迫る悪意
アレキサンドラが6歳を迎えた誕生の宴が終わった翌日のことだった。
宴では占術師の予言による騒ぎは起きたものの、国王アウィンの取りなしにより、無事に宴を終えることができた。
しかし、その平穏も束の間で、その次の日に突然連絡もなく王宮にとある家族が訪れた。
その突拍子のない来訪をしてきたのは、国王の弟━━ディーク・ルベウス、妻のシャーロット、一人息子のレイヴァンだった。
突然の来訪者に、使用人達はもてなしをどのようにすれば良いのかをすぐに考えなければならなくなり、急足でバタバタと働く羽目になった。
来訪先の迷惑も考えない弟の行動に、国王アウィンは心底呆れを覚えつつ、仕方なく宮廷に招き入れ、挨拶の場に呼びつけた。
「我が息子の誕生の宴は欠席しておきながら、その次の日に突然連絡もなくこうして来るとは…頼むから事前に連絡をすることぐらいは覚えてくれ」
「申し訳ございません、生憎昨日はどうしても外せない用事がありまして…しかし、可愛い甥のアレキサンドラをどうしてもお祝いしたかったのでこうして参上いたしました」
「はぁ…まあ良い。わざわざシャーロット殿にレイヴァンも来てくれたのだから、これ以上は何も言うまい」
アウィンは、最早弟のディークの行動についてはとうの昔に咎める気すら失せていた。
何度注意しても、その次には事前連絡もなく行動をしては周囲を振り回し、謝罪をする時も言い訳と下心の見えた好意を織り交ぜてなあなあにしようとしてくる。
「シャーロット殿、弟に付き合わされて大変だっただろう。ゆっくりしていきなさい」
「はい、陛下のご温情ありがたく承ります…」
ディークの少し後ろで恭しく頭を下げる妻のシャーロットは、一見すると翡翠色の髪に見合う清廉で大人しそうな女性だ。しかし、アウィンはシャーロットが頭を下げた一瞬ですぐに見抜いていた。
ただ胡散臭そうな顔つきでヘラヘラしているディークとは違い、シャーロットは口の端を吊り上げ、笑う目元は下瞼をキツく上げているせいで不自然…というより不気味な様になっていた。
(恐らく…アレキサンドラの存在が面白くないディークは来る気などなかったが、シャーロット殿が行きたがったのだな…)
大人しそうな見かけによらず出好きな上に除け者を嫌がるシャーロットがわがままを言って、ディークが嫌々付き合わされたのだと、アウィンは察した。
夜を迎える前に、さっさと帰ってもらおう。
アウィンがそう決意した時だった。
「あっ、レイヴァンだ!来てくれたの!?」
「ッ!!アレン!!久しぶりだね!」
この場に遭遇したアレキサンドラが、夫妻の一人息子レイヴァンを見つけてしまった。
それを見たアウィンは、息子への甘さからか、ルベウス一家をすぐに帰らせるわけにはいかなくなったと、ため息を静かに吐いた。
「あ…お久しぶりです、叔父上に叔母上。とてもお忙しい中で時間をかけて会いに来てくださって嬉しいです」
「あ、ああ…久しぶりだな、アレキサンドラ」
「お、お久しゅうございます…殿下……」
アレキサンドラは、レイヴァンには嬉しそうな顔を見せていたが、ディークとスカーレットには他人行儀な笑顔で声をかけた。その笑顔からは、「レイヴァンだけで良かったのに」という意思をうっすら感じ取れる。
息子のそんな様子を見ていたアウィンは、思わず吹き出しそうになった。
「父上、レイヴァンと遊んでも良いですか?」
「遊んできなさい。その代わり、昼食までには戻るように」
「はい、分かりました!レイヴァン、グランディエも入れて遊ぼう!」
「うん!グランディエ大きくなったかなぁ?」
楽しそうな様子でグランディエを迎えに行くアレキサンドラとレイヴァンを見送り、アウィンはルベウス夫妻に向き直った。
「昼食の時間になったら、侍女に声をかけさせるから、部屋で待っていてくれ」
「わ、わかりました……兄上…」
やっと面倒な一つの用事を済ませられたとばかりに、アウィンはさっさと自室に戻っていく。
残されたルベウス夫妻は、悔しそうに歯軋りをしていた。
「あんな子供に王位など渡すものか…!!」
「王太子の座はこの私が産んだレイヴァンの方が相応しいわ…ウェスタ国の王家の血を引くインペリア家出身の私の子が王座に就くべきなのよ…!!」
「ああ、そうだな…!他国との繋がりを考えればうちのレイヴァンが王太子であるべきだ…!」
「王妃も王妃よ…!所詮は音楽家に過ぎないサンチェス伯爵家出身のくせに…!一体どんな手を使ったのかしらね…!」
