堕落の時
※R-15な描写あり(直接的な描写はない)
エリアーナ…エリザが娼館を去ってから、一週間ぐらい経った。
クソ客の相手と掃除、その他雑用を終わらせた途端に、魂が抜けるようにぐったりする日々だ。
「グレイ?グレイってば!何ぼーっとしてんのよ!」
「んぁ?エリアーナ?」
「あたしはリリィよ!エリィがいなくなってからどんだけ魂抜けてんだか…」
「別に疲れてるだけだ…」
「エリィがいた時は今日より仕事量多くてもピンピンしてたくせに」
「うるせぇー…ちょっとぼんやりさせろ…」
リリィを筆頭に、娼婦達は今の俺を見る度に同じようなことばかり言う。
俺がまるで、エリザがいなくなってからずっと無気力とでも言いたげだ。確かに、いなくなった直後は胸にぽっかりと穴が空いたような心地だった。流石に泣きはしないが、今まで当たり前に側に居た人がもういない寂しさは感じていた。
だが、ずっと引きずってると言われるのはお門違いだ。自分なりに納得して、エリザとの別れはちゃんと受け入れている。
周りから見てぼーっとしているように見えるのも、仕事で疲れているだけだ。
「リリィ、こうなったらアレで釣ってどうにかするしかないわ」
「サーシャ…ま、まさかアレを使うの…?」
「もう用意してるわ。これでもダメならグレイ君にはちゃーんとエリアーナのことを認めてもらわないとね」
何やら不穏な会話が聞こえてくる。おまけに、そこはかとなく魅力的なあのスパイスの香りが漂っている。
その匂いで食欲が湧き上がってくるが、同時に一瞬だけ感じ取った一部の匂いに、俺は嫌な予感がした。
「あーなんか急に眠気が飛んで元気になって来たな〜、そんじゃあ早速仕事仕事…」
「ほーらグレイく〜ん、出来立てのカレーだよ〜!今日のは特別に隠し味でチョコレートも入れてあるからね♡」
「えっ、ち、チョコ…レート………!?」
サーシャの企みから逃げようとしたが叶わず、俺は立ち上がったばかりの自分のベッドに無理やりまた座らされる。それどころか、チョコレートという恐ろしい単語が聞こえて、一瞬で詰むことが確定した。
チョコレートと聞けば、大抵の人は舌で溶かすととろける、甘くてほろ苦い茶色のお菓子だと思うだろう。だが、娼館でその単語を聞くと話は別になる。
娼館でのチョコレートは、客を一瞬で獣に変えつつも一瞬で果てさせて精力を奪うものとされる。要するに、娼婦達がチョコレートと生クリームとバター、ラム酒かブランデーのような酒、ココナッツパウダーを混ぜて作った、"媚薬"というやつである。
しかも、今回はカレーのスパイスによって、そのチョコレートの効果を増進させてしまう。ちなみに娼館で作られるカレーのスパイスには、体温を上げるジンジャーが入っている。
カレーは勿論のこと、チョコレートも大好物ではあるが、我を忘れて色狂いになるぐらいなら今回ばかりは我慢してでも逃げ出したい。娼婦達の身のためにも、俺は獣になるわけにはいかないのだ。
「グレイくん、お口開けて〜♡」
「えっ!?いやちょっと待て!!おいリリィ!お前も乗り気で俺を羽交い締めにすんじゃねぇ!!つーかなんだこの無駄な馬鹿力は!!っていうか本当にやめておけってお前らのためを思って言ってんだよ!あのサーシャ様、どうかご慈悲を………んぐっ!」
悪あがきで下手に出ようとする間も無く、多種のスパイスが香る媚薬入りカレーが口に入った瞬間、俺は恐らく獣になっていた。
その時の記憶は、定かではない。
ただ、果てた時の快感が半端でなかったことと、当分チョコレートは食べたくないと思ったことだけは身体が覚えていた。
ーーーーーーーーーーー
「っ〜〜〜〜〜!!アンタ達は何やってんだい!!!グレイと遊んでる暇があるなら仕事をしな!!」
朝を迎え、俺達の様子を見に来たルーシーは、案の定ブチ切れ始めた。
頭にガンガン響くが、ルーシーとは本当に同意見だ。俺に構ってないで仕事をするべきだ。商売のためにも、娼婦達が生きるためにも断じて俺に媚薬カレーなど作っている場合ではない。
「お婆様…僕は好物のカレーに媚薬を盛られて獣にさせられました…」
「誰がお婆様だ!!娼婦達の恍惚とした顔が物語ってんだよ!アンタも楽しんでこの子らを貪りまくってたことを!!」
「だってぇ〜、グレイ君ってば来たばっかの頃よりすっっっごく上手になってるんだも〜ん…ねぇ、リリィ?」
「うん…なんか私達が教えることは何も無い的な…でもやっぱりエリィの調教が大きいわね」
「っ……ああ認めるよ…俺の負けだ」
「何の勝負してんだい!っていうかアンタ達もいつまでも微睡むんじゃないよ!さっさと起きな!!」
ルーシーに怒鳴られるだけでなく、俺達まとめて全員頭をペシッと叩かれたため、起きなければ煮込まれそうだと危機感を覚えて朝の準備を始めた。
(………そろそろ潮時かもしれないな…)
