初めての感情
※あくまで作者は料理に関して素人なので、唯一よく作るオムレツの作り方についてもあまり信用しないでください
ミーシャお嬢様は、クローズ家が再来して以来、ずっと沈んだままだ。
トニーに身体を触られそうになった恐怖は、お嬢様にとっては凄まじいものだっただろう。
勉強中だけでなく、休憩や食事の時もずっと暗い顔を浮かべている。
なんとか元気づけるために、お嬢様の好きな食べ物と思われるチーズ入りオムレツを食べさせてあげようと旦那様は提案してきた。だが、提案した今日に限っていつもの料理人が休暇を取っていた。
邸内の中で料理経験のある人間がほぼいない中で誰が作るかとなり、この場では一応料理経験ありのサラが作ってみることになった。
「大丈夫か?お前料理経験あるって言ってもその時と今では訳が…」
「大丈夫ですよ!見た目は上手じゃなくてもオムレツは卵混ぜたのをチーズと一緒に焼くだけですし簡単です!」
どう考えても、簡単と安易に言えるものではない。
焼くまでの工程が特に難しくなくとも、綺麗にまとめるのは相当慣れが必要だ。サラは料理経験ありとは言うものの、あくまで庶民時代のみの話である。
あまり期待はしていないが、仮に誰も使用人がいない場合に旦那様がフライパンを握るという想像に比べれば遥かにマシなのは間違いない。
ほんの僅かな希望を抱き、完成を待った。
「できました!チーズ入りオムレツです!!」
サラが、完成させたオムレツを皿に盛り付けて持って来た。
自信満々な声でそう言うのであれば、意外と出来映えも味も悪く無かったのだろう。
しかし、盛り付けられたオムレツを見た途端、この世の絶望をひしひしと感じ取った。
サラの作ったオムレツは、黄身が溢れに溢れており、かと言って「ふわふわでとろとろ」という美味しそうな言い方はできない。どちらかと言うと、「ぐちゃぐちゃでドロドロ」といった雰囲気だ。
(いや…先入観は良くない。サラも見た目は上手に見えないと先に言っていた…問題は味だ)
味が全てだと言い聞かせながら、俺と旦那様はサラが作ったオムレツを食べることにした。
「い、いただきます…」
ぐちゃぐちゃでドロドロなオムレツをスプーンでなんとか掬い取り、口に放り込む。
口の中で広がったのは、バターとチーズが絡んでとろっとした卵の濃厚な味……ではなく、あまりに強烈な苦味と辛味だった。
「ッーーー!!!あ"ッ………なん…だ……これっ………辛ッ!!!!!」
「に、苦い……サラ、これ…何入れたの……?」
「え?ジンジャーと黒胡椒です!ジンジャーは身体に良いですし、黒胡椒も同じぐらい沢山入れてパンチを効かせれば身体も温まって元気になると思ったんですが…」
「そ、そうなんだ…すごい独特な風味だったからびっくりしたよ…」
レオンはオブラートに包んでいるが、俺にとっては、簡単には死なない毒を一滴入れれるだけで猛毒に化けるほどの辛味と苦味を感じている。
サラがジンジャーと黒胡椒は、確かに身体が温まる上に味をはっきりさせられる素晴らしい調味料だ。だが、大量に入れたらジンジャー自体の爽やかな風味は苦味に変わり、黒胡椒に至ってはただの激辛になってしまう。
これをお嬢様が食べてしまったら、元気になる前に命に関わる事態になりかねない。
「サラ、俺や旦那様に出すならともかくとして、まだ辛いものに慣れていないお嬢様に大量のジンジャーや黒胡椒は早すぎる。悪いがこれは却下だ」
「っ!!そうでした…!!」
「てことだから、いつもの料理人が休みから帰ってくる明日に…」
「でしたら、グレイが作れば良いんじゃないですか?」
「は?俺が??」
「そうだね!グレイならきっとミーシャが食べられる美味しいオムレツが作れるんじゃないかな!」
サラに言われただけなら無理の一言で押し倒せたが、旦那様に言われてしまうと立場上逆らう訳にはいかなくなった。
しかし、フライパンなどまともに扱ったことはない。強いて言うなら、不良少年時代の喧嘩で殴る時に一度使ったぐらいだ。
誰にも任せられない状況のため、俺はキッチンに立った。
ただ、俺は卵を割るという未経験な作業の時点で、もう立ち止まりそうだ。あまり強い力でヒビを入れるなと言われていたため、俺にとっては限りなく弱い力で卵にヒビを入れる。そのヒビに指を当てて横に割ると、綺麗な目玉が出て来た。
(とりあえず…卵の殻が入らずに済んだ…あとは全部混ぜて……調味料入れるのか?)
