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期待の星の元で

母上から親父への説教が終わった頃を見計らい、俺は迎えに来た王家の従者にアレキサンドラをこっそり送ってもらった。

それを見届けた後、俺は毎日の日課として、兄の様子を見に来た。


「兄上、具合はどう?」

「グレイ、お帰り。今日はいつもよりは良い方だよ」


兄は日に日に痩せていて、髪も最低限しか切らないため、元気だった頃より明らかに長くなっている。見るからにやつれていく姿を毎日見るのは、辛くないと言えば嘘にはなる。

しかし、兄は俺を見るなり、そんなことを微塵も感じさせないように、普段は優しげな薄青色の目をにっこりと細めた。

物凄く嫌な予感がしたが、腕をガシッと掴まれていてもう逃げられない。

「それより聞いたよ。アレキサンドラ様を木登りに誘って父上に拳骨されて、ラルフと喧嘩して母上に怒られたんだって?」

「もう全部聞いてんのかよ…言っとくけど木登りの件はともかく、ラルフのことは俺だけのせいじゃないからな」

「そうだとしても、アレキサンドラ様が即位された時には側近として政務に関わることになる。その時のためになるべくお互い衝突しないよう心掛けないと駄目だよ」

「わ、分かってるっての……だから腕離し…いででででっ…!!」

「この家の次期当主としてはこれぐらい強い力は必要だからね?」

「分かったから離してくれ!!なんなんだよこの馬鹿力は!!あんた本当に病人かよ!!」

病がちになる前は、こんな感じで兄は次期当主として何もかも優れていた。俺じゃなくて兄上が次期当主のまま、将来は安泰になるはずだった。

兄上だったら、堅物陰険野郎のラルフ相手でも上手くやれたかもしれない。それだけでなく、兄上は優秀でありながら俺とは違って謙虚で控えめだから、周囲からとても慕われていた。

待望の王太子アレキサンドラが誕生した時には、ラルフと共に側近として王を導く存在になり得るとして、非常に期待された人だった。


しかし、運命は兄上に対して非常に残酷だった。


アレキサンドラが遊び相手として兄上をやっと認識し、慕うようになった頃から、兄上は体調を崩すようになった。

その日を境に、兄上は病がちになり、ベッドから出て歩いているだけマシと言える状態になってしまった。


長男に期待していた親父は、非常に悩んでいたらしい。当時から野蛮な悪戯者だが、跡継ぎではないからと半ば放任していた俺を跡継ぎ候補にするべきなのかと。

しかし、結局アレキサンドラの遊び相手代理をしているうちに気に入られたことから、放任されていたはずの俺は跡継ぎ候補となってしまった。


別に兄上を責める気持ちはない。

俺は優秀なのに威張らず、分け隔てなく優しい兄のことが好きだった。それに、俺の家は表向きは裁判を執り仕切り、裏では拷問官を担うと決められており、今は親父が担っている。

正直、この優しい兄に拷問官などという過酷な任務は向いていないと思う。ある意味では、俺みたいに野蛮で悪戯者で、悪事や謀、暴力に対して抵抗がない人間の方が合っているのだろう。二役に分けるという考えを持てない親父とその先祖代々の頭の堅さは誠に嘆かわしい。


(あんなサイボーグ人間の鬼ジジイの元に生まれなければ…兄上は病弱になっても自由に生きられるんだろうな…)


お互いこんな家に生まれなければ、貴族でなくても普通の家に生まれていれば、今よりもっと自由に生きられたはずだったのに。

兄上なら、優秀な上に心優しい青年として周囲に慕われ、貴族であれば政治の面でも手腕を奮って大貴族に出世するか、市民出身なら真っ当に働いていつか綺麗な女性と結婚して幸せになれた。

