窮屈な箱庭
親父から強烈な拳骨を喰らった俺は、声すら上げられないぐらいの痛みで悶えるしか出来ない。最早たんこぶから湯気が上がっててもおかしく無いレベルだ。
あまりの痛さに頭を抱えて蹲っていると、親父はいつもの説教を始めた。
「全く…殿下に対して木登りが出来たら遊んでやるなどと意地の悪いことを言いおって…!」
「エドワード、グレイを怒らないで。僕が先に木登りしたいって言ったんだよ」
「いいえ、この馬鹿息子には最低でもこれぐらいは必要なのです。それよりも殿下、愚息が多大なるご迷惑をおかけし」
「ジルコニア公爵が謝る必要はありませんよ。全てはグレイ自身の責任です」
親父がアレキサンドラに謝る最中、クソが付くほど生真面目で堅物な物言いが聞こえてきた。ただでさえ親父で嫌気が差している中で更にげんなりさせられる気分だ。
(うげ…うるさいのが来やがった…頼むからこれ以上口うるさい奴を増やさないでくれ…)
天敵ラルフは、アレキサンドラの視界に被さる形で俺の前に立ちはだかった。相変わらず俺をアレキサンドラには見せられないモノみたいに扱いやがる。
「お前の父君が偶然ここにいらっしゃることがなければ、殿下は木登りで怪我をしていたかもしれない。先ほどのお前のように落下してしまうだけでも恐ろしいことなのに、最悪の場合は命に関わる可能性もあった。そのことを理解した上で木登りをさせたのなら問題外だぞ。なのにお前は反省の態度もろくに見せないのか?」
「あー…すいません…」
「ラルフ君の言う通りだ、グレイ。殿下から遊び相手としてお気に召されているからとはいえ、このうような危ない遊びに誘うなど何を考えているんだ。お前はそこに思慮が及ばぬほど馬鹿ではないはずだ」
「いいえ、ジルコニア公爵。貴方の御子息は今回だけでなくいつもこのような野蛮な遊びをしておられる。それを嬉々として楽しんでる様子からして、失礼ながら愚かとしか思えません。謝れば良いというこの舐め腐った態度も含めて」
ああ、本当にうるさい。
とりあえずアレキサンドラの見てる前で説教するのだけはやめろ。
服をギュッと掴み、罪悪感に沈んだ顔を見る限り、自分のせいで俺が怒られていると思い込んでいるかもしれない。
「……お前も少しはラルフ君を見習いなさい。せめて殿下の命に関わる事態だけはこれ以上起こさないでくれ」
「…………ねぇ…………めて……」
この二人には聞こえていないのか。アレキサンドラの小さな訴えが。
あんなに大袈裟に心配していたくせに、ほったらかしにしてでも俺に説教をしたいのだろうか。
「言っておくが、それが出来るようになってやっとまともなのだからな。お前が野蛮な行動をしないように心がけるのは到底無理なのは分かっている。それを考慮した上で俺はこう言ってるんだ」
「もうやめてよ…僕が……」
「公爵家で生まれた者ならばそれ相応の振る舞いを身につけるべきところを、こんな初歩的なことから説教をしなければならないなんて…」
「やめて…ラルフ……っ…」
ラルフを制止しようとしているアレキサンドラの声は徐々に震え始めていく。
それでも聞いてもらえなくて目に涙が滲んでいるのが見えた途端、俺は一気に頭に血が上った。
「おい!ラルフ!!!テメェは自分が守るべき王太子殿下の話をろくに聞く気すらねぇのか!?殿下はずっとお前に止めろって言ってんだよ!!!」
「っ……!!で、殿下…今はグレイのことをちゃんと叱らねばならない状況で…」
「それを聞かされていた時の殿下の顔を目ん玉引っこ抜いてよく見てみろ。目の前で説教を見せられて泣きそうになってんだろうが。それも自分が遊びたいって言ったから俺が怒られたっていう、最悪の見せしめの状態で」
「なっ……殿下のせいでこうなったとでも言いたいのか!?」
「だからさぁ、そういう言い方が殿下にとって辛いものになってんのがなんでわかんねぇんだよ!!ちったぁ学べよ堅物陰険野郎」
「ぐっ………〜〜〜っ…殿下、見苦しいところをお見せして大変申し訳ございませんでした…」
ラルフは謝るまで凄い悔しそうな顔をしていたが、そんなに俺に説教をされたのが気に食わないのか。それほど俺のことが嫌いなのを隠そうともしないのは、逆に感心してしまう。
「グレイのこと…もう怒らない…?」
「そ、それは……」
言い淀むラルフに、俺は心底呆れ返った。そこは取り繕ってでも怒らないと言えば全て丸く収まるというのに。
「本当にラルフ様は呆れ返るほどの正直者ですね。その点は是非とも見習いたいものです、父上?」
「グレイっ…またお前は…!」
「それは嫌味のつもりか!?元はと言えば貴様がっ…!!」
あまりに取り繕わないものだからつい嫌味を言ってやると、ラルフは案の定怒りに任せて胸ぐらを掴んできた。
