無意識の呪縛
ミアと名乗った奥様は、俺の顔色を伺うように困り眉になってしまっている。
その様子からして、早く終わらせて差し上げた方が良いと判断した俺は、貴族社会で何度もやってきた挨拶をさっさとすることにした。
「お初にお目にかかります、グレイス侯夫人。執事見習いのグレイと申します。未熟者ではありますが今後ともよろしくお願いいたします」
「…………………っ」
俺が挨拶をした途端、奥様は何故か涙を浮かべて震え出した。顔も真っ青で、完全に怯え切った表情だ。
「お、奥様…?大丈夫ですか?」
「れ、レイラッ……ほ、本当にこの方は子供………?」
「左様でございますが…?」
「嘘よ…こんなに背が高くて精悍で大人とそんなに変わらない目つきの人が子供なんてあり得ないわ…!!やっぱり私は動物と子供以外なんて怖くて無理っ…!!」
突然泣き出したと思ったら、奥様はその辺にあったクッションをぎゅうっと抱きしめ、俺を見てイヤイヤしている。
この人は本当に大人なのだろうか。人見知りにしても、泣くほど嫌とはかなり重症と思えてならない。
「大丈夫ですよ奥様!いずれ私とジョゼフの時みたいに慣れますから!!」
「だとしても子供なんて嘘つかないで…」
「グレイ君はまだ12歳ですよ!!奥様とは16歳も違いますから!!!」
この泣くほど人見知りの奥様を見ると、さっき会った目つきの悪いジョゼフに対する緊張は吹き飛んで行ったような気がする。
レイラに宥められてようやく落ち着いた奥様は、改めて謝罪と挨拶をするとすぐに部屋に引っ込んで絵を描き始めていた。
(俺…奥様と上手くやっていけるんだろうか…)
そんな不安と共に、俺の波乱だらけの一日は終わりを迎えたのだった。
ーーーーーーーーーーーー
翌朝、俺は久々にふかふかのベッドで目を覚ました。
「……………すげぇよく眠れた」
レオンの元に来るまでは、硬くて弾みのないベッドで、今のより薄い布団を掛けて眠る毎日を過ごしていた。家出したばかりの頃から、そのことについては特段気にしていていないつもりだった。ただ、宿泊と引き換えに一晩相手にしなくても眠気が取れ辛かったのは、ベッドの質が合わないせいだったのだと改めて気付かされる。
(しかも俺が泊まったのは偶然まだマシだと思える方だったから、余計に判断基準が下がってたんだろうな)
家出をして過ごしていたとは言え、一般的に見れば俺はかなり恵まれていた方なのかもしれない。
始めに一年過ごした娼館は、エリザがちゃんと掃除をすれば部屋も綺麗で清潔な方だった。あの娼館を出て以降、衛生面だけでなく人の扱いも劣悪な環境の娼館を何度も見かけた。俺がいた娼館は、階級的にはいわゆる高級娼館だったことを、その時に初めて知ったのだった。
その後見知らぬ女性の家に泊めてもらう日々を送るようになっても、金持ちの家ばかり選んできたこともあり、部屋の環境に対して不満を感じることはなかった。
だが、こうして本当に恵まれた良質な環境下で一日を過ごすと、俺は相当疲れていたのだと理解できた。家出中の意地から不満を一切持たないようにしていたが、眠気と疲れが溜まっていることを身体は訴えていたようだ。
誰の相手もせずぐっすり眠れたおかげか、鏡に映る俺の白い髪は、濁らず真っさらな白の状態に戻っていた。
(明日はどうなってるかは知らんが…とりあえずスッキリしてるのは間違いない)
ボケーっとしながら呑気に髪を梳かし、用意された見習い用の執事服に着替え始める。
俺の本来の身分になる貴族の家にいながら、家出中と同じように誰の手伝いもなく自分で着替えをするのも変な感覚だ。
そう思っていると、大きめのノック音が聞こえてきた。
「グレイ!何をぐずぐずとしているんだ!執事の朝は早いのだからさっさと準備しろ!!」
「うぇっ!?はっ、はいっ!!わかりました!!」
やかましいノック音の正体は、案の定ジョゼフらしい。
言ってることは間違っていないが、突然ドアの向こうから大声を出すのは勘弁して欲しい。強引に入ってこないだけの礼儀はあるようだが、こんな煩いノック音を聞いたら、レオンの心臓は遠くない未来のうちに止まってしまうのではないだろうか。