国王アウィンの異母弟であることと、日頃の不真面目な行いのせいで日陰者として生きてきたディークと、南西にあるケレス帝国の威を借りているだけのウェスタ国出身だが、身分故に気位高いシャーロット。
ある意味似た者同士で出会った二人は、国王一家への不満を露わにし、昼食の時間まで苛立ちを隠さず落ち着かない様子だった。
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「…………それで、なぜ我々もこの席に招待いただいたのでしょうか?」
「大勢の方が楽しめるだろう?それにアレキサンドラとレイヴァンが会いたがっていたようだからね」
「それは我が家としても光栄なことでございますが…急な昼食会となって王宮の侍女や使用人も慌ただしいことでしょうに…」
今回ばかりは、親父の意見に賛成だ。
今日はゆっくり過ごせると思っていたのに、国境付近のベリルから国王陛下の弟ディーク・ルベウス公爵とその家族が、当日はすっぽかしたくせにアレキサンドラの誕生を祝いたいとか言って王宮まで訪ねてきたとのことだ。
連絡なしでの訪問は相手にとって迷惑であることは、貴族どころか人としてのマナーのはずだが、ルベウス公爵はそれをまともに守ることすらできないらしい。しかも、今回は妻シャーロットが強請ったのがきっかけのようで、本当につくづく二人はお似合いの夫婦だ。
「グレイ、久しぶりだね。元気にしてた?」
「お久しぶりです、レイヴァン様。お陰様で父上には毎日叱られる日々でございます」
「あはは、それなら良かったよ!」
「それの何が良いんですか…全く…」
あの夫婦の唯一の救いは、息子のレイヴァンが心優しい人格者に育ったことぐらいだろう。あの親は反面教師としては非常に良いお手本なのは間違いない。
「それよりなんで僕にはアレンみたいに砕けた喋り方しないの?気楽にしてもいいのに」
「このように人が多くいる場ではそのような振る舞いは出来ませんよ。それに今日は親以上に五月蝿い奴が同席しているので……」
国王の弟であるディーク・ルベウスの一家が来ているということは、妹のオリヴィア様が嫁いだヴィクトワール一家も来ている。要するに、あの口うるさい堅物野郎ももれなく付いてくるのである。
本人には聞こえないように小声で話したにも関わらず、ラルフの野郎は俺の方をギロリと睨んでいた。木登り事件以来、より一層俺を嫌っている気がする。
「あ、そういえば…サミュエルはまだ体調悪いの?」
「………昨日までは比較的体調も良かったのですが、今日は起きると咳が止まらないとのことで、医師に見せております」
心配そうに兄のことを尋ねたレイヴァンに、親父が代わりに答える。兄上はアレキサンドラの元遊び相手だったように、レイヴァンにとっても同じように慕う存在だから、会える日が少ない今日こそはさぞかし会いたかったはずだ。
「本当に残念なことでございますね。サミュエル殿は優秀な上にそれをひけらかしたりしない謙虚な人だからこそ、このような場では弟の方ではなくサミュエル殿がジルコニア家の中心として来て欲しいものでした」
レイヴァンの純粋な気持ちに水を差すように、ラルフが俺に対して間接的に喧嘩を売ってきやがった。
「こら、ラルフ!お前はまたそうやってグレイ君を除け者にしようとして…!もっと相手に対して差別をせず敬意を持って接しなさい!」
「エリオット殿っ…私共は別に良いのです。ラルフ君、サミュエルには健康な時にまた挨拶に向かわせるので、今回だけは特別ということで…」
ああ、だからこういう集まりは嫌なんだ。
レイヴァンの親は自己中な常識知らずでイライラするし、ラルフは自分が尊敬している兄上といちいち比較しては蔑む。加えて、いつもは俺に対してガミガミ五月蝿いくせに、ラルフに対しては身分柄強く出れず、何を言われても俺を絶対庇わない親父を目の当たりにする。
そういう嫌なものは、一度湧くと次々とこの場で表面化していく。
今楽しそうに話している国王の妹オリヴィア様と王妃フローラ様を他所に、シャーロット一人で悔しそうに睨んでいるが、それに気づいたのか無意識なのか、フローラ様が声をかけた。
「シャーロットさん、今日は会えて嬉しいわ。その琥珀色のダイヤモンドが使われているネックレス、とっても素敵よ」
「ッ!ええ、ありがとうございます。これは我が家を通じてケレス帝国から贈っていただいたものですわ。帝国が取引してる貴重な宝石らしいので、このような場に相応しいと思い、付けてきましたの」
