44 重要機密、汎用人工知能イリカ。
百十、
それから、二週間と少しが過ぎた頃。約束の日が来た。
ロタは休日である。
ハヤミが勤務する研究施設へ、午前中の早い時間にロタは出向く。
首都圏の一等地。
周辺には商業施設はなく、官庁や会議場、金融機関のビルが建ち並ぶ。
ハヤミのいる研究施設も、堅牢なビル。官民共同出資で、国や地方自治体、企業の機密も扱っているらしい。
警備は厳重だ。原則、関係者以外は見学不可。
ロタも、訪問の度に、関所のような門や入り口にて、身分証明書の提示と書類記入を要求される。金属探知や所持品検査もある。
ロタがこの研究施設にハヤミを訪ねるのも、かれこれ十回以上にはなろう。しかも、ロタは真面目な勤め人であり、社会的地位もある。それでも、未だに「顔パス」というわけにはいかないのだった。
「入る時の手続き、大変だったでしょう。毎度のことですが、お手間を取らせます」
ハヤミとは応接室で合流し、二人は別館の実験棟へ向かう。その廊下を歩きつつ、ハヤミがロタを軽く振り返り、声をかけてきたのだ。
ハヤミはグレーのパンツスーツ。襟と袖口に、ふわりとしたリボン状の飾り。そこだけは、紺色に白抜きの水玉模様。
ハヤミのねぎらいに、ロタは軽く笑うと、
「いや、もう慣れましたよ。逆に言うと、これほど重要な施設にイリカの頭脳が置いてあるんだなと思うと、それはそれでね、誇らしい気もします」
約二週間前、テレビ電話で少々気まずくもなったロタとハヤミだが、今は元通り打ち解けていた。
ロタは陽気な性格で、他人からの批判や叱責を引きずるタイプではない。もっとも、それを熟知しているからこそ、ハヤミも遠慮なく本音を言えたわけだが。
他人が「意見や本心を言いやすい」ところは、ロタのキャラクターである。
例えば、ある小さいグループにロタが属していて、周囲がそのグループへ何か文句を言いたいような時。「言いやすい相手」ということで、ことさら、ロタがその窓口にさせられてしまうこともよくある。
ロタ本人としては損をする場合も多いわけだが、周囲に無駄な緊張感を振りまかない人柄は、やはり長所ではあるのだろう。
ちなみに、今日のロタは、仕事着と同じく、背広にネクタイ姿。
重めの話し合いをするため、ネクタイの柄は地味であり、ポケットチーフもなし。浮かれた雰囲気は意識的に排除していた。
廊下が終わると、一旦、屋外へ出る。時刻はまだ昼前。晩秋であり、ひんやりする。日差しも低い。
二人で実験棟へ移動。
ここは更に極秘事項が多いエリアらしい。果たして何階建てで、どれほどの広さなのか等、建物の外観、全体像を入り口から推し量ることは出来ない。位置的に、入り口からは建物の形状がよく見えないのだ。わざとそういう造りにしてあるという。
灰色の外壁、無機質な廊下。同じような部屋が幾つも並んでいるようだ。
脳イリカも、そのうちの一部屋にある。
百十一、
人工知能イリカが設置された部屋へ入る。
部屋は十五畳ほどで、窓はない。普段は何重にも施錠され、自由に出入りできる者はハヤミのみ。
また、この部屋において「最新型の汎用人工知能」が研究開発されていることをちゃんと把握している者も、ごく少数である。
部屋は天井も高いが、現在はイリカも「縮小」されている。
人の背丈より高く積まれたサーバーと、それをぐるりと囲む冷却装置。
床に伸びた太いケーブルと、そこへつながるパソコン画面や、エンジンのような機械の塊。目立つのはそれぐらいだ。
まだまだ、一個人の自宅で保存・管理するには大規模過ぎるし、ましてや、ロボイリカの内側へ収納するなど、夢のまた夢だ。
とはいえ、当初のプロトタイプは、この部屋全体を埋め尽くしていた。それを思えば、コンパクトさは比較にならない。驚異的な進歩である。
丸テーブルを挟み、互いに向き合って座る。
前置きのあいさつは短めにし、
