近くて、遠かった心
クソ親子が来てから一週間経った後の、ジョゼフ視点の話。
一週間経っても、クローズ家の夫妻から放たれた言葉が頭から離れない。
"人とも呼べない存在"
"化け物"
"同じ空間にいるだけで穢れる"
貴族の中でも侯爵という上流階級の家に引き取られた時点で、ある程度の差別は覚悟していたはずだった。
自身が純粋な東洋人ならまだしも、東洋人の祖母の血を引いている混血のディアナ王国民だ。東洋人との混血は、世間では穢れた東洋人とわざわざ東洋人を選んだ愚か者の国民との間に生まれるか、その二人の血を引いている悍ましい存在とされる。
周囲から虐げられる可能性もあったにも関わらず、グレイス家の旦那様や奥様、レイラさんや使用人達は皆、僕を差別せず対等に接してくれていた。
そのことで、僕はすっかり自身が悍ましいとされる存在であることを忘れていた。今までが優しすぎただけで、世の中での反応はクローズ家の人々と大差ないことも。
一週間前、僕はレイラさんがトニー・クローズに弄ばれそうになったことに、身分も弁えず怒りを露わにしてしまった。
あの時は、こんな穢らわしいガキにレイラさんが良いようにされてたまるかという気持ちだけだった。しかし、クローズ家から罵倒を受けてからは、その怒りは自身に向けられ、罪悪感をも抱いた。
トニーよりも自分の方がもっと穢れた存在で、人とも呼べない化け物に、レイラさんを守る資格などない。トニーがいくらクズだろうと、レイラさんにとっては元の身分である貴族に戻れる機会を奪ってしまったかもしれない。
これ以上レイラさんの側にいたら、貴族に戻れる機会を奪ってしまうことになる。僕のような、東洋人の血が混じった人間と関わりがあると言うだけで。
レイラさんが幸せになるためには、僕はこのグレイス家を去るべきだ。元貴族だと知った時点で消え去ったはずの恋心も、ここで改めて殺しておかなければ耐えられない。
グレイス家の執事として相応しくあれない自分に、これ以上失望したくない。
そう決めて、荷造りを始めようとしていた時だった。
「ジョゼフ…?何で荷物まとめてるの…?」
「ぁっ………レイラ…さん…その、これは…」
最悪なタイミングで、レイラさんに見つかってしまった。
辞める前に一度話をしておこうと思っていたのだが、その前に知られた今、確実に引き留められる。だったら、いっそ辞めるとはっきり言ってしまおう。
そう思った僕は、緊張で喉を鳴らして口を開こうとした。
「もしかして…辞めるつもりなの!?」
「っ………はい…」
「なんで!?ちゃんと説明してよ!!」
自分の口で打ち明ける前にレイラさん理由を尋ねられて、僕は誰かに聞かれた時のために練習してきたように話を始めた。
「……僕がここに居続ける限り、旦那様と奥様だけでなく、レイラさんやここにいる人達にも……グレイにも迷惑をかけることになるので」
「私は勿論だけど、旦那様や奥様も絶対ジョゼフに対して迷惑だなんて思ってない!だからっ…」
「いえ…これ以上旦那様のお手を煩わせるわけにはいきません…」
「そればっかりじゃわかんないよ!本当の理由教えてよ!」
本当の理由など、言えるわけがない。
旦那様や奥様に迷惑をかけたくないのも理由の一つだが、一番はレイラさんのためだ。
理由を聞けば、きっとレイラさんに気を遣わせる。"自分のためにそこまでしなくて良い"と、言わせたくない。
「……本当にいなくなるの?辞めたい本当の理由も何も言わないの?何も言わずに辞められるぐらいなら…なんで辞めたいのかちゃんと教えて…お願いだから…」
涙声で訴えるレイラさんの顔は、真っ赤になっている。涙を流しながらも、大きい目は僕を捕らえていた。
泣かせてしまったことに、僕は理由を言わずに辞めるべきではなかったと反省する。
最後に見るのがレイラさんの泣く顔なのは、どうしても耐えられない。
「すみません…ちゃんと話します」
