第26話 様子のおかしい朝
「エルノー、町の明かりが見えてきた。あと少しの辛抱だ」
ソルフェンが気遣わしげに声をかけてくれたが、エルノーに返事をする余裕はない。激しく揺れる馬車の荷台で、すっかり馬車酔いを起こしてしまっていた。ローブを着ていて暑かったのもいけなかったかもしれない。せっかくきちんとした服を着てきたのだが、途中で楽な格好に着替える羽目になった。
最初何度か休憩を入れてもらったのだが、あまり頻繁に止まっていては日が暮れるまでに宿場まで辿り着けない。心なしか町兵たちからも残念な子を見るような目で見られている気がする。町長と同じ馬車に乗っていたウォルトに吐き気止めの薬を貰ったりもしたのだが、残念ながらエルノーには効かない。そんなわけで途中からは吐き気を堪えながらただ荷台に横になって必死に耐えていた。
宿場であるケテの町まで辿り着いたのはすっかり日が暮れてからだった。ここはまだ王領だが、先に出発したエリアたちはもっと先に進んでいるはずである。
「宿の手配ができたそうだよ。エルノーは僕と同じ部屋だ」
「うん……」
ソルフェンに手を引かれて馬車を降り、よろよろと部屋へ向かう。
「夕飯は……まだ厳しそうだな。水を貰ってこよう」
ソルフェンはエルノーをベッドに押し込み横に桶を置くと、階下へと降りていった。
エルノーは久しぶりの揺れない地面と柔らかな布に包まれて目を閉じた。
「エルノー、そろそろ起きてくれ。もう出ないとまた到着が夜になってしまうよ」
エルノーはソルフェンに揺り起こされ、しぶしぶ目を開けた。一晩ぐっすりと眠ってしまったらしく、窓の外はうっすらと明るくなってきていた。
あと半日ほどで遺跡のそばの村に着くはずなのでもう少しゆっくりしても平気なはず、とエルノーはのろのろと起き上がったのだが。
「ああほら、町長がご立腹だよ。重要な会議か何か知らないがせっかちなことだ。置いて行かれるとまずいし、早く帰ろう」
どうにもソルフェンの様子がおかしかった。
「帰る? どこに」
「どこにって、家に決まってるじゃないか」
「ちょっと待って。レストに帰るの? なんで? 夜に何かあったの?」
「何でって、この先はカーガント領だ。行っても面倒なことになるだけじゃないか」
どうにも話が噛み合わず困惑する。
「聞きたいんだけど、俺たちここまで何のために来たの?」
「兵の訓練のためだろう? ……君は違うというのか?」
困惑するエルノーを見てソルフェンも何かおかしなことが起きていると察したようだ。急かすのは止めてベッドに腰掛ける。
エルノーは禁制品や遺跡のことをかいつまんで話したが、ソルフェンはどれもピンとこないようで首を傾げていた。だが「エリアとヨルンは先に遺跡に行ったよ」と話すと、さすがに自分の記憶に疑問を持ったようだ。
「ヨルン……? 家に置いてきたんじゃなかったか? いや、預けた記憶は無いな……。どういうことだ」
「みんなソルフェンみたいな感じなの? 変なこと言ってる人はいなかった?」
「皆こうだ。……エルノーがおかしくなっているということはないのか? 昨日の体調不良で記憶が混乱しているということは」
「無いよ。熱を出したわけじゃないし、外部から干渉を受けた形跡もない」
連れてきた町兵は20人ほど。全員が同じように記憶を操作されているとなれば、魔法に他ならない。寝ていたとはいえ近距離での魔法の発動に気が付かないはずはないため、魔法薬でも盛られたのだろうか。
「ちょっと体の中見ていいかな。軽く魔力を流すだけだから」
ソルフェンの手を取り、魔力を細く流し込む。わずかな反応があったが、時間が経っている上にすっかり散ってしまっていて、何を盛られたかまではわからない。命に係わるものではなさそうなのが救いだ。
「昨日の夜は何を食べた?」
「パンと煮込み料理だよ。そこに置いてある。君が夜中に起きたら食べるかもしれないと思って一応貰ってきておいたんだが。結局朝まで寝ていたな」
テーブルの上には昨日全員が食べたという宿の食事と、水が入ったコップが置いてあった。集中して探ってみるが、特におかしなところはない。念のため少し口にしてみたが、冷めていておいしくないというだけで普通の食事だ。
「これ以外には? 何も食べてない?」
「……そういえば、薬草酒を少し。今後特産にしていきたいから味見をしてくれと。残っていないか聞いてくるか?」
「そうだね。それから、町長には具合が悪くて起き上がれそうにないから後で帰ると伝えてきてくれる?」
「それでいいのか? 君の評価に関わるのでは」
「そんなものはどうでもいいよ。十中八九相手の魔法師が出てきてる以上、行くにしろ戻るにしろ町長はいない方が身動きが取りやすい。俺の話を聞く人とも思えないし」
これだけの人数に違和感を抱かせず記憶を操作するというのは簡単なことではない。相手の魔法師はなかなかに腕がありそうだ。おそらく王都からの監査も同じような手で誤魔化したのだろう。穏便に帰してもらえるうちに町長たちには帰ってもらった方が被害が少なくて済む。
「ごめん。俺がみんなと一緒にご飯を食べてたらすぐ気が付いたのに。まだ王領だと思って油断した」
「いや、むしろ相手の裏をかけるかもしれない。エルノーは昨日ほぼ人前に姿を見せていないだろう? しかも魔法師の格好すらしていなかった。気付かれていない可能性は高いんじゃないか?」
ウォルトに事情を話して町長を上手く連れ帰ってもらおう、とソルフェンは階下へ降りて行った。昨日からずっと町長の世話をさせられていて「帰りはあなたたちと同じ馬車がいいです」と泣き言を言っていたウォルトのことは気の毒だが、俺たちも頑張ってくるから、とエルノーは心の中でそっと謝った。




