懐かしき人
1ヶ月経っても、サラとの関係は最悪なままだった。
偶然顔を合わせたり、人としての礼儀作法の教育をする度に、サラとは喧嘩ばかりしている。
サラ自身の父親とその他の男性達に代わって、嫌いな男の対象とされたのが一番の要因だろう。俺のことを、人の心が全くない外道を見るような目で見てくる。
こんなクソ生意気なガキなど、喧嘩するぐらいなら放置してやりたい所だ。しかし、そうはいかない。
サラには、ちゃんと成長の見込みがある。旦那様や他の人だけでなく、俺自身もそう感じている。何も期待ができない人間なら放置しても周りも何も言わないため、教育係の俺は絶対に関わらないといけないのだ。
(だとしても…喧嘩になると毎回面倒なのは変わらねぇんだよな…)
そう思いながら、頼まれていた本を旦那様の所まで届けに向かう時、向こうから顔を合わせたくない人間が来ていた。俺に気づくなり、向こうもあからさまに嫌そうな顔をした。
「げっ…」
「何だよその顔は…俺がなんかしたかよ?」
「自分の胸に聞けば?ま、聞いたところであんたには一生分からないだろうけど」
正直、女じゃなければ胸ぐら掴んでいるところだ。
サラはこの場所で過ごすうちに、日に日に嫌味と煽りを覚えてきやがる。それに伴って言葉遣いは少しずつ丁寧にはなっているが、まだ語彙力なく罵倒していた頃のがいっそ可愛げがあるとさえ考えてしまう。
「はは、心配するなよ。俺はちゃんと理解している。俺に喧嘩を売りたくて仕方ないから、煽るために言葉遣いも直して語彙力を増やしてるんだろ?本当にサラちゃんは努力家だな」
「サラちゃんって呼ぶな気持ち悪い!!自意識過剰も大概にしろ!!」
煽りに乗せられてしまったサラを無視して、俺は「はははは」とわざとらしく笑いながら仕事に戻った。この俺を煽って怒らせようとするなど、100万年早いんだよ小娘が。
「旦那様、ご所望の書物をお持ちしました!」
「ありがとう、グレイ。それよりサラの怒る声が聞こえたみたいだけど…」
「ははは、恐らく野良猫の鳴き声ですよ」
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翌日…
「グレイ君ってば教育でもないのにまたサラちゃん虐めたの?教育以外では意地悪するの止めれば良いのに。そんなことばっかりしてるからサラちゃんに嫌われんじゃないの?」
サラの保護者その1であるレイラから、早速サラのことで小言を喰らった。告げ口されるだろうとは想定していたが。
「俺だって楽しく会話したいんだが向こうから喧嘩ふっかけてくるんだよ」
「サラちゃんはグレイ君が煽って怒らせてくるからだって言ってたけど?」
「じゃあ先輩のレイラさんからスルースキルって言うのもちゃんと覚えた方が良いって伝えておいて下さーい」
「あっ、こら!待ちなさい!!まだ話は終わってないよ!!」
レイラには悪いが、流石に付き合ってられないので、俺は適当に流して持ち場に戻る。
実際、俺とサラの関係の悪さはほぼ相性の問題だ。流石にあのモラハラ野郎のラルフより可愛げはあるものの、嫌いなら避ければ良いのにわざわざ突っかかるサラもサラだと俺は思う。しかも、いつの間にか俺以外の人間をほぼ全員味方に付けているのが厄介だ。
だが、2年前のジョゼフもクソ生意気だった俺に対して同じ…否、それ以上に厄介に思っていたはずだと考えると、サラなど自分にだけ懐かない猫ぐらいに捉えた方が良いのかもしれない。
俺は正直、向こうが仲良くする気がないなら放っておきたいが、周囲はそのせいでますます険悪になることを良しとしないだろう。
(ああ…少し前までは平和だったのにまた面倒くさいことになりやがった…)
休憩で部屋に戻るために移動していると、また嫌なタイミングでサラを見つけてしまった。
しかし、今回はサラが窓拭きをしている最中だった。気配を消して通り過ぎるか、別の場所に戻れば、突っかかられずに済む。
絶対バレない選択として、俺は別の場所に移動しようとした。
「ッ!?うわっ…!!」
梯子から降りようとしたサラが、バランスを崩して落ちそうになった。
(っ!あのバカ…!!)
