番外編:ともに堕ちてゆく
グレイの友人ウィルことウィリアム視点
僕には居場所なんかどこにも無い。
家では、毎日のように父上と母上が喧嘩ばかりしている。冷戦を迎えてしばらく何も喋らずにいたかと思えば、父もしくは母がした行動でお互い何か気に触る事があった瞬間にまた喧嘩が勃発する。それが日常の家に帰りたくない。
だが、グレイがいた頃はまだ良かった。
グレイ・ジルコニアは、僕と同い年かつ公爵子息でありながら、全く気取らず威張らない。口は極悪だが、性根は優しい良い奴だ。
そして、内容は違えど家に居場所のなさを感じている所が僕と似ている。馬鹿な連中に絡まれていた所を助けられて以来、宮廷で会う度にふざけ合ったり遊んで過ごす毎日を過ごしていた。
それまでは可愛い女の子を口説いている方が楽しかったが、いつの間にかグレイと過ごす時間の方が楽しいと感じる自分がいた。
そんなグレイは、一年前に公爵家を出て行って、それきり失踪してしまっている。
彼のことだから、グレイの兄であるサミュエル様が亡くなられたことを悲しんでいることだけが理由だとは思わない。恐らく、同じ頃に父のジルコニア公爵との関係で何か決定的な亀裂が生まれてしまったのが原因だと、僕はなんとなくだがそう思っている。
それでも、当時の僕はグレイがすぐに戻ってくると呑気に考えていた。市民の街でふらついて遊んでいるうちに、警備兵士に捕まって連れ戻されるか、やけになって酒を飲んで酔い潰れている所で捕まって連れ戻されるかだろうと。
しかし、どれだけ月日が経っても、グレイは戻って来なかった。グレイがいなくなってから一年経った今では、見かけたという噂もすっかり無くなった。
グレイは本気で家を出た上に、もう二度と貴族社会に戻って来ないつもりなのだと感じた時、僕は喪失感を覚えた。
グレイがいなくなってから、僕の居場所は家だけでなく外さえも無くなった。
彼だけが、僕が何も考えず力を抜いていられる唯一の拠り所だった。奇跡でも起きない限り、もう戻ってくることはない。
大好きだった可愛い女の子達を口説いてその気にさせることができても、今では何も楽しく感じない。男共は僕に絡んでグレイに返り討ちにされた一件以来、近づこうともしない。何も考えず一緒にふざけたり遊べる相手は、誰もいない。
グレイがいなくてつまらない外の世界から、戦争のような家に帰る時間が迫る度に、僕は憂鬱になる。
(一回ぐらい夜中に帰っても…あの人達は自分のことばっかりで何も気にしないんだろうな)
夕刻を迎えても宮廷から帰りたくなくて、何となく中庭で散策していた時だった。
「ねぇ、貴方ハワード家のウィリアムでしょ?少しお喋りしましょうよ」
紫がかった黒髪の女の子が、僕に対して不躾に名前を尋ねてきた。先に話しかけてきたということは、身分もしくは地位的に僕より上の家出身だろうか。
「……失礼ですがどなたでしょうか?」
「私はソフィア・ラズライトよ。それにしても…聞いてた話と全然違うわね。年頃のレディに会うとすぐ砂糖のように甘く口説いてくると思っていたのに」
名前を聞いた瞬間、僕は正直関わりたくないと思った。
目の前にいるのは、厳格な騎士団長が当主のラズライト家出身でありながら、10歳を迎えてすぐに家庭教師と間違いを犯したというふしだらな少女だからだ。あれから4年は経って今は確か14歳のはずだが、噂では、相変わらず男を夜な夜な何処かに引っ張り込んで行為に及んでいると聞いている。
「ご期待に沿えず申し訳ございませんが、僕にも気分というものがあります。今日は特別良くないので、すぐに帰ろうと思っていた所です」
「あら、毎日のように帰る頃にはここで長く止まっている方が珍しいものね。そんなに帰りたくないなら私が話し相手になろうと思っていたのに、ダメかしら?」
「話したいのはむしろ貴女の方でしょう?今日はすぐに帰るつもりなので生憎ですがお断りします」
「少し話すだけよ?もしかして、私を警戒してのこと?貴方ともあろう人がそんなまさか…ね?ふふふ」
「………少しだけなら」
警戒心はあった。噂のことが本当なら、絶対に着いて行くべきではないと。
だが、煽られてつい誘いに乗ってしまった。
否、それだけではなかった。家に帰るのが億劫な僕にとって、誰かと長く過ごしているうちに時間が過ぎ、親が寝静まった頃に帰ると考えれば、ソフィアの提案はいつもの退屈さは軽減されて理想的だと感じてしまった。
万が一噂通りに襲われそうになったら、気絶させて逃げれば良い。グレイから教わった手刀なら、正当防衛になるだろう。
そう考えながら、呑気に歩くソフィアの後ろに着いていた。
「じゃあ、あの建物が良い場所だから移動しましょ」
中庭内に建てられている休憩場なら、壁のある場所に座り込んでしばらく時間を潰しても、誰にもバレずにいられる。実際、ソフィアに話しかけられる前の頃も、親が寝静まったであろう時間までずっとあの場所で過ごしていられた。
「ウィリアム、ここは本当に良い場所よね」
「壁の影に隠れれば誰にも見つからないですし、いつも助かってます」
「……そうね。ここでなら、私が何をしても誰も知ることはないもの」
「えっ………ッ!?!?」
ソフィアが近づいてきたと思ったら、急に視界が揺らいだ。
