哀れな宿命
「アレキサンドラッ!?!?一体どうしたんだ!?」
「アレン!!どうしたの!?苦しいの!?」
「アレキサンドラ様!!今すぐそのスープを吐き出してください!!」
「早く解毒剤を用意するんだ!!!」
「グランディエ様を別の場所へ!」
目の前で起こる皆の阿鼻叫喚の様子に、俺は足が震えるのを感じる。
アレキサンドラが、スープを飲んで突然苦しみ出した。要するに、このスープには毒が入っている。
俺や他の人間のものにも入っていた可能性もあり得た事態は勿論だが、俺の恐怖はそんなものでは済まなかった。
次期国王に、毒を盛った人物がこの中にいる。その人物は、いつもは顔を見せないくせに今日に限って現れた。
考えられるのは、もうあの二人しかいない。
直接手は下さないものの、心配もせずバレないと思ってニヤつく、ルベウス家夫妻だ。
一人だけ配膳が違うと気づいた時点で、気のせいと思わず止めておけば良かったという後悔が広がると共に、野望のためなら子供相手でも平気で殺そうとする夫婦の腐った根性に、俺は戦慄していた。
「ラルフ!!解毒剤よりもまずは嘔吐剤を飲ませろ!!食べたものを全部吐かせるのが先だ!!」
それでも、まずはアレキサンドラから毒を取り除くのが優先事項だ。俺は解毒剤を飲ませようとするラルフに向かって言葉遣いも忘れる勢いで叫んだ。
「ッ!わ、分かった…!嘔吐剤を用意しろ!!空の容器も一緒に!」
「承知いたしました!!すぐにお持ちいたします!!」
テキパキと嘔吐剤や大きめの容器だけでなく、タオルや消毒液、着替えの服を用意する侍女や使用人を他所に、俺が違和感を持った配膳係はただひたすら怯えるだけだった。
(なるほど…こいつは毒とは知らずにやったのか…)
あの配膳係は、アレキサンドラに直接配膳するという大役を、いつもの担当を通してディークから任せられ、その任務を全うしようとしただけなのだろう。基本的に、配膳係については特に人によって大役になるかは関係ないのだが、嘘を教えられ、信じてしまったに違いない。
(まあ、それでも毒を盛った犯人として極刑は免れないだろうな)
運の悪い哀れな男だと一瞥した後、俺は嘔吐剤などで処置を受けるアレキサンドラを見守る。
その最中で、もっと哀れなのはアレキサンドラの方だと俺は思った。
国王の元で長男として生まれてしまったばかりに、アレキサンドラは弟のように自由にのびのび育つことが許されない環境に置かれ、一生周囲の悪意の元に晒されることになった。
まだ子供だからと容赦されることもなければ、権力欲しさに甘やかして悪影響を与えようとする輩にまで狙われる。だからこそ、将来の国王として、自分に良い影響を与え、学びになる人間を早くから見極めなければならない。
アレキサンドラのような純粋で心根の優しい少年に、王としての才覚を求めるのは、なんとも酷な話だ。
「グレイ…兄様どこか具合悪いの?」
「………大丈夫だ、お前の兄貴は強い。だから安心して待ってやれ」
何が起きているのか具体的には理解できていないものの、只事ではない状況に対して、グランディエは不安そうにしている。俺は、ただ安心させるために付き添うしかできない。
(アレキサンドラ…無事でいてくれ…)
「っ………うぅ……!はぁ、はぁっ……」
縋る思いで無事を祈っていると、アレキサンドラはやっとまともに呼吸ができるようになった。
「アレキサンドラ!!」
「うぅ……父…上……母上……」
「ああ、お父様もお母様もお前のそばにいる。もう大丈夫だよ」
「良かった……本当に無事で良かったっ…!アレンやグランディエに何かあったら私はっ……うっ…ぐすっ…」
「兄様…!?兄様ぁ!!もうどこも痛くない?」
「グランディエ……うん、僕は大丈夫だよ」
ずっとアレキサンドラをそばで見守っていた陛下は、無事に息を吹き返したことに心底ほっとした様子で、安心させるように頭を撫でている。フローラ様は目を覚ますまで何とか堪えていた涙を流し、アレキサンドラを優しく抱き締めていた。