『レイラさんの側にいつまでも自分がいたら、良い人が現れても遠慮されてしまう。だから、すぐに離れるべきだと考えました』
こう言えば良い。
余計なことは言ってはならない。
拳を握り締めて、口を開く。
「僕は……っ…僕は、レイラさんのことを初めて会った時からずっとお慕いしておりました…優しくて、どんなに辛い時でも僕を元気づけてくれて色んな表情を見せる可愛らしい所が、とても愛おしかった。それが叶わぬ恋だと分かっていても、レイラさんに良い人が現れるまではと思い、陰ながら支えるおつもりでした」
違う。僕はそんなことを言うべきではない。
レイラさんを泣かせるだけでなく、困らせてしまう。
「でも…クローズ家の人間に言われた言葉で…それすらも許されないと感じた。僕みたいな混血で元々闇家業をやってたような奴が側にいるせいで、レイラさんが貴族に戻れる機会を永久に失うと思って…ここを去ろうと決めました」
嗚呼、全てを話してしまった。
想いを寄せていることだけでなく、初めて会った時から恋心を抱き、良い人と出会うまで支えるなどという、レイラさんにとっては身勝手な気持ちを。
僕がわざわざそんなことをせずとも、レイラさんの元には必ず良い人が現れるというのに。
「レイラさんには、この先良い人が現れます。貴方のような素敵な女性であれば、気質の良い貴族にすぐ見初められるでしょう。そうなれば、レイラさんは貴族に戻れ…」
「ジョゼフより良い人なんていない!そもそも貴族に戻りたいなんて考えたこともない!!それに…私はジョゼフとここで永久に会えなくなる方がずっと嫌!!貴方と離れるぐらいなら、貴族の身分なんていらない!!」
「っ………!!!」
菫色の瞳から再び涙を溢しながら、レイラさんはそのまま僕に抱きついた。
女性が軽々しく触れるものではない、僕を選んでは駄目だと、言いたかった。
しかし、自身の口はその言葉を紡ごうとしない。拒絶しなければならないと分かっていても、涙を流してでもくれた言葉があまりに嬉しくて、無碍になど出来なかった。
鼻を啜って肩を振るわせていながら、レイラさんの抱きしめる力はますます強くなっていく。
「っ……ジョゼフ…私、ずっと前から貴方のことを愛していたの…最初は年が近くて、後輩として放っておけないと思ってただけだった。でも…私が辛い時や苦しい時にはいつも相談に乗ってくれて…ほんの少しの不調でも自分のことのように心配してくれるから…いつの間にか側にいて欲しいって願ってた…」
「そ、それは…受け入れてくれた恩を返したいと思っていたのもあったので…」
「他の使用人も同じように受け入れてたでしょ。それでも私にしたようなことまではしなかった。だから私は…今ジョゼフに言われるまでは自分が特別だって勘違いしそうになってはそんなわけないって戒めてたの…」
僕は、夢でも見ているんだろうか。
儚く消えた初恋だったはずが、レイラさんが同じ気持ちだったという、あまりに都合の良い幸せすぎる夢を。
「ジョゼフ…誰に反対されようと、私は絶対に貴方と一緒が良い。ジョゼフのことだから苦労すると思って遠慮してるんだろうけど、私がここまで言ってるんだから覚悟ぐらい決めてよね…」
「っ……!僕も…レイラさんとずっと一緒にいたいです…!どんな困難があろうと…絶対レイラさんことを守りますから…!」
絶対触れてはならないと浮かせていた手を、レイラさんの背中に回した。
レイラさんにここまで言わせておいて、覚悟も決められないようでは自分に失望してしまう。絶対に守り抜く覚悟を持たなかったせいで、レイラさんを他の男に奪われる後悔だけはしたくない。
「ふふっ…!ジョゼフ…泣き過ぎ」
「えっ!?あ…眼鏡に涙が…!」
格好良くいたかったが、僕はやはりレイラさんの前では格好悪い所まで見せてしまう。だが、眼鏡を外したら目つきの悪さで怖がらせてしまうかもしれないと、外す前に何とか顔を見せないようにする。