着替え慣れない執事服でようやく身を包み、俺は向こうで待つ鬼…ジョゼフが待つドアを開けた。
「お待たせしてしまい申し訳ございません、ジョゼフ…さん」
「っ……お前…一体なんだその髪は?」
遅くて怒られるかと思いきや、ジョゼフは引き攣った顔で俺の髪を指差した。
俺的には濁っていないように見えても、他人から見るとまだ髪が薄汚れて見えるのかもしれない。俺はそう思って頭だけもう一度洗うかをジョゼフに提案しようとした。
「その、髪もう一回洗い…」
「何なんだその適当に梳かしただけのボサボサ頭は!!!そんな頭で旦那様や奥様の前に出るなど執事として論外だぞ!!執事となれば自分の身の回りの世話ぐらい自分でするのが当然のことだ!!」
頭をガシッと掴んだままあり得ないと言った表情で突然説教を始められ、俺は恐れよりも予想の斜め上の指摘に驚くしか出来ない。
怒られるのはそっちなのかと考えてぽかんとしている俺を見て、ジョゼフは溜め息を吐いて強引に腕を引っ張り出した。
「付いて来い!僕が執事としてあるべき姿にしっかりと変えてやる!!」
「はっ!?ちょっ、引っ張んなっ…引っ張らないで下さいよ!!」
髪がボサボサでも、あのレオンなら別に気にしないだろう。というか、俺的には割と整えたはずだ。色々と納得がいかなくて、俺はつい以前の口調で反抗しそうになった。
だが、ジョゼフの力があまりに強く、俺はあっという間にジョゼフの部屋にある机上の鏡の前に立たされた。
「じっとしていろ。鬱陶しいからと暴れたらお仕置きするからな」
「は、はい…」
ピーコックグリーンの眼光を鋭くさせたジョゼフの圧に負け、俺は完全にされるがまま頭を整えられる。
本来の身分であれば、この男など恐怖にも値しないはずだ。しかし、今の俺は何者でもないただの家出少年でしかない。それを弁えているからこそ、自然と恐れを抱いてしまうのだろう。
「全く…この髪は純白のような美しい色合いなのに、ぞんざいに扱っているせいで台無しではないか!髪も所々傷んでいるから少しばかり切るぞ、絶対に動くなよ」
ジョゼフは俺の髪に対して色以外は欠点を連ねながら、ハサミで傷んだ部分を手際良く切り始めた。昨日まではあんなに俺に対して警戒心を向けていたとは思えないほど、やたらと世話を焼いてくる気がする。
ある程度傷んだ髪を整えると、今度は部屋の引き出しからいくつか整髪料を取り出し、切られて少しマシになった髪に塗り込まれていく。そのせいか、ボサボサ感が少し纏まったように見える。
「あのー、綺麗になったのでこれで終わりですか?」
「何を言っているんだ!まだやることがあるに決まっているだろう!僕が完成と言うまで動くなよ」
ジョゼフ的にはこれでもまだ足りないと言い放ち、俺の前髪をぐいっと掻き上げ、オールバックにしようとし始めた。
あのラルフとお揃いなど、冗談じゃない。
そう思った一瞬で、俺はジョゼフの手から逃げようとした。
「おい動くなと言っただろう!」
「この髪型だけはやめろ!!ムカつくあいつと被る!!」
「お前の嫌いな男と被ろうが執事となれば邪魔にならぬよう髪を纏めるべきだ!旦那様や奥様と接する度にこの長く伸びた前髪をいちいち退かすなどというみっともない真似をするつもりか!?」
「そんなこと気にするような人達なら俺だってとっくにその通りにしてんだよ!!お前の価値観だけで物事語ってんじゃねぇよこのクソ眼鏡!!」
「お前の場合は執事として以前に人前にも出すのも憚られるほど酷い有様だったんだぞ!!人としての最低限の礼儀も弁えずによくも僕に意見出来たな!!」
「っ……だとしても、わざわざきっちり纏める必要あるのか!?家出する前も後も、俺はさっき使ってた整髪料で整えとけば指摘されることもなかった!というか…アンタもなんで昨日まで俺に敵意向けてたくせに面倒見てくるんだよ。俺のことが嫌いなら髪型ぐらい放置しておいて、それを指摘されたタイミングで追い出せば良いだろ…!」
俺のことが嫌いなくせに、こうやって世話を焼いてくるジョゼフのことがレオン以上に理解出来ない。
嫌いなら最早放っておいて欲しい。
