第83基音:静かなる波長
魔導都市フォルテでの旅の準備を整え、出発を明日に控えた夜。自室のベッドで、カノンはふと目を覚ました。
隣を見るが、そこにアルトの姿はない。
「……アルト様?」
静まり返った廊下を抜け、カノンが宿の裏手に広がる静かな庭へと足を踏み出すと――月明かりの下、そこに佇むアルトの姿があった。
その傍らには、昼間に音叉を取り込んで一体化したパルスが、心地よさそうに淡い光を纏って浮いている。
アルトは静かに息を整えると、自身の掌に意識を集中させた。
目の前にぽつんと転がっていた小さな魔石――それを対象に、アルトは己の能力の確認を開始する。
(「調律師」の力。万物が持つ波長を解析し、最適値へ増幅させるか、あるいは噛み合わせをズラして解体・初期化する)
アルトが指先を小さく弾いた瞬間、音を立てることもなく、目の前の魔石の内部構造が綺麗に分解され、サラサラと砂のように霧散した。
さらに別の魔石に意識を向け、今度は波長を極限まで引き上げる。
――キィン……ッ!
音なき衝撃波と共に、魔石の内側から強烈な魔力が解き放たれ、眩いほどの純白の光を迸らせた。だが、その圧倒的な爆発エネルギーはアルトの緻密な制御によって周囲の一点へと完全に収束され、庭の草木一本すら傷つけることはない。
パルスを介したことで、音叉を持ち歩く手間もなく、思考と波長が直結するように瞬時高純度の共鳴が引き出せるようになっている。
(……よし。パルスとの同化で、出力の立ち上がりも微細な調整も一段と精度が上がってるな。これなら、深海ダンジョンの奥底にある複雑なノイズや未知の魔物の固有振動も、完璧に調律できるはずだ)
アルトがふぅと息を吐き、満足そうに頷いたその時――。
「――すごいですね、アルト様」
背後から掛けられた声に、アルトはわずかに肩をビクリと揺らし、慌てて振り返った。そこには、うっとりと紫の瞳を輝かせたカノンが立っていた。
「カノン? ……起きてたのか」
「ええ。ふと目が覚めて、アルト様がいなかったものですから」
カノンはふわりと優しい笑みを浮かべ、音のない足取りでアルトの隣へと歩み寄る。そして、彼の腕にそっと自分の腕を絡め、月明かりに照らされた横顔を見上げた。
「それに、アルト様がとっても素敵な調律をされている気配がしたものですから」
「はは……見られていたか」
アルトは気恥ずかしそうに耳たぶを赤く染め、軽く視線を逸らす。その無自覚にカッコいいところを見られて照れている姿に、カノンは胸をときめかせ、さらに愛おしそうに体を寄せた。
「ふふ、隠し事なんてできませんよ。……どんな強敵が待ち受けていようと、アルト様がその力を持っていれば、私たちは絶対に大丈夫ですね」
「ああ、そうだね。いよいよ明日から出発する深海の底に、どんな不快なノイズが潜んでいようと……まとめて綺麗に調律してやろう」
カノンの揺るぎない信頼と、そんな彼の不意の照れ顔。
パルスという新たな力も得て、明日の出発に向けた確かな手応えを胸に、二人は静かなフォルテの夜の庭でそっと寄り添い合うのだった。