が、顔をレイラさんにぐいっと動かされ、強制的に目が合う形になった。
「外して良いよ?久々に素顔見たいなぁ」
「っ……怖かったら顔埋めといて下さい」
覚悟を決めて、眼鏡を外した。レイラさんの前で顔を見せるのは、いつぶりだろうか。
「私はジョゼフの顔を怖いなんて思ったことないよ」
唇に柔らかいものが触れる。
その一瞬で顔中に熱が集まり、爆発してしまいそうだった。だが、その程度で狼狽えているようでは情けないと堪え、レイラさんを改めて自分から抱きしめた。
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『ジョゼフ君。万が一にもあり得ないことだが、もしうちの娘に良い相手が現れなかったら…君が貰ってやってくれ』
『えっ!?僕なんかにそのようなことを…』
これは、まだレイラさんの父であるアドルフ・ガードナー男爵が生きていた頃だろうか。僕が確か、18歳になった年のことだ。
懐かしい記憶を夢に見ているが、アドルフさんと僕の姿を遠くから眺めている感覚だ。
既にレイラさんを諦めた後であろう僕は、その提案に心底戸惑っているようだ。
『うちの娘はお前をえらく気に入っている。本来は、少なくとも私よりは身分ある青年に目をかけていただくのが一番の理想だ…だが、それが叶わないのならという話だ』
『……レイラさんと僕では身分違いにも程があります。僕はそこらの市民よりも卑しくて…』
『どこぞの訳のわからない馬の骨にくれてやるぐらいなら、素直で生真面目で優秀な執事であるお前の方が余程良い。もしそうなっても、レオン様も反対しないさ』
この時の僕は、アドルフさんの最後の言葉は全てお世辞だと思っていた。身分卑しい上に知らない男に渡すぐらいなら僕の方がマシという意味の上で。
本当に僕と結婚することになったら、こんな闇家業出身で東洋人との混血の男などと、思うに違いないとすら考えていた。
『……なんとしても、レイラさんのために身分だけでなく人柄も素晴らしい貴公子とのご縁が出来ますよう、尽力いたします』
これは、本心のはずだった。レイラさんのためなら、僕の気持ちは押し殺してでも素晴らしい貴族の青年と縁があれば協力するつもりだった。
その後もレイラさんの前に素朴だが人柄の良さそうな貴族の青年が現れる度に、胸が痛んだことにはずっと気づかないふりをしてまで。
『はははっ!!やはりお前は本当に義理堅く生真面目な男だ!お前が貴族出身なら何としてでもうちの娘と婚姻を結ばせたものを…誠にこの世はままならないなぁ』
『身に余る光栄でございます…』
『うちの娘のために誓いを立ててくれた礼だ。これを吸わせてやろう』
『え、よろしいのでしょうか?立場上臭いが付くと旦那様や奥様にご迷惑を…』
『臭い消しは必須だが、レオン様達はそれぐらいで咎めたりはしない。何より気分もすっきりする。特に辛いことがある時に吸うと良い』
アドルフさんから勧められた煙草は、最初は上手く吸えなくて何度も咽せたが、教えてもらううちに何とか吸えるようになった。
一人で吸えるようになった頃には、アドルフさんは別の貴族の元に従者として雇われ、その後もレイラさんの家族は次々に雇われてグレイス家を去って行った。
煙草は、止められなかった。
レイラさんに対して恋心を諦めたくても、他の貴族の青年に目をかけられそうになる度に、辛さを覚えて煙草を吸っていた。煙草を吸う時だけ、レイラさんの出身であるガードナー家との繋がりを感じられた。
しかし、その苦しみがあったからこそ、今はやっと幸せを感じられる。
アドルフさんも理想は語っていたものの、娘想いの方のことだ。きっとレイラさんの気持ちを汲んで、僕と結ばれても何も言わずに祝福しただろう。
それに気づけず、自分自身が卑屈になっていたせいで随分と待たせてしまった。
(待たせてしまった分、ちゃんと幸せにいたします…)
次回からまたグレイ視点に戻ります