「この部屋の人工知能イリカちゃんを、今後、マノウさんのロボットイリカちゃんとつなげるわけですが、その際、人工知能が出来るだけ混乱しない方法を検討します」
ハヤミが一気に本題へ切り込んだ。
ロタは無言でうなずく。
相手は人工知能分野の国際的な権威。しばらくは聞き役にならざるを得まい。
「その方法として、幾つかの案があります。真っ先に浮かんだのは、パソコン画面上などで私がプログラムを書き直すという方法です」
「パソコンのキーボードを叩いて、数式をいじる感じでしょうか」
黙ったままというのも気が引け、今度は疑問を差し挟むロタ。
「一言で言うなら、そういうことです。ただ、これは現実的ではありません。もはや、イリカちゃんは人工知能としては成長し過ぎてしまったからです。枝分かれした膨大な記号や数字を、全て解析するのは不可能です」
「追い切れませんか」
うまい表現だったらしく、ハヤミも同じ言葉を繰り返して、
「ええ。とても追い切れませんね。どの記号がどの機能へ作用しているのか、容易には判明しません。また、あるエラーを取り除きたい場合に、数式のどこを入れ換えればそれが可能なのかも分かりにくいのです。
下手に触りますと、それこそ、」
「せっかく育ててきた人間らしさまで……」
「そうです、消してしまいかねません」
「じゃあ結局は、いずれにせよ、私が脳イリカへ直接話しかける以外にないのだろうか」
ロタが、半ば自分に言い聞かせるようにつぶやくと、ハヤミは首を縦に振り、
「まさにそれが、案の二つ目なのです」
「やはり難しいですよね、これはこれで」
ハヤミもあっさり認めて、
「はい。もう、こちらは私よりロタさんの方がよく御存じですよね」
「まあ、そうなのかもしれませんね。身をもって思い知りましたから。去年の夏、イリカが大きなエラーを起こした時にも、私一人では手に負えず、リモリさんの力を借りましたしね。しかも、あの時にも、決して解決はしてなくて、先延ばしという感じでしたし。
まして今回は、イリカに対して、君は実は人工知能で、これからロボットとくっつくんだよ、ということを伝えねばならぬわけで。どう言葉を選べば、エラーを起こさせず、矛盾なく説明できるのか。よほど綿密な打ち合わせが必要でしょうな」
話しながら、ロタは途中に何回か「間」をあけた。ハヤミが口を挟みやすいように、あえてそうしたのだ。
だが、ハヤミは同意の印に、二、三回、黙って首肯したのみ。
ロタも、
(あっ、この方法についても、ハヤミさんの中では不採用という結論が既に出てるのだな)
と、しゃべりながら気付き、終盤はやや早口になっていた。
果たして、その通りであった。ハヤミはシンプルに答える。
「まさに、今、ロタさんがおっしゃったことで論点は出尽くしていると思います。幾ら、脳イリカちゃんが目覚ましい進歩を遂げたとはいえ、まだまだ不確定要素が多過ぎます。人工知能と話し合う、というのは、やはり現実的な選択肢ではありません」
話すのをやめ、ハヤミはスーッと息を吸い込む。丸眼鏡を通して、ロタの目をまっすぐ、強く見据えた。
明らかに、今から言うことが本題に違いない。
ロタは唇をグッと締めて、ハヤミの言葉を待つ。
「そこで、私は第三の方法を考えました。やっぱり、ある程度の不安要素は覚悟しなければなりませんが、最も安全性が高いと思われます。
それは、脳イリカちゃんとロボイリカちゃんを最初から直接つなげてしまうという方法です」
(何だと!?
そいつは、一番やっちゃいけないことだろ!)
内心、ロタは混乱した。
しかし、どこか冷静さもあり、声は立てなかった。説明はまだ途中なのだろうなと思ったからだ。
ロタの予測通りであった。
ハヤミも、自分の次のセリフをロタが待っていることに気付いてか、間髪を入れずに先を続けた。
「ただし、いきなり脳イリカちゃん全体とつなげようというわけではありません。脳イリカちゃんを二つに分割するのです」




