薄汚れた白
目を覚ますと、隣には女性が寝ている。
女性の家に泊めてもらう代わりに身体を差し出してたっぷり満足させるのが、すっかり日常と化している。
今回は自分より20歳ぐらい離れた婦人で、旦那と喧嘩した時の毒気が取れたのか、非常にすっきりとした顔になっている。旦那がいる間は相当色んなものが溜まってたんだろうなと、全てを察した。
婦人が寝ている間に、俺はベッドから降りてぼんやりと外の景色を眺める。筆下ろしされた時は気のせいだと思っていたことが、娼館を出てからは毎日のように起こる現象がある。
俺の視界に映る白いものが、全部薄汚れて見える。今着ている白いシャツや、白いカーテンやその他の家具等、特に俺の白い髪はまるで灰でも被ったようだ。時間が経てば元の景色に戻るのだが、娼館にいた頃は筆下ろし時を除けば一度もそんな現象は起きなかった。
見知らぬ人間と身体を重ねたからだろうか。娼館の中で一番思い入れが大きかったエリザでさえも、最初は見知らぬ人間だったため、あの現象が起きても不思議ではない。だからこそ、何泊もさせてくれる婦人のような女性は、二日目には俺にとって知ってる人間になるはずだ。
だが、婦人の家が四泊目になっても、この現象は毎朝起きる。今まで様々な女性の家に何度も泊まってきたのだから、誰かを見知らぬ人間だとか言えた立場ではない。
もしかしたら、一度身体を重ねずに夜を過ごせばあの現象は起きないのかもしれない。だとしても、俺にとっては治す気など最早起きないぐらい、どうでも良いことだった。
白いものが濁ったからって関係ない。むしろ、俺の白い髪が灰のように薄汚れて見えるのは、ジルコニア家の象徴を汚すに等しいものだから万々歳だ。
「グレイくんもう起きたの?もう少しゆっくりしてても良いのに」
目を覚ましたらしい婦人が、微睡みながら甘ったるい声色で後ろから話しかけてきた。
対応するのは心底ダルいが、娼館から出た直後にこういう場面に遭遇した時に、めんどくさくて嫌だという感情が滲み出たのがバレて叩き出されたことがある。できるだけ機嫌を損ねないよう、俺は婦人の頬を撫でながら優しく微笑んどいた。
「……マダムの綺麗な寝顔を眺めていたかったので」
「あらっ…やだグレイくんったら…ふふ」
眺めていたのは別に嘘じゃない。綺麗かどうかについては全く考えておらず、すっきりしてるなとしか思っていない。嘘で包んだ言葉でこんなに喜んでくれるとは、本当に容易い人間だ。
しかし、婦人の様子からして、これ以上長居すれば不倫相手もしくは旦那と別れたら交際する相手だと思われる可能性がある。俺はただの家出少年なのだから、どちらの目的にも付き合うつもりなどない。それに、そうこうしているうちに旦那が考え直して帰ってきてしまえば、相当面倒なことになる。
今日限りで、この家を出て別の場所を探そうと思った。
「……あの…」
「なぁに?グレイくん」
「実は…もう帰ろうと思って…」
「えぇっ!?そんな…いきなりどうして…!?」
「………喧嘩して帰りたくないって思ってたんですが、貴女と過ごして優しくしてもらっているうちに…急に寂しくなってしまって…っ」
婦人は分かりやすくショックを受けた表情をしている。単に面倒ごとを避けるために帰りたいだけだが、ホームシックになった少年の顔を装い、泣きそうな顔をしておく。
すると、婦人は俺を憐れむ表情に変わり、優しく頭を撫でてきた。
「……そうなのね、分かったわ。大人っぽいから忘れてたけど…16歳なんてまだ子供みたいなものだもの。そう思ったなら早く帰ってあげなさい」
面倒になって帰りたいだけの俺相手に、この婦人は子供には優しい女性として振る舞った。
今子供だと思ったところで、さっきまで俺のことを"男"として意識して身体を重ねることを求めてきたくせに何言ってんだ。
なんていう本音だけは絶対顔には出ないよう、嘘の涙を流しながら黙って頷いた。
(一応良い人なんだろうけど…なんかもうどうでも良いや)
家出したばかりの頃なら、罪悪感の一つでも湧いていたかもしれない。だが、今はとにかく面倒ごとに巻き込まれたくない気持ちの方が強い。
いっそのこと、恨まれて刺される方がずっとマシだと思うぐらいに。
「グレイくん、最後に一回だけ…お願いがあるんだけど…」
「え?」
「もう一度だけ抱いて?そうしたらちゃんと帰してあげる♡」
俺の思考は、ますます動くことを知らない状態になった。どうせ帰すのが惜しくなっただけなのだろう。
それで本当に抱けば、またもう一回と強請られるのは目に見えている。強請られた分だけ抱いて疲れで眠らせるか、気絶させたその隙に逃げるかを考えたが、それだと未練を持たれる可能性もゼロじゃない。
となれば、刺されはしないで済むあの魔法の言葉を使うしかない。そう思い、俺は婦人に向き直り、片耳を撫でながら顔を近づけた。
「じゃあ、抱く代わりに俺のお願いも聞いて?」
「ふふ、なんでも良いわよ?」
「それじゃあ……」
そのまま首にキスする寸前で身体を離し、婦人の肩を掴んで笑顔を作る。
「お金ちょうだい。できれば金貨三枚で♡」