「ははっ、白黒付けるためにいっそ喧嘩でもいたしますか?それこそ次期国王アレキサンドラ様に判断していただくのも良いでしょうねぇ?」
「こらグレイっ…!ラルフ君に喧嘩を売るのをやめないか!!ラルフ君も落ち着きなさい!」
「剣で雌雄でも決します?ああ、申し訳ございません。剣術は苦手とお聞きしていたのをすっかり忘れていました。今回は貴方の得意分野に合わせてあげますよ、ラルフ様?」
「貴様ァッ!!!その減らず口を今すぐ縫い合わせてでも黙らせてやる!!!!」
完全に挑発に乗せられたラルフは、俺の顔に向かって拳を振り上げた。
「あら、こんなところで一体何を騒いでいるのかしら?」
『ッ………!?!?』
ラルフの拳が直撃しかけた時、俺のよく知る恐ろしい声が聞こえてきた。
その場にいた俺だけでなく、ラルフや親父までその声を聞いてビクッと怯えていて、三人で恐る恐るその声の主を確かめた。
「は………母上…いつからそこに…?」
「貴方が木から落ちた時からずっとよ?今日も元気いっぱいに遊んだみたいね」
最悪だ。
母上がずっと見ているとも知らずにラルフに喧嘩を売りまくり、危うく乱闘までしようとしていたなんて、俺は今日が命日なのだろうか。
否、今回は俺だけじゃない。
殴りかかろうとしたラルフや、母上が来るまで止められなかった親父もその対象になるに違いない。
母上はチャコールグレーの少し長い前髪から見える、俺と同じ薄紫の目はまず先にとラルフを見据えた。
見据えられたラルフは、母上への恐怖で冷や汗をかきながら、若干震えた声で挨拶をし始めた。
「ジルコニア公夫人… ご無沙汰しております…」
「ええ、久しぶりねラルフ。先ほど貴方らしからぬ乱暴な振る舞いが目に入ったのだけど?」
「そ、それは…グレイが……」
「言い訳は結構よ。いくら我が息子にに問題があったとはいえ、殿下をこんなに怖がらせてまでグレイを責める必要があったとでも?」
「い、いえ……あり……ませんでした……」
母上に正論で詰められ、ラルフはすっかり小さくなっている。ムカつく奴だが、母上が怖いのかあまりに萎縮している様子で、流石にちょっとだけ同情した。
しかし、怯えたように母上にくっついているアレキサンドラを見ると、やはり今回のラルフはこれぐらいされても当然だと思った。
「い、イザベラ…後は私がどうにかするから殿下を…」
「喧嘩を止めることばかりに気を取られて殿下を放置した貴方が仰るのですか?」
「ぅ……す、すまない……王太子殿下、この度は親子共々本当に申し訳ございませんでした…」
親父がなんとかこの場を収めるという形で逃げようとしたが、母上にはどうしても勝てないらしい。ラルフと同じように小さくなった親父は、アレキサンドラに深々と頭を下げて謝罪した。
「良いよ…だって、僕のせいだから…」
しかし、アレキサンドラは今回の騒動を完全に自分が発端だと思い込んでしまったようだ。
まだ落ち込んだように母上にぎゅっとしがみつくアレキサンドラに、母上はしゃがんだ状態で向き直った。
「アレキサンドラ様、貴方様のせいではありません。全ては我が息子グレイが屋敷を抜け出して木登りをしてふざけたことと、ヴィクトワール公の御子息ラルフが全くもって必要のないことまで説教をして喧嘩に発展させたのが始まりです。ですから、この二人のことでご自分をお責めにならないで下さいませ」
「っ……うん…ありがとう、イザベラ…」
間接的に俺やラルフをオーバーキルしてきたが、肝心のアレキサンドラは母上のおかげで立ち直れたようだ。
「殿下、グレイの従者でよろしければ暫しの遊び相手に如何ですか?」
「ッ!!うん!ジャンも好きだから良いよ!」
「ジャン、アレキサンドラ様の遊び相手になって差し上げなさい」
「は、はい!承知いたしました!!」
元気を取り戻したアレキサンドラは、母上に呼ばれて近くに居合わせていたジャンと一緒に遊び始めた。
その様子に安心……する暇など母上は与えてくれそうになかった。
「さてと…グレイ、屋敷に戻ったら話があります。エドワード、貴方もですよ。それとラルフ、貴方の父君の耳にも入ってるようだから、相応の覚悟はしておきなさいね」
「ヒィッ………は、はい……分かりました…」
「………わかった…」
「……………覚悟しておきます…」
アレキサンドラがジャンと楽しく遊んでいる間、お互い屋敷に戻り、俺と親父は母上に、ラルフはヴィクトワール公にこってりと絞られた。
そして、俺は当分の間木登りを禁止されたのだった。
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「あ〜…マジで怖かった……親父と違って拳骨したり怒鳴るとかはしないけど説教の前から人殺しそうなオーラ出てんだよなぁ…」