慣れないなりに、白身と黄身が混ざり切るまで混ぜていく。その中に、サラが入れた調味料として合っていそうな塩胡椒を入れる。それも混ぜ終え、やっと卵を混ぜる作業は終わった。
次は火をつけたフライパンに油、バターを入れて全体に馴染ませる。
油を引く最中に、俺は料理人が使っている調味料の数々の中に、あるものを発見した。
フライパンに流し込んで焼く前に、香り高いそれらをほんの少し卵の中に入れて急いで混ぜる。
なんとか形にはなるよう、手探りで卵をオムレツらしい雰囲気に纏め、折り畳む前にチーズを入れていく。
多少崩れたりした所はあるが、なんとかひっくり返し続けてオムレツの形には出来た。
「まあ、サラが作ったやつよりは良いだろ…」
自分でも初めてにしては中々の出来だと自画自賛しながら、皿に盛り付けて持って行った。
ーーーーーーーーーーー
キッチンから戻ると、お嬢様と旦那様は既に夕食の準備として席に着いていた。
俺も万が一サラと同じぐらい酷い可能性は何も考えていないのかと言いたいが、幸い見た目だけはそこまで悪くない。いや、むしろ俺にとって中身は一番自信作と言っても過言ではない。
サラが何故かオムレツを二度見して顔を顰めているが、俺の方が上手だから悔しがっているに違いない。
「本日はお嬢様のお好きなオムレツでございます。こちらを召し上がってお元気を」
「いやいやちょっと待ってください!!なんでわざわざカレー味にしちゃうんですか!?カレーの匂いが分かりやすいんですけど!!」
「グレイ、サラの時はミーシャにはまだ早いって言ってたのに自分も香辛料入れてるじゃないか!」
チーズ入りオムレツを作っていたが、俺は調味料でカレーになる香辛料を見つけてしまい、ついほんの少しだけ入れていた。
出来上がったオムレツからは、カレーの匂いが香ばしく漂っている。味見用としてもう一つ作って問題はなかったが、もう一回これを食べてしまいたいぐらいだと思っている。
サラと旦那様はやたら止めてくるが、カレーもそこまで辛くしていないつもりだ。俺が食べるなら大量にぶち込んでいた所を、ちゃんと子供向けに少し抑えている。
「……いただきます」
「えっ……あっ!!お嬢様!?大丈夫ですか!?」
サラが完全に止める前にミーシャが口にしてしまい、サラだけでなく旦那様は真っ青だ。一口食べたお嬢様は、口に広がっているであろうカレーのスパイスに目を見開いていた。
「っ…!辛い……」
「ほらやっぱり!!グレイ!!アンタどんだけカレーの調味料入れたの!?」
「お前が思うほど入れてねぇよ!!」
「嘘つけ!!アンタの凄まじいカレー狂いっぷりには皆呆れ」
「美味しい…!」
『え……?』
皆、目を疑った。
お嬢様は、辛いと呟いていたはずのカレー味にアレンジされたチーズオムレツを、美味しそうに口にしている。心なしか、夕食を迎えるまで暗かった表情は柔らかくなっていた。
「お、美味しい?それなら良かったよ…!」
「いつものオムレツも好き…だけど、これも美味しい…」
「じゃあ…たまに作ってもらう?」
「っ……!食べたい…!」
「そっか、僕も食べたいから後で伝えとくね」
まだ、辿々しい所はあれど、自分の気持ちをちゃんと言うこと自体はできるようになっている。
少しずつではあるが、全く自己主張出来なかった頃に比べるとミーシャお嬢様の成長を感じる。
それにしても、お嬢様は辛い物が意外と平気らしい。辛いとは言っていたものの、スプーンは止まることを知らない。旦那様も、ミーシャと初めて話を弾ませることができて嬉しそうだ。
「お嬢様、いつもの料理人が帰って来たら私から伝えておきますね」
「っ…!ありがとう……グレイ」
「っ……!!」
まずい。
お嬢様と目が合ってしまった。
瞬時に目は逸らしたが、『聖女』の力の一つである、『誘惑』が俺にも効いてしまうかもしれない。
もしそうなれば、俺はお嬢様を………。
(っ……………?あれ……何もない?)
しかし、いつまで経っても俺に異変は起こらない。試しに、不思議そうに俺を眺めているお嬢様の瞳をもう一度見てみるが、特に変わったことは起こらない。
少なくとも、トニーのように性欲を剥き出しにして襲いたくなる衝動は全く起きていない。かと言って、恋愛にありがちな胸の高鳴りもほとんど無い。
「グレイ、お嬢様と見つめ合ってどうしたんですか?……って…肩に髪の毛についてますよ、ほら」
「っ………!!」
肩に付いていたらしい毛を取り払うサラと、目が合った。
サラの瞳には、特別な力は無い。透明感のある黄緑色で、気の強そうな目つきというだけのはずだ。しかし、サラと目が合うと同時に肩に触れられてから、自分でもどうにもならないぐらい鼓動が早くなっている。
訳が分からない。こんな現象になってもおかしくない力を持つミーシャお嬢様には全く何も起きず、特に力は持っていないサラに対しては、制御できないほどその現象に見舞われている。
否、前にも同じようなことはあった。
俺が右目を失明する事件が起きた後、泣きながら心配してきたサラに対して、俺の中で何かがじわじわと湧き上がっていた。
それが起きたのは、生意気で喧嘩ばっかり売ってくるガキだと思っていたサラの真の素直な本音を聞いたからだったのは、よく覚えている。
その時感じた熱は体調不良によるものではなく、むしろ俺の身体を回復させていくものだったことも。
レイラから顔が真っ赤だと指摘されてしまうほど、あの時サラが俺を心配してくれていたのが嬉しかった。
サラといると、気を張ったりする必要はなく、言いたいことが言えて居心地が良い。
奥様を亡くして涙を流していたら、その辛そうな顔はどうしても見ていたくないと願った。
自分自身が危険な目に遭う可能性があろうと、サラが誰かに傷つけられる前に身体が勝手に動いていた。
(ああ……お嬢様の目を見ても何もないわけだ…)
『聖女』の持つ『誘惑』の力は、女性や既に愛する人がいる男性には効かない。
お嬢様と目が合っても俺には効かなかったのは、既に愛する人がいたからなのだ。
「グレイ…?なんで顔真っ赤なんですか?」
「っ………なんでもねぇよ…それより片付けを終わらせるぞ…」
今まで抱いたことのない感情だったからこそ、ずっと気づけなかった。
愛する人には、自分のものにしたいという衝動や性愛は二の次で、本能的に守りたいと感じるものなのだと。




