけだ」
「それでもうまい」
食後、全員で明日の予定を確認した。
帰路は来た道をそのまま戻るのではなく、少し違う経路を使う。
バルガが地図を指した。
「明日は天気が崩れる可能性がある」
エイルが空を見る。
今は星が出ている。
「晴れてますよ」
「今はな」
「どうやって分かるの?」
「雲、風、季節。あとは経験だ」
「絶対降る?」
「絶対じゃない」
「じゃあ降らないかも?」
「ある」
エイルは少し考えた。
「面倒ですね」
「何がだ」
「分からないのに準備しないといけない」
バルガが頷く。
「外で動くなら、それが普通だ」
---
夜。
中継所の中で毛布に入った。
疲れているはずなのに、エイルはなかなか眠れなかった。
近くでは誰かが寝返りを打つ。
外から虫の声が聞こえる。
学校の寮とは違う。
村の家とも違う。
「レオン」
小声で呼ぶ。
「……何だ」
「起きてる?」
「今起こされた」
「ごめん」
「寝ろ」
少し静かになる。
「こういうところで毎日寝る仕事もあるんだよね」
「護衛とかならな」
「大変そう」
「そうだな」
「でもちょっと面白い」
返事がない。
「レオン?」
「寝ろ」
「はい」
エイルは目を閉じた。
翌朝。
屋根を叩く雨の音で目を覚ました。
エイルは毛布の中から天井を見る。
「……降った」
隣でレオンが起き上がった。
「降ったな」
外では、昨日まで乾いていた街道が少しずつ濡れ始めていた。