その怒りに任せた反抗は、自分でも段々と弱々しくなっていく。側から見れば、俺は怒られて不貞腐れているだけのガキだとは重々理解している。それでも俺は、反省の姿勢を見せることも出来なければ、ますます不貞腐れた態度しか取れなくなる。
こんな態度でいたら、家を追い出されるかもしれない。
頭では分かっていても、嫌いならいっそ放置するか排除して欲しいと望んでしまう。ジョゼフだけではない。俺を警戒した奥様もだ。
俺の反抗を黙って聞いていたジョゼフは、呆れたように物凄くでかいため息を吐いた。
「僕がいつお前を嫌いだと言ったんだ?そもそも嫌いなら昨日のうちに僕とは関わらぬ仕事に就かせるよう旦那様に進言している」
「は??いやだって初めて会った時なんか俺に敵意みたいなの向けてたじゃねぇか」
「僕はそもそも敵意を向けてなどいない。目つきが悪いからそう勘違いしたんだろう」
「だ…だとしても、今日で俺のことは怒られただけで不貞腐れるクソガキだって分かっただろ?だったらもうこんな奴追い出すよう旦那様に言えよ」
ああ、俺は恐らく今から追い出されるだろう。
ここにいれば少しは変わることが出来るかもしれない…否、変えたいと思っていたはずだった。だが、また俺は自ら排除されに行く道を進もうとしてしまう。
どこに居ても俺は、本音を言うことが許されず、聞き入れられることもなかった。それで"出来損ない"として扱われて傷つくぐらいなら、いつか排除されるその時まで開き直り続ける方がずっとマシだった。
その方が、深く傷つかずに済むから。
「………グレイ、お前はもう少し貪欲に生きるべきだ。今も自ら排除されようとしているが、本当はここに残りたいんじゃないのか?」
ジョゼフから追放を言い渡されるのかと思いきや、何故か遠回しにこの場所を諦めるなと言われて、俺はあまりに訳が分からなくて反射的にジョゼフを睨んだ。
「は…?何言ってんだよ…?俺は別に…」
「そういう局面でそれなりの覚悟を持ったことがないから、たった一回の主張を受け入れられなかっただけで諦めて不貞腐れて、自ら排除される道ばかり選んで来たんだろう。今お前と話して、その本質は見て取れたぞ」
「っ………」
ジョゼフの言っていることは、悔しいことに間違っていなかった。
兄上に手紙の事で親父にもっと食い下がっていれば、貴族感の理不尽に対して何度も訴え続ければ、ローズの父親が理解できるまで政略結婚を無理やりさせるなと説得していれば、俺は心の底に澱みが溜まることもなかったのだ。
たった一回の主張や説得では受け入れられず、理解してもらえないのは当たり前なのに、俺はまず受け入れられなかったことで傷つきたくないと願ってしまった。傷つくぐらいなら、開き直った態度で反抗して相手を困らせる等、自分でも排除されて当然だと思うような態度を取るしか出来ない。
俺は、親父や周囲の言うように、本当の"出来損ない"だったのだろう。ジョゼフはそんな俺に呆れているに違いない。
そう思っていると、ジョゼフが鏡越しに俺の目を真っ直ぐ見ながら口を開いた。
「"出来損ない"扱いを恐れる暇があるなら、自身の主張を受け入れられるまで諦めずに何度も訴え、たとえ泥水を啜って這いつくばることになろうと真に望む道を進み続ける覚悟を持て。お前の場合は、この場所に受け入れてもらえるための努力を怠るな」
「っ………なんで…」
何故、ジョゼフは俺に向き合って諭してくれるんだろうか。出来損ないだと呆れられても仕方ない人間だというのに、まだ諦めるなと喝を入れられ、俺は目頭が熱くなるのを感じた。
「なんでアンタは…そんなに俺に向き合ってくれるんだよ…っ」
泣きそうになっているのを認めたくなくて、また口答えしてしまった。だが、先ほどと違い、不貞腐れや反抗が理由ではなく、純粋な疑問故だった。
「………お前を見ていると、昔の僕を思い出すからだ」
「え……アンタは最初からそういう覚悟決まった感じじゃなかったのか?」
「はぁ…ならお前が納得いくまで、僕の昔話でもしてやる」
俺を見て昔を思い出す理由を話すためか、ジョゼフは一度俺から離れると、ベッドに腰掛けた。
「僕は、闇稼業で生計を立てる家に生まれた。今の時代でも混血として忌避される、東洋人の祖母の血を引くクォーターとして」
次回はジョゼフの生い立ちから始まります