俺は多分、いつもみたいにムカつく人間に悪戯をする日々を過ごしていたかもしれない。大人になれば、いずれウィルみたいに女遊びでもしていたんだろうか。

と、家に不満を持つとどうしても不毛なタラレバを想像してしまう。


「……グレイ」

「何?」

「ごめんな、僕が病弱なせいで…グレイにはもっと自由に生きて欲しいのに…」

「兄上のせいじゃないよ。大人になるまでの修行だと思ってるから、全然大丈夫」


俺も、かなり無理をしているのかもしれない。声が若干震えてしまった。

兄は「なら良いけど」と、安心したように笑っている。そうして頭を撫でられると、保っていた何かが崩れてしまいそうになる。


「……まあ、ラルフのモラハラ矯正は俺が代理のうちにしとくから!」

「だからそれが良くないって言ってるでしょ!!」


そうだ。今は楽しいことだけ考えていよう。

ラルフのモラハラ矯正に、悪戯という名のもとでのクズへの天誅。大人になるまでのアレキサンドラの小さな恋でも見守ってやるのも良さそうだ。

兄上は、絶対治る。

健康になった兄は、モラハラ矯正されたラルフと共に政務に携わり、俺は裏で拷問官の仕事をこなす。

その方が、どっちも幸せになれる。


そう考えることで、俺は崩れかけるものを何とか立て直した。




     ーーーーーーーーーーーー



一週間後の6月6日…



「あ"〜…あのクソ親父め…!終わった瞬間に拳骨やりやがって…少しは手加減しろよな…」


俺は今、親父に拳骨されてからずっと痛む場所を撫でて宥めている状態だ。今日はアレキサンドラの誕生日だったため、いつも以上に両親が厳しくなっている。


アレキサンドラには申し訳ないが、夜に行われる誕生の宴に辿り着くまで、本当に眠たい時間だった。

朝から親に叩き起こされ、大聖堂で祭儀が行われる中、俺は寝そうになる度に親父に尻をつねられた。やっと少し起きられる状態になった頃に、アレキサンドラの洗礼式が行われ、神への感謝を皆で長々と述べ、聖歌を歌い終えた。これで終われば良かったのだが、最後には大司教による説教が待ち受けていて、俺はその間にすっかり寝落ちていた。

そして、大聖堂での儀式が終わって出て行った瞬間に、親父から拳骨を喰らったのだった。


「相変わらず手厳しいよねぇ、君の父親は」

「なんだ、ウィルかよ…」

柔和だが軽薄そうな声が聞こえてきて、振り向くと友人のウィリアム・ハワード、通称ウィルが同じ年頃の令嬢を引き連れていた。

「お前こそ相変わらずお盛んだな」

「可憐な花を見るとつい手に取って愛でたくなってしまうんだよ」

俺と同じ年の癖にやたらと気障なことを言うウィルに、令嬢達は控えめな黄色い声を上げた。

根は悪い奴ではないが、女好きのこの男の見てくれだけで騙されて本当に哀れな少女達だ。

「はは、偶然だな。俺も見た目だけ美しい花を見るとつい刃物で余分なものを切り落として綺麗に生けたくなるんだよなぁ」

「うん、分かったから僕の下半身に足を向けるのはやめてくれないかな?」

「お前が寒気のすること言うからだろうが」

俺がウィルを半分脅す様子を見た令嬢達は、恐怖を感じたのか蜘蛛の子散らすように去っていった。

逃げられたウィルはやれやれという表情をしていたが、持ち前の切り替えの速さですぐに俺に向き直って話し始めた。

「それよりさ、今回の宴はなんか妙なことが起こりそうじゃない?」

「妙なこと?」

「あれ見てよ。占術師たちが何か焦った顔でお互いひそひそ話し合ってる。あんなことしたら余計に怪しまれるのにね」

ウィルが指差した方向には、数人の占術師がざわつきながら何か話し合っているのが見える。いつもこれぐらい怪しい雰囲気だから特段気にすることもないのだが、宮廷にいる占術師全員がこの様子なのは確かに妙だ。

「別に何もないだろ。アイツらの予言が当たったことなんか一回もないし、市街の占い師よりも外してるんだから」

「確かにそうだけどさぁ」

アレキサンドラの誕生の宴を機に、占術師たちが妙な予言を言い出すのは間違いなさそうだ。それでも、どうせ何の根拠もなく、よほどの馬鹿じゃなきゃ騙されないような話だろうから、気にすることはない。


占術師たちを気にしないようにしてウィルと駄弁っていると、進行役の貴族が現れ、緊張の面持ちで口を開いた。


「国王陛下、王妃陛下、王太子殿下のおなーりー!」


ようやく、宴が本格的に始まる。

合図とともに現れた両陛下と殿下達は、皆そこにいるだけで光り輝いているようで、皆揃いも揃って拍手しながら惚けていた。仏頂面の親父でさえ、少しばかり表情が柔らかくなっているぐらいだ。