娼館で誰か女性の家に泊めてもらうための方法は、不本意だが昨夜のことでもう教わることがないと娼婦達から直接言われている。
そうなれば、今の俺がこの娼館にいる理由はもう無いも同然だ。
元々、学ぶことが無くなったらすぐに娼館を出て行くつもりだった。
どうせ何の未練も生まれない。女性の家を渡り歩いて生活するまでの繋ぎでしかない。
最初の頃はそう思っていたはずだった。しかし、ここにいるのは潮時だと思っていても、今はどことなく寂しさを感じてしまう。
それぐらい、娼館での生活に慣れた…否、愛着が湧いてしまった。
親父が穢らわしいと忌避していた娼館にいる娼婦達やルーシー、エリザと過ごした日々は飽きないものだった。貴族時代と違って素の自分でいられて、かと言って他の娼館と違い、ギスギスした雰囲気も無い。
俺は、娼館で過ごしたことでますます貴族社会になど戻りたくないと思った。
潮時だからと娼館を出れば、今以上に生活は厳しくなるのは分かっている。今とは違い、失敗すれば飯どころかベッドすら無くなるかもしれない。
何年か待ってこの娼館でいずれ正式に雇われれば、少なくとも食と住処はあるため、人として生活は保障される。
だが、あくまで俺の目的は単純に貴族社会を捨てて市民社会で生きることではない。
外聞が命である公爵家の当主である親父に怒り心頭になるほどの恥をかかせることだ。
あの時、俺の話をちゃんと聞いておけば良かったと後悔させるほどの。
そのためなら、どこまでも堕ちてやる。
少なくとも、人として最低限は生きられる生活を捨ててでも。
ーーーーーーーーーーー
数週間後…
俺は今日も、街中で女性の家を渡り歩く日々だ。
娼館で教わったことは、しっかり覚えている。虜にさせる口説き方、なるべく相手をした女に刺されない振る舞い、相手に男がいた時の対処法まで、全てだ。
今の俺は、誰しも大人の男性と見間違える見た目だと思う。背も13歳の少年にしてはかなり高く、相変わらず顔立ちも良く言えば大人っぽくて、悪く言えば老け顔だ。
そのおかげで、ありとあらゆる女性を口説いて家に泊めてもらうことも出来る。しかし、ガキだと侮られて大目に見られる外見では無いため、男にも絡まれやすい。その中には、寝た女性の恋人や夫に一発喰らったのも含まれている。
"家出した可哀想な子供を一晩買ってあげていた"という免罪符を持たれないため、ある意味対等にその男共と相対しなければならなかった。
(まあ、一発喰らったところで俺の方が強いからハンデと思えるし大したことないけどな)
仮にも公爵家の息子とは到底思えない放蕩ぶりだと自分でも思うが、家に戻れない理由づけとしては最高の状態のため、辞めるつもりなど毛頭もない。
だから今日も、小金がありそうなお嬢様もしくはご夫人の元に泊めてもらいに、街中をふらついていた。
ふらふらしながら辺りを見回すと、男女の揉める声が耳に入ってきた。
「出て行って!!アンタの顔なんか二度と見たくない!!!」
「だったら二度と帰らねぇよ!!そのまま金無くなって路頭に迷っちまえ!!」
「アンタがね!!ふん!!!」
旦那と奥さんが揉める光景は、街中ではよく見かける。普段なら大体見過ごすが、ご婦人の方が中々身綺麗で裕福に見え、旦那がいなくても対してダメージはなさそうだ。
(喧嘩直後なら…当分旦那は帰ってこないだろうな。一晩ぐらいならいけるか)
ターゲットを定めた俺は、旦那の姿が消えた後に、婦人の元に向かった。
「……お優しいマダム、どうかお話を聞いてくれませんか?」
「何なのよ!こんな時に………っ!!は、話って…何かしら?」
時には恐れを抱かれるが、それなりに顔立ちが良く大人っぽい若者が憐れみを誘う子犬のような眼差しを向ければ、大体すぐに堕ちてくれる。
本当に、娼婦達のガードがしっかりしているだけで、あんなに教え込まれなくても良かったのではないかと思ってしまうほどだ。
「俺…突然家を追い出されてしまって、今夜は寝る所がないんです。貴女さえ良ければ、今夜泊めてくれませんか?」
「えぇ、勿論良いわよ!バカ旦那もいないし、折角だから一晩とは言わず帰ってくるまで二人で楽しみましょう!」
「ッ!!ありがとうございます!美しいだけでなく、本当にお優しい方ですね」
褒めたら満更でも無さそうな顔をする婦人に、俺は内心何泊も出来て運が良いとしか思ってなかった。
ここまで堕落し切れば、もうこれ以上は堕ちない。
娼館とは違って働く必要も無く、口説くだけで宿をもらえる。足を踏み入れるまでは抵抗があった堕落の世界は、一度入ってしまえば大変居心地が良くてたまらない。
(エリザ…俺はちゃんとやれてるよ。だから何も心配すんな)
だからこそ、こんな俺のことは忘れて幸せに生きて欲しい。
エリザに対して心の中でそう願いながら、俺は目の前にいる婦人と一晩睦み合った。