苦しい状況から親の顔を見て一瞬泣きそうになっていたアレキサンドラだったが、自分よりも泣きじゃくっているグランディエを見て、すぐに兄としての顔を取り戻していた。
「そうだ、グレイ」
「は、はいっ!」
「アレキサンドラを寝室に連れていってあげてくれ」
遠巻きにグランディエと見守っていただけの俺に、国王陛下から直々に指名が入った。
「っ!?お……私ですか?」
「その方がアレキサンドラも安心するだろうから、よろしく頼む」
「……分かりました」
何故陛下は俺を選んだんだろう。この場でアレキサンドラを連れて行くべきなのはラルフのはずだ。ラルフも、納得がいかないという気持ちを隠せないでいる。
否、そんなことはどうでも良い。ともかくアレキサンドラを安心させて、まずは十分寝てもらうことが最優先だ。
「アレキサンドラ、部屋でゆっくり休め」
「うん…」
俺の手から、アレキサンドラが震えているのが伝わってくる。怖い思いをしているのは当然だ。
誰がとは特定出来ずとも、自らに危険を及ぼす存在が近くにいることを知ってしまったのだから。
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休ませるために、俺はアレキサンドラを寝かしつけようとした。
だが、困ったことに本人は不安なのか中々眠りそうにない。
「……眠くないなら、少し話すか?」
「………グレイ…あの……僕……」
「どうした?」
アレキサンドラの口籠る様子を見て、本当に怖くて仕方なかったのだと悟り、こんな子供相手に平気で毒を盛るよう指示したルベウス家夫妻を改めて軽蔑した。
「何でも言えよ。ここには俺しかいないから」
「………っ……ぐすっ…ひぐっ……………こわ…かった……怖かった……っ……」
「ああ、怖かったな。苦しいのに、よく頑張ったな」
「ぅう〜っ…うわぁあああんっ…!!!あぁあああっ…!!!」
アレキサンドラは我慢の糸が切れたのか、大声で泣き出した。
先ほど泣かなかったのは、グランディエに対する兄としての矜持もあったのかもしれない。だが、アレキサンドラの心優しい性格からして、親に心配をかけさせまいと耐えたのが一番の理由だろう。
まだ幼い子供が、こんな我慢をする必要などないのに。
「今は泣いとけよ。お前も……俺もまだ子供なんだからな」
「うぅうっ……ひぐっ…ぅうっ……僕…いつもと違ってレイヴァンと……グレイが来てくれたから……一緒にご飯食べたり…もっと遊びたかった……僕が具合悪くなったせいで…全部出来なくなった……」
アレキサンドラが泣いたのは、悔しいという理由もあるのだろう。
普段は滅多に会えない従兄弟と遊ぶ機会を得られたのに、何者かの悪意によって奪われたのを、自分のせいだと思い込んでしまっているせいで。
「お前のせいじゃねぇよ。また集まって飯食ったり遊ぶために約束を取り付ければ良いだけだ」
「っ……そうしたら……遊べる…?」
「ああ、その時はレイヴァンだけ呼べよ」
「っ!うん、そうする」
もしかしたら、アレキサンドラもなんとなく理解しているのかもしれない。
レイヴァン本人はまともな人間性なのに対し、その親は問題だらけのろくでなしだということを。
「ほら、落ち着いたなら目ぇ閉じろ。お前が寝られるまでずっとそばにいてやるから」
「うん……どっかいかないでね……」
「分かってるって。俺も親父に拳骨されたくねぇし」
「あははっ…エドワード怒ると怖いもんね、ふふっ…!」
親父のことを話題にしたら、アレキサンドラの心は少し和んで、落ち着いたようだ。
どこにも行くなと手を握りながら、アレキサンドラは眠気に誘われてうとうとし始めていた。
「グレイ……」
「なんだ?」
「もし……またみんな集まれたら………サミュエルも元気になって来たら……いいな……」
「……………そうだな。俺の兄上も…それを望んでると思う」
兄上のことで希望のある答えを言えるのは、いつまでだろうか。
俺は、先にある未来のことをできるだけ考えまいとして、アレキサンドラが眠るまでの間は周囲を見張ることした。
