なぜテンプレ小説が生まれたか、流行しているか
こんにちは。今回は、近年の「小説家になろう」批判についての考察をやっていきます。
小説家になろう(以下:なろう)が設立されたのは2008年です。今では、日本最大級の小説投稿サイトとして名をはせています。しかし、2013年頃からインターネット媒体を通した批判が行われています。
その批判について考えていきたいと思います。
まず、外部からの批判として、次のようなものがあげられます。
【読者に対する批判】
・読者の作者に対する誹謗中傷がひどい
・読者が感想で作者に物語の続きはこうあるべきだ、こうしろと指示する行為が多すぎる
【内容に対する批判】
・話の内容がテンプレート化(異世界ハーレムチート)し、(ここまでは良い)しかもそれらの内容にほとんど差異がなく、全体としての質が極端に低下している。
・小説の世界観設定がひどい。(極端なご都合主義含む)
・主人公側が絶対善となり、その他は絶対悪になっている。(これは善悪の微妙な問題があるので今回は取り上げません。文化相対主義による考え方の一環です。法律による奴隷制度が有名ですね。)
・主人公に挫折・失敗・下積みなどの経験がない
・ヒロインの扱い方がひどい(はじめからベタ惚れもしくはすぐに惚れる)
こんなところです。これらの行為には、理由があると考えられます。
「主人公への入れ込み」です。
心理学者ジークムント・フロイトから始まった考え方である「防衛機制」によると、人間は不満を持ったときにどの人間も共通してある一定の行動をとることが明らかになっています。
詳しい説明は省きますが、この防衛機制が作者および読者に影響を与えているのではないか、ということです。
例としてあげれば、
昇華(反社会的な欲求や感情を、社会に文化的に還元出来得るような価値ある行動へと置き換えること。ここでは、小説を書くこと)
同一視(同一化)(自分にない名声や権威に自分を近づけることによって自分を高めようとすること。ここでは、小説の主人公に近づこうとすること)
しかし、このような防衛機制が成り立つような不満を、なろうの読者や作者は持っているのでしょうか。
内閣府より出されている経済指標を見てみましたが、GDP、成長率、GDPデフレーター、物価上昇率、景気動向指数、消費者物価指数、消費支出、短観など、どれをとっても急速に景気が悪化しているとは取れませんでした。(現在、景気が良いとはいえませんが……)
しかし、NHKが2014年に実施した実施したアンケート(http://www.nhk.or.jp/shutoken/2030/series1/result/)によると、若者の多くが現状に満足していない、また将来に不安があることがわかります。(経済的不安を持っている方も多く、それは小説で主人公が金銭的にあまり不自由しないところにも現れています。恋愛や強大な力についても同様です)
これらの結果から見ると、多くの小説が「チート」「ハーレム」「転生」「VRMMO」といった、現在の自分との違いを感じさせるテーマを選び、それが受けている理由もわかります。
しかし、いったいいつから、このような流れが生まれたのでしょうか。
なろうの歴史をⅠ期~Ⅵ期まで分けました。
Ⅰ期……ネット小説の新進気鋭たちが集まる。まだ質や量は十分とはいえないが、一部の作家たちは頭角を現す。全体的な人口も質も量も、時間とともに比例して増える。
Ⅱ期……才能ある小説家たちが出版社からいくらかスカウトを受ける(ログ・ホライズンや魔法科高校の劣等生など)。噂をかぎつけた新規ユーザーたちが一斉に流入を始める。質もそれに伴い上がり、量は劇的に増加する。
Ⅲ期……多数の小説にいわゆる「テンプレ」が形成される。テンプレート小説が増えるが、そうでない小説も評価を受ける。質は緩やかに上昇し、人口はさらに増える。量も同じ。
Ⅳ期……テンプレート小説の需要が高まり、作者もそれに呼応する。テンプレート小説でない小説が評価を受けにくくなり、作者はますますテンプレに流れる。人口はさらに増え、量も増えるが、質は下降を始める。
Ⅴ期……テンプレート小説が主流となり、その他の小説は全く評価を受けない。似たような小説が大量に出回り、人口・量ともに増えるが、質はさらに下降する。
Ⅵ期……増えすぎたテンプレート小説の中で独創性があるものが重視され始める。下がりすぎた質のために、人口増加が止まる。量は平行線をたどり、質は少しずつ上がり始める。現在のなろう。
このような流れで、テンプレ小説は氾濫したのです。
このようなありきたりな物語になることを防ぐために作者に必要なのは、主人公を徹底的に叩き潰すことです。再起不能だろうと思うぐらいまで。そこからの復活と、敵の討伐は読者に大きな感動を与えます。ところが読者も作者も、主人公が修行したり下積みしたり、挫折したり、はたまたコテンパンにされるような小説は見たくないし、書きたくありません。理由は前述のとおり、不満を解消するために読んだり書いたりしているからです。すると、どうしても勝利、成功ばかりになってしまい、物語が味気なくなってしまいます。作者側はこれを防ぐために新しいヒロインや事件を起こしますが、やがて破局が来ます。そのうち読者に飽きられるのです。単調でつまらない小説を読む人がいるでしょうか。
インターネットという特殊な媒体もこの状況の原因となっています。作者側がたとえ主人公を挫折させたかったとしても、挫折した話の続きを読者は気にします。普通の本なら、ここで読者は次の本が出るまで待つわけですが、インターネットでは作者に意見が言えるわけです。すると、「Aというキャラを殺すなよ」「そもそもこんな状況になぜしたのよ」という意見も出てきて、これによって作者が叩かれることにもなっています。さらに、このようなサイトは、ひとつの小説が気に入らなければほかの小説にすぐ移ることができるため(本なら買った時点で読んではくれます)、読者はもっとチートでハーレムなほかの小説に移っては読み、移っては読みという悪循環を生み出しています。
ネット小説の小説家たちには、従来の小説家よりも難しい判断が迫られています。