夕刻になってようやく母上の説教から解放された俺は、息抜きに屋敷の中庭に来ていた。
親父への追加の説教が終わるまで、俺は部屋に戻らず、中庭で過ごすことにした。
「………レイ…!」
「あ?」
「グレイ…!来たよ!」
「は!?ちょ、なんでここに!?」
帰ったはずのアレキサンドラが何故かまだ屋敷の中庭にいて、俺は驚きのあまり後退りしながらコケそうになった。
「だってグレイと遊びたかったのに結局遊べなかったから…」
ジャンと遊ぶだけでは満足できなかったのか、アレキサンドラはずっと俺を待っていたらしい。だが、流石にこんな時間に王太子が外に出ているのはまずいことだ。
もしそれが問題視されれば、アレキサンドラはここに来ることを禁じられるかもしれない。公爵の中でも唯一王族と対等に接することができるジルコニア家の立場も危うくなり、アレキサンドラ自身の息抜きの場所がなくなってしまう可能性もある。
そうなってしまえば、あまりにアレキサンドラが可哀想だ。
「……今日はもう遅いから帰った方が良い。また明日遊んでやるから」
「やだ…!今遊びたいの!遊べないなら…もう少しだけ一緒にいたい!もし今帰って急に明日は遊んじゃダメって言われたら嫌だもん…」
今のアレキサンドラには何を言っても無駄らしい。俺と遊ぶことを禁じられるかもしれないと分かった上でこう言われると、帰った方が良いなんてとても言えない。
「………わーったよ!ちょっとだけなら一緒にいてやる!その代わり夕食の時間になったらちゃんと帰れよ?」
「ッ!!うん!!その時はちゃんと帰る!」
喜んだアレキサンドラは、中庭の芝生で寝転がっている俺と一緒になって、ゴロンと横になった。
アレキサンドラが帰る時には、ちゃんと服に付いた草を払っておこう。
「……グレイ」
「なんだ?」
嬉しそうにゴロゴロ転がってたアレキサンドラが、こっちを見ながら俺に話しかけてきた。
「僕……本当は木登りしてみたかったんだ」
「怖くないのか?」
「勿論怖いけど…でもグレイみたいに上手に登って、木の上からの景色を見てみたいなって思ったの」
「そう簡単にはいかないぞ。俺が何回木から落ちて親父に見られて怒られたと思ってんだ?」
「うーん、17回だっけ?」
「しっかり数えてたのかよ…今すぐ忘れろ」
アレキサンドラの頭をポンと軽く叩くと、また嬉しそうに笑った。王太子として軽く頭叩かれて喜ぶのはどうなんだと思ったが、まだ子供だから仕方ないということにした。
「なぁ…アレキサンドラ」
「なに?」
「ラルフのこと、どう思ってんだ?今日みたいにずっと口うるさい奴が従兄弟として側に居るのは平気か?」
「僕はラルフのことも好きだよ。いっぱい本を読んでくれるし、お勉強も分かりやすく教えてくれるから」
本当は、アレキサンドラが自分の近くで行動を制限してくるラルフのことを負担に思ってるのではないかと心配だった。今日も俺に説教するラルフを見て怖がっていたようだから、常に抑圧されているかもしれないのではと思っていた。
しかし、本人はラルフのことも気に入っているらしいので、それは杞憂だったようだ。
「でも僕はグレイの方がもっと好きだよ!面白くていっぱい遊んでくれるし、背が高くて格好良いし、意地悪な時もあるけど優しいし、それに…他の人とは違って僕のことをちゃんと見てくれるから…」
「……ああ、そうかよ。そりゃどうもな」
面と向かって言われるとなんとなく照れ臭い。
本人の誰にも言えないであろう複雑な胸中までも聞くと、俺はなんとなくアレキサンドラの頭をわしゃわしゃと撫でたくなった。
「えへへ、くすぐったいよ〜」
「もうお兄様なんだろ?俺が撫でるばっかりじゃなくて、今度はお前が弟にしてやるんだぞ?」
「うん、大丈夫だろ。グランディエ可愛いから毎日撫で撫でしてるんだ」
「……そうか。ならそれで良い」
いつまでも俺について回ってばかりじゃダメだと言おうとしたが、幼いながらに兄としての自覚があるなら十分だ。
まあ、俺も俺で王族相手だが弟が二人できたようなものだから、特に赤ん坊の頃から一緒にいるアレキサンドラのことは結局甘やかしてしまうらしい。
「………サミュエルも早く元気になったら良いな。また一緒に遊びたい」
「……………ああ、そうだな」
本当なら俺は、今まで通り"野蛮で悪戯者の公爵子息"として好き勝手過ごしても、何も言われず放って置かれる立場だった。
そして、アレキサンドラとは年に数回顔を合わせる程度の仲にしかならなかった。
今アレキサンドラの隣にいるはずだったのは、サミュエル━━俺の兄だった。
久々のラルフは相変わらずモラハラ系ですね笑
そしてアレキサンドラ、この時はまだ大人しくて頼りなげな感じ。元々は弟達より内向的というのは最初から決めていましたが、大人になっても割とその片鱗は見えている…はず笑