助ける気など、無かったはずだった。あの梯子の高さなら、落ちてもそこまで怪我はしないことも、サラが落ちる前から頭では分かっていた。
「ッ……痛………くない?」
「お前っ…ちゃんと足気をつけろよ…!」
俺の身体は、勝手に動いていた。
それでも、サラの頭が床にぶつからないよう手を添える、という所までは完璧だった。しかし、そこからは自分でも想定外のことが起きていた。
頭を支えに行った拍子に、俺もバランスを崩して一緒に倒れ込み、サラを押し倒す形になってしまった。
その上、サラとの顔の距離が近い。今にも、唇が触れてしまいそうだ。見下ろしているサラの顔が、なぜか赤く染まっていく。
「ちょっ…あんた…近い…!」
「ッ!!わ、悪いっ…!それより、窓拭きはまだレイラと一緒にやれ」
「っ…分かってるっての…!!その…ありがと…」
「え?」
「何でもない!!」
サラはさっさと梯子を片付け、別の掃除場所まで足早に去っていく。
近いと言われ、その後殴られるか蹴られると思っていた。そうされても仕方ない状況だったが、手が一つも出てこなくて、俺は内心戸惑った。
あんなに顔を真っ赤にさせていたのだから、恥をかかされたとか、嫌いな男と至近距離だったのが相当嫌で堪らなかったはずだ。
「………あいつ、俺を殴るのも嫌になるほど嫌いになったのか?」
「グレイ君ってば鈍感すぎ」
「僕のことは見抜けるくせに自分のこととなると本当に鈍いな…お前は」
何やら様子を見ていたらしいレイラとジョゼフに鈍感だの何だの散々な言われようをされたが、俺には何のことだかさっぱり分からない。
(あの様子じゃあ、もう当分喧嘩も売られなくなるんだろうな)
本気で怒らせたからもうしばらくはサラと口も聞けない。そう思った時、胸の内側が少しだけちくりとした。
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もうサラとは当分話せない。
そう思っていた翌日から、よりによって旦那様からサラと一緒にお使いを頼まれてしまった。鈍そうな顔して、本当はわざとやってるのではないかと言いたい。
旦那様に頼まれたのは、奥様が使う画材だ。いつもは人見知りで人前に出るのが苦手な奥様のために、旦那様が代わりに行っていた。だが、今回は旦那様が宮廷に用事があり、代わりになるはずだったジョゼフとレイラも同じく何らかの用事があって行けないらしい。
そんな理由もあり、手が空いていた俺とサラが任されてしまったというわけだ。落下未遂事件が起きて一日しか経っていないのに、こうして俺と一緒に出かけるなど、サラも不運なことだ。
「あー…なんか、悪かったな。付き合わせて」
「っ……べ、別に暇だったし良いけど?」
憎まれ口を叩かれることを覚悟で一応謝ってみると、サラは存外にも怒らなかった。ただ、また頬が赤くなっているため、怒りを無闇に表に出さないことを学んだのかもしれないと俺は思った。
「そうかよ。んじゃあ、とっとと終わらせて帰るぞ」
「……分かってる」
それにしても、いつもと違って素直だ。不気味にも感じられるほどで、後で改めて怒ってくるのではないかと思えて仕方ない。
(そういえば…街中に来たのはいつぶりだろうな…)
サラと歩く街中の景色は、初めて家出をした時の街並みとそっくりだ。
治安の悪い街並みと、酔っ払いが集う酒屋と娼館の代わりに、子連れや夫婦で来ている市民達が楽しむ普通の飯屋と雑貨屋が並んでいる。それぐらい違いはあれど、この騒がしい雰囲気だけでどことなく懐かしさを覚えてしまう。
(レオンの所に来るまで…色々あったよなぁ)
家出をして、酒屋で金を盗まれかけたこと。
娼館で下働きになり、そのきっかけとなったエリアーナ改めエリザにいつの間にか恋心を抱いたが、叶わなかったこと。
そこからはなんとなく自暴自棄になって娼館で働くのをやめ、小金持ちのご婦人や令嬢に売春まがいのことをしながら生きたこと。
その最中で、親に縛られる哀れな少女を助けられず、本気で怒りと悔しさでいっぱいになったこと。
レオン・グレイスの元で執事見習いとなってからも、忘れたことは一度だって無い。
「……アンタ、どうしたの?なんかぼーっとしてるけど」
「あ?街中なんか来たことないから新鮮で見惚れてただけだ」
相も変わらず、真実を混ぜた嘘を吐くことだけは立派にできてしまう。不審がられていることも気づかずに思いを馳せた所で、ここの街中には俺の知ってる人間はいないのだから、早く終わらせて帰ろう。
変に勘付かれる前に、俺とサラは目的の場所に向かおうとした。
「………グレイ?どうしてここに?」
「ッ……!!あ、あんたは……」
なぜ俺はこんな時に限って、引き寄せられてしまうのだろうか。隣にはサラもいるため、会うのは脚力避けたかったのに。
長いブロンドの髪に、芯の強そうな瞳。前とは違う所と言えば、服装が清楚で、赤い口紅は使わず薄化粧であることぐらいだ。
「こんな所で会うなんて久しぶりね、グレイ。ちょっと縦に大きくなりすぎたんじゃない?」
「………エリ…ザ?」