「去年のルビーのイヤリングも似合っていたけど、琥珀色もディークの瞳みたいで本当に綺麗ね。オリヴィアもそう思わない?」
「そ、そうですわねっ…剣術を趣味にしてる私にとってはそのようなネックレスを似合わせられるルベウス公夫人が羨ましい限りですわ」
御三方のやり取りは、「怖い」の一言でしかない。
別に聞いてもないのに、大国であるケレス帝国から貴重な宝石のネックレスを贈られた自分は凄いとでも言いたげにペラペラと喋るシャーロットは本当に浅はかな女性だ。恐らく、伯爵家出身のフローラ様に対して、母国の王族の血を引く自分の方が勝っているとでも言いたいのだろう。
それだけならただのマウント合戦で済むが、ケレス帝国が貴重な宝石を輸入しているという情報を平然と漏らし、それを堂々と付けてくるのはこの場でもまずいのに、社交界の場であれば重大な情報漏洩とされることだ。そんなことも想像が付かないのは、性格上どうにもならない話なら最早夫であるディークがろくに何も教えていないとしか思えない。
だからこそオリヴィア様を含めた大人達は皆顔を引き攣らせているし、ラルフに至っては軽蔑を隠せずにいる。
ただ、天然でほんわかしているフローラ様にはマウントが全く通じていないようで、にこにこと朗らかな笑顔で褒めるばかりだった。結局、こういう承認欲求など微塵もない人間が一番強いようだ。
険しい顔をしていた陛下も、妻の純粋で素直な振る舞いを見て、口元を緩ませて優しい眼差しで見守っていた。本当に愛妻家な方だ。
「………シャーロット」
このやりとりを何も考えずぼんやりと眺めている様子だったグランディエが、まだ喋り始めたばかりの拙い口調で、シャーロットに声をかけた。
「?グランディエ様、なんでございしょうか?」
「シャーロットってなんか、おさかなさんみたい」
「ッ!?!?!?」
「髪も目も青緑で、付けてるものが黄色とか赤とかでピカピカ光ってるから、海のおさかなさんみたいだなぁって思ったの」
「なっ……なっ……!!!」
突然口を開いたかと思ったら、グランディエは唐突にシャーロットを純粋な瞳でディスりだした。
突然魚みたいだと言われたシャーロットは、怒りで顔を真っ赤にさせながらぷるぷると震え、本当の魚みたいに口をパクパクと動かすしかできなくなった。
(ああ、グランディエっ…早くも将来有望な男だなっ……はははっ…!!)
まだ幼いのにも関わらず、無邪気ながらも毒を放てるグランディエを見て、女性を見る目を持っている上に、しっかりと毒も扱える将来有望な男に育つと俺は予感した。
確かにシャーロットの翡翠の髪と瞳は、よく言えば海のマーメイドを思わせる神秘的な雰囲気だ。それに加えて、琥珀色のダイヤモンドが入ったネックレスやルビーのイヤリング、光沢の入ったライトブルーのドレスも光り輝くように綺麗だ。
だが、グランディエの言うように、悪く言えばピカピカ光って軽薄で厚かましく、派手な色味の魚に見えてもおかしくない。
「グランディエ、人に対して失礼なことを言うのはやめなさいといつも言ってるでしょう?お母様とのお約束忘れたの?」
「…ごめんなさいおかあさま。シャーロット、失礼なことを言ってごめんなさい」
思いっきり恥をかかされて顔を真っ赤にしているシャーロットの様子に吹き出しかけているヴィクトワール一家と、我観せずな我が家。ディークも少しは恥をかいた妻を宥めれば良いものを、その辺の気は全然利かない男らしい。
気まずい空気が続く中、ようやく前菜のスープがテーブルに運ばれてきた。
用意された皿に、ホワイトソースが使われた野菜入りスープが注がれていく。俺は正直このスープは嫌いだ。やたらとお上品で刺激のない味が物足りず、そのくせ舌触りがサラサラしていないのが気に食わない。
(……ん?アレキサンドラの時だけ配膳係が違う…?次期国王だからか?)
謎の違和感を感じつつも、俺は気のせいだと思って目の前の食事に向き直る。
どうしても頭に入らない食事の前の挨拶を済ませ、俺は気の進まないスープを口に入れた。
(チッ…!このスープにスパイスを大量にぶち込みたい…!ああ、いっそのことカレーにしてやりたいぐらいだ…!!)
ホワイトソースのスープとは反対に大好物のカレーにしたいのを我慢しながら飲み進めていると、誰かの咳き込む声が耳に入ってきた。
「けほっ……ぉえっ…!!げほっ….!!げほっ!!!ぉええっ…!!」
その声が聞こえた方向を見ると、なんとアレキサンドラが顔面蒼白になり、苦しそうに胸を押さえていた。




