第29話 魔法師の女
「ここってなあに? あなたは誰?」
——逃げるか、戦うか。この女の実力は。
エリアは何も知らないといった表情をしながら状況を見極めようと探りを入れた。
ヨルンを連れて走って逃げるのは不可能だろう。そもそも魔法師アルゴに送り込まれたのだ。何か急いでやらなくてはならないことがあるのだろう。その『何か』がわからないのが厄介だが。
そうと決まればやることはひとつ。応援を呼ばれる前に眠らせるなどして無力化するしかない。
「ここは領主様が所有しているわ。一般人が入っていい場所ではない。そんなに小さな子を連れて……。他の者に見つかると厄介だわ。入って来た場所に案内するなら見逃してあげるから、早く行きなさい」
幸い女はエリアが魔法師だと気付いていないようだった。隙を見て魔法を打ち込もうと背中に隠した杖にそっと触れた時。
「なんだこのガキどもは! 何をボサッとしているのだレジ!」
通路の反対側から現れた研究員風の男が魔法の詠唱を始める。エリアが一瞬男の方を向いた瞬間に、女はエリアに向かって何かを投げた。
「旋風!」
咄嗟に杖を構え、風を起こして軌道を逸らす。投げられた物体は小さな瓶だったようだ。風に乗って中身の液体が飛び散り、男に降りかかった。詠唱に集中していて反応が遅れた男は、そのまま昏倒した。
「魔法薬……」
「あなた、魔法師だったのね。それも、変わった詠唱。スパイ? それとも国お抱えの魔法師かしら。逃がすわけにはいかなくなったわ。その子も普通じゃないのかしら」
一切表情を変えずに淡々としゃべっていた女だったが、唐突にナイフを構え斬りかかってきた。速い。
「盾!」
魔力を集中させる時間が足りず、小さな光の盾で初撃を弾く。だが足を止めさせることは出来ず、何度も打ち込まれじりじりと壁際に追い詰められていく。女は魔法薬で身体強化をしているようで、細身で病弱そうな見た目にも関わらず一切疲れる様子はなかった。
その時、女が近づいたことに反応したのか、小部屋の扉が勝手に開いた。ヨルンを抱えて滑り込む。貴重な魔道具があるというのなら、それを盾にすれば女もあまり派手な動きはできないだろうと目論んでのことだったのだが。
小部屋の中には大きな筒のような形をした魔道具と、操作盤らしきボタンが沢山ついたこれまた大きな筐体が鎮座していた。人の出入りに反応したのか、突然ブゥンと音を立てて起動し、ランプが点滅し始めた。魔石は見える範囲には無かったが、すさまじい魔力が渦巻き肌が粟立つような感覚に襲われる。思わず足を止めてしまい、女の攻撃を防ぐのが遅れてナイフがエリアの肩をかすめた。
急激に魔力が抜け、立っていられなくなる。体がどんどん冷えていく感覚。魔法を使おうにも声を出す力が出ない。
——魔法毒。
せめてヨルンだけでも逃がそうと必死に力を振り絞るが、努力むなしくエリアは冷たい床へと倒れ伏した。縋り寄ろうとするヨルンに女の魔の手が伸び、事前に渡していた聖銀の枝の髪飾りが反応して光の防護壁が展開する。壁に阻まれエリアに近寄ることもできなくなってしまったヨルンは、大型魔道具の筐体へと走り、ボタンをでたらめに押した。女が何かを叫んでいる。筒状の魔道具が激しい音を立てて動き出し、光と魔力が溢れた。
——まるで戦場の真ん中にいるみたい。
混沌とした懐かしい感覚に、笑っている場合ではないのに思わず息が零れた。ヨルンの守りはもう一つある。どさくさに紛れて逃げ出せたらいいなぁと思いながらエリアは意識を手放した。




