第9基音:湿地帯の波長
翌朝。爽やかな潮風が吹き抜けるハーモニアの街を抜け、俺とカノンは冒険者ギルドへとやってきた。
朝のギルド内は、仕事を探す冒険者たちで活気に溢れている。掲示板の前には人だかりができていたが、俺たちは端の方にある『Fランク専用』の依頼欄へと向かった。
「さてと、まずは実績作りだし、無理のない依頼を選ぼうか」
「はい、アルト様。アルト様が選ばれる依頼でしたら、どのようなものでも全力でお支えします」
カノンが紫の瞳を輝かせながら頷く。
掲示板に並ぶ紙を眺めると、街のドブ掃除、荷運び、そして薬草採取などが並んでいた。
「これなんか良さそうだな。『港の裏山でのブルーハーブ採取』。報酬は銅貨三十枚。薬草の生えている場所は害獣が出ることもあるみたいだけど、Fランクの初仕事にはちょうどいいや」
依頼書を引き剥がし、受付窓口へ向かう。
昨日の受付嬢さんが、俺たちに気づいて明るく微笑みかけた。
「あら、アルトさんにカノンさん! おはようございます。初依頼の受託ですね?」
「はい、この薬草採取をお願いします」
「かしこまりました! ブルーハーブは裏山の奥にある湿地帯近くに自生しています。ただ、最近あのあたりで『魔力の波長がおかしい』という報告が数件入っていまして……凶暴化した小型の魔物が出るかもしれませんので、気をつけてくださいね」
「分かりました。ありがとうございます、行ってきます!」
◇
港町ハーモニアの東側に広がる裏山。
青々とした樹木が茂る山道を進み、俺たちは目標の湿地帯を目指して奧へと足を進めた。
「受付嬢さんの話だと、湿地帯の近くまで行かないと上質なブルーハーブは手に入らないみたいだな」
「ええ。アルト様のお足元はお守りいたしますので、ご安心ください」
しばらく歩くと、周囲の樹木がまばらになり、足元が湿った苔と水たまりで覆われた湿地帯へとたどり着いた。
周囲にはほのかに甘い香りが漂い、青く透き通った綺麗なブルーハーブが群生している。
「うわぁ、すごいな……! ここまで奥に来ると、本当に綺麗に咲いてる」
「はい、とても澄んだ魔力を宿しておりますね」
俺が屈み込んで丁寧に摘み取り始めると、カノンも隣で手際よく採取を手伝ってくれた。
「ふふ、アルト様と一緒に作業をする時間……なんだかとても心が安らぎます」
「そう言ってもらえると助かるよ。カノンの手伝い、すごく丁寧だし」
和やかな雰囲気で作業を進めていた、その時だった。
――ガサガサッ!!
湿地帯の奥に生い茂る鬱蒼とした葦の群生地が大きく揺れ、低い唸り声が響いた。
重い足音とともに泥水を跳ね上げて姿を現したのは、体長三メートルを超える『狂乱イノシシ(マッドボア)』だった。通常よりも目が赤く血走り、体中から赤黒い魔力のモヤを噴き出している。
「あ、あれメンテ不足で魔力回路が――」
俺が声をかけようとした、そのコンマ一秒前。
「――アルト様に、気安く泥を投げつけようなどと」
カノンの姿が一瞬でかき消えた。
ドオンッ!! と空気が爆ぜるような衝撃波。
【星紡ぎのドレス】の裾を優雅にたなびかせながら、カノンはすでに湿地帯の上空へと躍り出ていた。彼女の細い指先に組み上げられたのは、圧縮された膨大な魔力の閃光。
かつて世界を滅ぼしかけた魔導兵器としての圧倒的な出力が、ほんの一瞬だけ解放される。
「消えなさい」
――ドカァァァァンッ!!!
一閃。
湿地帯の水流ごと蒸発させ、山の一部を削り取るほどの圧巻な紫の魔力光がマッドボアを直撃した。巨大な魔物は叫び声を上げる暇すらなく一瞬で灰燼と化して吹き飛んだ。
干上がって焦げ付いた泥地と、彼方まで吹っ飛んだ木々。
静寂が戻った湿地帯の中で、俺はポカンと口を開けたまま固まっていた。
(えええぇぇぇっ!? なに今の威力!? 湿地帯が一瞬で干上がってるんだけど!? カノンってそんな凄まじい攻撃できたの……!?)
ダンジョン最深部で出会った時はボロボロで動けなくなっていた可愛い女の子だと思っていたのに、まさかここまでの超火力を秘めていたとは夢にも思わなかった。
そんな俺の動揺をよそに、カノンは軽やかに着地すると、何事もなかったかのように可憐に微笑んで歩み寄ってくる。
「ふふ、アルト様のお手を汚すまでもなく処分いたしました。これでご安心ください」
「う、うん……ありがとカノン……って、すごすぎるでしょ!? カノンってそんな強かったの!?」
「私など、アルト様の偉大なお力に比べれば赤子も同然でございます」
胸の前で手を組み、心底申し訳なさそうに謙遜するカノン。
(……いやいや、俺はレベル1の雑用係だよ!? 一体どこをどう比べたら俺が勝つと思ってんだ!?)
思わず心の中で激しいセルフツッコミを入れる俺だったが、カノンの表情は至って本気であり、うっとりと頬を染めている。
(……まあ、あいつ絶対ただのメンテナンス不足でイライラしてただけなのに、跡形もなく吹き飛ばしちゃったよ。カノンが強すぎて、相手がメンテ不足だと気づく隙すら与えなかったな……)
「よし……気を取り直して、薬草採取の続きをやろうか!」
「はい、アルト様!」
湿地帯でのカノンの規格外すぎる戦闘力に肝を冷やしつつも、俺たちはブルーハーブをカゴいっぱいに摘み取っていくのだった。




