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無力感


物置小屋に案内され、寝床と一日過ごすには十分な食べ物を渡されて以降、ローズは夜を迎えても来なかった。


(話を聞いて欲しいみたいな雰囲気だった割に…案外大したことなかったのか?)


与えられた寝床で寝転がって考えていると、外からバタバタと走ってくる音が聞こえた。

何事かと思ってドアの方を見つめようとしたと同時に、ローズが勢いよくドアを開けて入って来た。


「ッ!?どうしたんだ?」

「っ……グレイさん……ぐすっ…ぅっ……うぅ…」


俺が驚いているのを一度だけ見たローズだが、そのまま静かに泣き崩れた。

ローズの服装をよく見ると、胸元は何者かに引っ張られたかのように乱れている。ボタンもいくつか取れていて、襲われてことは明白だった。

いくら同情心など湧くまいと決めていても、一方的に襲われたとなれば話は別だ。人として許せない行いを誰がしでかしたのかと、俺は怒りを覚えていた。

泣き続けるローズを落ち着かせようと、俺はできるだけ優しく問いかけた。

「………何かあったのか?」

「っ………私の…婚約者が、今日家に来ていて…」

「ああ、それで…?」

「いつまで経っても受け入れられない私に痺れを切らしたのか…あの人は無理やり押し倒してきてっ……うぅっ……」

「よく逃げ出せたな、偉いぞ。それにしてもその婚約者とやらは人間とも思えない奴だな…」

貴族でさえも、そんな輩はちらほらいた。だからこそ、市民間では珍しくないのかもしれない。

だが、俺にとってはそんなことは関係なく、腹立たしいことだった。いつかの娼館に通ってたクソ客でさえ少しは節度を持ち合わせていたものをと、市民の中ではそれなりの家出身でありながらそのような行為をしでかしたその男に軽蔑すら抱いた。

「グレイさん、私…本当は貴方をここに泊めるだけにして…話を聞いてもらわずに自分で解決しようと思ってたの。でも……もう無理っ……」

涙を流し続けるローズは、俺に抱きつき、消え入りそうな声で苦痛を訴えた。

それぐらい傷を負ったのだろう。しかし、哀れだと思う一方で、俺はある嫌な予感を覚えていた。それを隠しながら、最低限の慰めとして背中を撫でるしかできない。

「………無理しなくても良かっただろ。とにかく今着てる服は洗わずに隠してそのままにしといた方が良い。その男が婚前交渉をしでかした証拠にもなる。だから…」

「もう証拠とかどうでも良い。もし今の結婚が無くなっても…これから先もあんな人が来るかもしれないって思うと…怖いの……」

「そんなの分からないだろ?」

「私の父親はそんなの見抜けない!!私をあんな人に売ろうとした人よ!!それで…好きでもない男に無理やり襲われて、純潔を汚されることに怯えるぐらいなら…いっそ貴方に身体を許して、神から罰を受ける方がずっとマシよ…」

証拠を残して婚約者を訴える気力すら湧かないらしい。ローズは、もう希望すら失っている。

好きな人と結ばれることを許されない運命の中で、また似たような男をあてがわれて襲われるぐらいなら、俺に純潔を捧げるか、死んだ方がマシだと考えているのだろう。


「……俺は、アンタを抱かない」

「っ!?どうして…?私が…私がさっき襲われたせいで少しでも汚れたから…!?洗い流せば良いの!?だったら垢すりでも使って擦り落としてくるわ…!」

「そんなこと言ってないだろ…!」

抱かないと言えば、余計に傷つけることは分かっていた。実際、ローズはかなり錯乱気味に陥っている。しかし、想像以上に正常な思考が出来なくなっており、呼吸も荒く、涙もますます止まらなくなる。

極限までズタボロにされず、倫理観が()()()()()()()()()()せいで、汚れたと思い込んで自分を責めているようだ。

「お願いだからっ……!!ああいう男にまた無理やり穢されるぐらいなら…私は貴方みたいな…年頃も同じで、心根の優しい人に純潔を捧げたい……お願い……ぅっ…うぅっ……ぐすっ……うぅ〜〜っ……」

限界を迎えたのか、そのままローズは床に突っ伏してしゃくり上げながら泣き出した。

どう声をかけて良いかは分からない。このまま抱けば、一時的にローズの傷は癒えるかもしれない。だが、今度は俺に気安く身体を許してしまったと後悔して、またこうして苦しむことも想定できる。

俺に出来るのは、ただローズが落ち着くまで側で見守るだけだった。


しかし、その空気を破るように、外からドカドカと歩いてこちらに向かって来る音が聞こえてきた。ローズはその音にすら怯えて、小さく悲鳴を上げていた。

「ローズ!!こんなところにいたのか!!相手方を待たせるとはどういうつもりだ!!」

そのまま無遠慮にドアを蹴破られると、そこには父親らしき人物が立っていた。婚約者を待たせるなと言わんばかりにローズを引き摺り出そうという勢いだったため、俺はすぐさまその間に立った。父親は間に入ってきた俺を見るなり、鬼の形相で睨みつけた。

「貴様っ…一体何者だ!?私の娘に手を出したのか!?許嫁がいる娘に婚前交渉をしようなどとっ…!!」

「……()()、手を出してません。むしろそれは、貴方の娘の婚約者です」

「あの方がそんなことをするわけがないだろう!!さっさと自分の罪を認めろ!!」


俺にとってはただの言いがかりでしかない。だが、父親の放った言葉は、ローズにとってはまた傷を植え付けられるに等しいものだった。


「っ……!!だったらてめぇは娘自身の幸せより自分の利益しか望んでないことを認めろよ!!!口先では娘の幸せのためとは言ってんだろうけど、その娘が今どんな顔してるか何も見えねぇのかよ!!どっちが手を出したかにせよ、ローズ自身の心配より許嫁の方を優先するような奴が二度と父親名乗るんじゃねぇよゴミカス野郎が!!!」



バチンッ!!!


我慢できずに父親を罵ったが、逆上されて平手打ちを喰らった。表情に怒りを滲ませたまま、父親は懐にあった数札の金を俺の方に放り投げた。


「それをもって出ていけ、二度と娘に近づくな。ローズ、目が覚めたら相手方に一緒に謝罪しに行くぞ」


残酷にも、父親には何一つ響かなかったらしい。娘に近づくなと言いながら、俺とローズを二人にしたまま去って行った。

もう一度乱暴を働いた人間に会わなければならないという苦行を命じられたローズは、先ほどの取り乱した様子から一変して静かに涙を流していた。


「グレイさん……っ」

「とりあえず訴えられることは訴えておけ。俺はもう行く」

「えっ…!?グレイさん!?待って!!行かないで!!!私はこれからどうすればっ……」


俺は、もう何も考えたくなかった。


投げられたその札束を持って、無我夢中でローズの家から逃げ出し、行く当てもなく走り続けた。


今の自分は、ただの無力な存在でしかない。その虚しさを忘れていたかった。


グレイが娼館を出てから出会った女性達は今後登場することはありません。

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