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グレイに見守られながらアレキサンドラが寝室で休むことになり、皆解散してそれぞれの時間を過ごしていた。
ただ二人を除いて。
「今回は上手くいくと思ったんだが…あのジルコニア家で悪名高い子供が対処を知っていたとは…」
「並の解毒剤じゃ効かないものを調達したのに…あの子供も馬鹿そうだから大丈夫だと思ってたのにっ…!」
アレキサンドラ毒殺の首謀者であるディーク・ルベウスと妻のシャーロットは、未遂に終わらせた功労者のグレイのことを恨めしげに話していた。
次期国王の座を自分の息子のものにしたい二人は、今日という日を迎えるまでに、普通の解毒剤が効かないものを、薬草を栽培している子爵家に依頼して毒薬を手に入れた。
そして、宮廷に元々いた配膳係に下剤を飲ませて体調不良にした後、ルベウス家の使用人に配膳係になりすましてもらった上で、見た目は透明な液体のそれをアレキサンドラのスープに混ぜさせた。
アレキサンドラが飲んで、周囲が解毒剤で解決させようとするところまでは順調だった。だが、馬鹿だと侮っていたグレイが嘔吐剤の存在を知っていたことが、ディーク達にとっては大きな誤算だった。
「くそッ…!あのガキさえいなければ今頃は…!!」
「大体、ジルコニア家が皇太后様の祖先から繋がる血筋だかなんだか知らないけど、所詮は汚れ役の分際で出しゃばって本当に許せないわ…!まあ、"伯爵上がり"のあの女よりは遥かにマシだけど」
「ひとまず…アレキサンドラよりも片づけなければならないことが出て来たな…」
「?どういうことですの?」
「……ジルコニア家だ。アレキサンドラだけじゃなく、俺の兄上がやたらと信用してるあの家は、俺の考えに気づいて邪魔をする可能性は高い」
ディークは、アレキサンドラを排除しようとしてグレイに阻止された今回のように、今後も同じようなことが起こり続けるうちに謀がバレて処罰されるのではないかと考えていた。
「それを言うなら、貴方の妹君の家も同じことが言えますわよ?」
「いや、オリヴィアは元々継承権を放棄する契約をしているから王の座については心配ないんだ。それに、昼食の前の様子を見ていただろう?あの家の息子はグレイと非常に仲が悪い。そこに付け込めば利用できる」
「貴方は本当に怖い人ね…ふふふ」
周囲に人がいないのを良いことにコソコソと策略を練る二人は醜い表情に歪んでいる。まるで、悪魔達の会合の如き光景だ。
一人の少年に死にも等しい苦痛を味わせておきながら、ディークとシャーロットは歪んだ笑顔を浮かべていた。
「そういえば…ジルコニア家にはグレイだけだなくサミュエルという優秀な兄がいるそうよ。でも病弱で今回は来られなかったのですって。グレイだけでなく、ラルフも残念がっていた様子だったわ」
「なるほど…それならグレイを潰すのは後にするか…一番に潰すべきは………」
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ジルコニア家にて…
「サミュエル様、来客にございます」
「え?僕に?」
「はい、ルベウス公爵がお見舞いとのことです」
「へぇ…いつもはベリルから出ないのに珍しいな」
ジルコニア家で帰りを待っていたサミュエルは、偶然体調が回復していたことで、侍女が連れて来た来客の対応をすることになった。
「お久しぶりでございます、ルベウス公爵。貴方がこちらに来てくださるなんて光栄です」
「元気そうで何よりだ。病がちと聞いて心配で、よく効く薬を持って来たんだ」
「薬…ですか?」
「ええ…一日に一粒を、毎日飲めば病による苦しみは途絶えていく。これは極秘で手に入れた非常に高価なものなんだ。お父上が知ったら大騒ぎになる。だから皆には内緒で飲みなさい」
「ですが、そのような高価なものを父上の許可無く易々と受け取るわけには…」
「サミュエル君。弟のためにも、早く病を治したいだろう?良薬は口に苦しとも言う。弟のために、この苦い薬もしっかり飲んで治すべきだ」
全ては、たった一つの偶然による出来事だった。