硬い床に押し倒されて、僕は訳が分からず身動きすることさえも出来ない。戸惑いながらも手刀の準備をしようとした。が、ソフィアは僕の手を素早く押さえつけ、無理矢理唇を重ねてきた。
「んっ……んんーーっ!!っ……はぁっ…はぁっ…!」
「ふふ、そんなに嫌そうな顔しないで。一度経験すればとっても気持ち良くてクセになるから。それにしても…本当に綺麗な顔ね…」
青紫の瞳を蕩けさせながら、ソフィアは手慣れた様子でドレスを下ろし、年頃にしては大きい胸を露わにした。いつでも脱げてしまいそうなドレスだとは思っていたが、まさかこういうことのために常に着ていたのかと、ソフィアの性に対する執着に悍ましさを感じる。
ソフィアのことは、好意があるかは別として大人びた魅力があるとは思っていた。それでも絶対に関わりたくないと避けてきた"女"が、僕を捕食しようとしている。
その女は、自分だけでなく僕の服まで脱がすと、首元や胸に口付け、舌まで這わせていく。
「んっ…!ぅ……や、やめ…こんな所で…僕はまだ13歳で……」
「もうそんな邪魔な倫理観なんて、捨てちゃえば良いじゃない。それに…身体はもっと先に進みたいって言ってるわ。ふふっ…こんなに硬くさせて…」
熱が集まる下半身に手を添えられて、僕は身体を反応させてしまう。女好きでも何とか守ってきた倫理観が破壊されかけているのに、目の前の"女"の色香と、快楽に飲まれて戻れなくなりそうだ。
妖艶な美少女の形をした化け物が、僕の耳に顔を近づけた。
「ねぇ、ウィル…私と一緒に堕ちてくれる?」
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全てが終わった時には、僕は茫然自失としていた。
慣れない快楽を味わったせいで腰が重く、化け物に捕食された感覚が、こびりついて離れない。
ソフィアは、帰る頃に言っていた。
『帰りたくない時はいつでも声をかけて。楽しませてあげるから』
誰が声などかけるものかと思ったが、それを声に出す余裕がなく、僕は返事ができなかった。
ちゃんと警戒心を保たず、人に知られない場所にまで着いてきてしまった僕も悪い。ソフィアがまともじゃないことくらい、想定できたはずだ。
様々な後悔が頭を巡っていても、今更もう遅いという諦めの感情が先にやってくる。
ソフィアとあんなことをして時間が経ったことで、流石に親は寝ているだろうと思った僕は、現実感のないまま家に帰った。
「ただい……」
「この香水くさいのは一体何!?白状しなさいよ!!他の女の所に行ってきたんでしょう!?」
「お前はまたそれか!!お前がそうやっていつも喚くから帰りたくないんだよ!!そんなに浮気を疑うなら本当にしてやろうか!?」
「なんですってぇ!?私は怒りたくて怒ってるんじゃないわよ!!浮気なんかしたら貴方を殺してやるから!!」
今日に限って、最悪なタイミングで帰宅してしまったらしい。僕が帰ってくるよりずっと前からこの調子なのだろう。
毎日毎日、本当によく飽きないものだ。まだ長時間怒鳴り合いを続けるであろう父親と母親は、僕が帰ってきていても気づかない。
今も冷めた目で見られていることなど、微塵も感じ取っていないのがよく分かる。
恐らく先に喧嘩をふっかけた母上に、言ってやりたい。貴方が疑っている女性とやらも、身分と地位がそれなりでも役職的にはそんなに大したことがなく、見た目も平凡な父上よりも他の男を選ぶはずだと。
そして、父上にも言ってやりたい。母上が怒ると分かっていながら、ちゃんと定刻通りに帰らず、どこぞの強い香水の匂いがする人間の側にいた迂闊さが悪いと。
物心のついた時から夫婦喧嘩を見てきて、最初は仲直りして欲しいと願った幼心はすっかり消えている。さっさと離婚してしまえばいいのに、結局お互いがいないと何も出来ないからこうしてずるずると夫婦関係を続けているのだろう。
本当に、何もかもがくだらない。
グレイがいた頃に戻りたい。
どこにも居場所が無く、倫理観が崩れ去った僕に、この先まともな生き方など出来ない。
ソフィアに運悪く出会ったせいで、こんなことになってしまった。
あの時の恐怖は、絶対忘れられない。だが、同時に忘れられないものがもう一つあった。
快楽による、非現実感。
それを感じている時だけ、僕はこの最悪な現実から逃げられたような気がした。僕に関心を向けない両親が、婚前行為の事実を知って大騒ぎし、僕のせいで恥でもかけば良いと考えていた。
原因は違えど、家出をしたグレイの気持ちが、より鮮明に理解できる。
居場所のない現実など、堕ちたまま戻れない方がずっとマシだ。
ソフィアと会って快楽に浸り続ければ、僕はくだらない現実を感じなくて済む。ソフィアが僕に飽きた頃には、他の女の子を相手にして同じことをすれば良い。その繰り返しをしているうちに、僕は現実に戻れないまま死を迎えられる。
そう思った瞬間、僕の止まっていた心がじわじわと動き始めた。
グレイとふざけ合って遊んでいた頃と、同じように。
(僕も…このくだらない現実には戻らないよ。だから一緒に堕ちていこう、グレイ)
ウィルは『記憶喪失の転生者』番外編のライヤ視点を書いていた時点では姉ソフィアの恋人の一人で、ほぼモブみたいなキャラでした。
ウィルの結末は、また後ほど番外編として書く予定。