まだ2歳になったばかりのグランディエを連れている王妃フローラ様は、緊張の面持ちで進むアレキサンドラを優しい眼差しで見守っている。聖母のように柔和な美しさを持つ王妃に、隣にいる女好きのウィルがぼそっと「陛下が羨ましい」と言っていた。不敬すぎる。

母譲りの金髪と深い緑色の瞳を持つグランディエは、何が起きているのかあまり理解していないらしく、母のフローラ様を時折見つめている。


そして、柔らかい雰囲気でありつつも全てを圧倒する威厳のオーラを放っている国王アウィンは、一つに結ばれた長い髪を蒼銀の美しさで優雅に魅せており、父から同じものを譲り受けたアレキサンドラは、主役でありながら完全に父に見惚れていた。


御三方が玉座の前に着くと、皆静まり返った。そのタイミングで、国王陛下が口を開いた。

「皆の者、今夜は我が息子アレキサンドラの誕生を祝いに来てくれたことに心から感謝する。至らない点もまだまだあるだろうが、私とフローラの大切なアレキサンドラのことを末長く支え続けることが、私からの皆への願いだ」

本当に国王陛下は息子達を大事に思っていて、おまけに愛妻家で心から尊敬できる方だ。

うちの恐妻家サイボーグ親父とはまるで正反対だと感じさせられる。

「今日は心ゆくまで楽しんで欲しいが、その前に宮廷の占術師から伝えたいことがあると願い出があった。妙なことを言おうものなら却下しようと思ったが、何やら大切なことが起こるらしい。信じるかは皆の心次第だが、どうか付き合ってやってくれ」

国王の話が終わり、これから皆で飲み食いできると思ったら、まさかの占術師たちが国王に直談判したと聞かされ、俺は占術師を心から恨んだ。


「あのペテン師どもが…宮廷の物好きな貴族の占い師として置いてくれている国王陛下の温情に付け込んでほんとに図々しい奴らだな」

「やっぱり何か言い出すつもりだねぇ、あの占術師たちは」


ざわめく空気の中から、怪しげな風貌の占術師の代表が現れ、皆その女に注目した。


「……国王陛下、この度は私どもに皆の前で予言する機会を与えて下さったこと、誠に感謝いたします」

「して、お前達は一体何を伝えたいのだ?」

「それは……」


ゴクっと周囲が生唾を飲み込む音が聞こえるほど静かな空間の中で、女はアレキサンドラを見上げた。


「ディアナ王国の元に、天界から天使が人の姿に変えてもうすぐ誕生する時が来ます」

「ッ!?」

「何だと…!?」

「天界から天使…!?」

何を言い出すかと思えば、国が滅ぶとか病が蔓延するとかよりも根拠がなくしょうもない話だった。

ざわめく空気の中で俺は呆れ返り、もう何も聞かないことにした。それでも、女はまだ話を続けた。

「その者は貴族ではなく、"特別な出自"の民から生まれます。ですから、現れた暁には教会が聖女として迎え入れ、成長後に王太子殿下の妃とすれば、この国は永遠の幸福に包まれるでしょう」

あまりに大それた予言で、周囲のざわめきは騒々しくなっていく。

隣にいたウィルは、もう聞く気がないとばかりに令嬢に話しかけ始めている。しかし、俺はその予言を聞いた時、思い当たる存在が頭に思い浮かんでいた。


(特別な出自…そういえば二年ぐらい前に東洋から誰かがこの国に逃げてきたって噂が街であったよな…?まさかその娘が……?)


噂のことを考え始めたら、俺はその予言を何の根拠もない馬鹿馬鹿しいものとして受け取ることができなくなっていた。




     ーーーーーーーーーーーー



市街にて……


多くの店が並ぶ街中で、ぽつんと佇む小さい家では、一人の妊婦がベッドで横たわっていた。


「っ……もうすぐ生まれるのね……」

「大丈夫だよ。出産の時も僕がそばに居るから、君はお腹の子と自分を大事にね」

出産を控えて不安そうにしている妻に、夫は安心させる言葉とともに白く滑らかな手を握る。しかし、妻の方はまだ不安を隠せない表情だった。

「私は良いの…それよりこの子が将来苦労することになるのが……」

「…………この子が大きくなった頃には、きっと皆誰にでも優しい世界になるはずだよ。だから、諦めないで」

夫は、涙を流す妻の美しく長い黒髪を撫で、優しく抱きしめた。


妻の流れるように美しい黒髪は、このディアナ王国の人間にしては珍しく、東洋人によくあるハリと艶が強い髪質だった。


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