真っ直ぐ夫人の目を見ながら、俺は魔法の言葉を放った。
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「くっそいてぇ…あのババア見かけによらずなんて力してやがんだ…」
頬がヒリヒリする。
当たり前だろうが、家出少年らしく金を強請った瞬間に平手打ちを喰らい、さっさと追い出された。
やはり、金くれ系の発言は刺されずに済む魔法の言葉だ。あの婦人は結局、俺を束の間の愛人か不倫相手にしたかっただけらしい。
だからといって、こういうのを止める気は一切ない。次は相手に甘えて何泊もしなければ良いと考えるだった。
「あ、あの…顔、大丈夫ですか?」
「あ?」
考え事をしている最中に、突然栗色の髪と蜂蜜色の瞳の娘に話しかけられた。あまりに唐突だったせいで、俺は愛想の無い顔のまま振り向いてしまった。
目つきが悪い自覚はあるため、怯えられるかと思ったが、娘はそんな様子もない。むしろ、何か探しているようだ。
「えっと…今冷やすもの持って来ます!待っててくださいね!」
「え、いや別に良い……」
「すぐ戻りますから!」
いかにも大人しそうな娘だと思ったが、強引に俺を留まらせてさっさと家らしき場所に引っ込んでしまった。
非常に面倒なことになったと、俺は舌打ちをしたくなる。
あの娘の貴族並みに良品質な服装と、食べるものに困ることがなさそうな血色の良い顔色。よくよく辺りを見回すと、今まで見て来た市民の街の中ではかなり治安が良く、建物の造りも相当金がかかっている。
あの娘の引っ込んだ家は、そこそこ金だけはある貴族の邸を少し小さくしたようなものだ。
この場所が首都イオスから遠く離れていることで知らなかっただけで、栗色の髪の娘は適当に見積もれば貴族の人間かもしれない。そう考えると、俺はこの場から去りたくなった。
市民ならなんとか誤魔化せても、貴族だと俺の素性が人伝でバレる可能性が高い。だからこそ、あえて俺はあの娘の素性を確かめてから逃げるか留まるかを判断するつもりだ。
「あっ、お待たせして申し訳ございません!これで冷やして下さい!」
「ああ、分かったから自分でや……ぐぇっ…!ちょっ、押し付けんなっ…」
氷嚢を持ち出してやって来た娘は、俺が自分でやると言うのも聞かず、頬にぐいぐいと押し付けてきた。それを抗議すると、流石に娘も気づいて腕の力を緩めた。
「も、申し訳ございませんっ…余計なお世話でしたよね…」
「………アンタ、名前は?あと年いくつ?」
「えと…私はローズ・ウォーカーで、今は16歳です。貴方は?」
「俺はグレイだ。苗字はほぼ勘当されてるから無いようなものだと思ってくれ」
いざ名前を聞いたが、貴族に当てはまる姓ではなかった。仮に貴族だとしても、爵位を買って手に入れたぐらいの話だろう。それで所謂成金扱いの家となれば、首都の貴族社会の情報は伝わることなどない。俺の警戒は杞憂になりそうだ。
「ところで…グレイさんはどうして頬を腫らしていたのですか?」
「………ああ、実は家族に何回も殴られて…それで家出したんだ。だけど泊まる場所が見つからなくて…」
親父に殴られたのは本当だが、今頬が腫れるぐらい殴られた相手は別だ。こうやって嘘を吐くのは、もう慣れたものだ。
「そう、だったのですか…私と同じで貴方も家に居場所がないんですね…」
「あ?私もって…アンタもか?」
「ええ…父に結婚相手を勝手に決められて…私は自由に恋をしたいのに、私に同じ商売人である相手方と結婚させる代わりに提携して利益を得られるからと…」
勝手に全てを決められて、有無さえも言わせてもらえない。
栗色の髪の娘…ローズの環境は、俺と似ている。だからと言って、俺の話を聞いて欲しいとは思わない。お互いその話で共感を得て、同情心まで湧いてしまえば、俺はまた同じ轍を踏むことになる。
話を聞いてくれると安心した相手がまた俺の側からいなくなってしまうのは、もう嫌だ。
心に蓋をして、俺はローズに優しく微笑みかけた。
「それは…辛かったな。俺で良かったら話を聞くよ。その代わり、一晩泊めてくれないか?大丈夫、未婚のレディには何もしない主義だ」
「っ……ありがとう、嬉しいわ。物置小屋で良ければ…」
手は出されないと分かった途端、ローズは一瞬で壁を外してくれた。未婚のレディとは恭しく言ったが、実年齢がまだ13歳の俺は、本来であれば誰とも性交渉は出来ない。正確には、俺が自ら望んだとしても相手が15歳以上であればその時点で向こうが犯罪者になる。いざ襲われかけたら、実年齢を明かせばどうにかなるだろう。
(まあ、性知識なんてほとんど分かりませんみたいなこの娘に限って襲うとかは確実になさそうだが…)
ローズからは、流石に親に見つかる危険があると言われ、寝る場所は物置小屋に案内された。食べ物はあらかじめ持ってきてくれて、話を聞いて欲しくなったら来るとのことだ。
これで良い。俺は敢えてこういう道を選んだのだから、ローズに対して罪悪感など感じる必要はない。
俺はそう言い聞かせ、ローズが話を聞いてもらいに来るまで、用意された食べ物を口に放り込んだり、寝転がって過ごした。




