第82基音:音叉スライム
水上都市と深海ダンジョンへの出発を控え、二人は魔導都市フォルテの商業区にて旅の準備を整えていた。
大通りの喧噪の中、アルトは手元にあるものを眺めて、小さく息を吐き出す。
それは、ギルドでの任務や普段の携帯において、どうにも持ち歩きにかさばる『原初の調律具』――あの大きな音叉だった。
「移動のたびに懐や荷物から出し入れするのも、少し手間だな……。かといって、魔導具の収納袋に入れてしまうと、いざという時の瞬発的な共鳴が鈍るし……」
アルトが難儀していると、その懐のあたりから、もぞもぞと微かな動きが伝わってきた。
ぽこっ、と布の隙間から顔を出したのは、ノイズスライムの『パルス』だった。
「……おや、パルス。起きたかい?」
フォルテの地下ダンジョン深層、あの張り詰めた無音部屋の環境がこたえたのか、パルスはずっとアルトの懐でぐったりと眠ったままだったのだ。
パルスはくんくんと周囲の匂いを嗅ぐように丸い身体を揺らすと、アルトが手に持っていた『原初の調律具』をぴょんと見据えた。
「――っ、パルス!?」
次の瞬間、パルスはぬるりとアルトの手から音叉へと飛び移り、そのゼリー状の身体で音叉を丸ごと包み込んでしまった。
ぐにゃりと音叉の形がパルスの体内で透け、吸収されるように馴染んでいく。
「アルト様、大変です……! パルスが音叉を取り込んじゃいました……!」
カノンが紫の瞳を丸くして驚きの声をあげる。しかし、アルトが慌ててパルスの波長を探ると、苦しんでいる様子は一切なく、むしろ以前よりも澄んだ力強い周波数が全身から満ち溢れていた。
「……大丈夫だよ、カノン。驚いたけれど、パルスはむしろ元気を取り戻している。それに……」
アルトがパルスの頭を優しく指先で撫でると、パルスは嬉しそうにプルプルと身体を震わせ、体内で取り込んだ音叉の共鳴音を心地よいメロディのように響かせた。
音叉がパルスと一体化したことにより、いつでもどこでもパルスを介して瞬時に高純度の共鳴や「調律」を引き出せるようになったのだ。
「なるほど。これなら持ち歩きの手間も省けるし、パルス自身も僕の調律の波長を纏って一段と強くなれそうだね」
アルトが穏やかに微笑むと、パルスは「キュキュッ!」と誇らしげに鳴いてアルトの肩へとスリッと寄り添った。
その傍らで、カノンは目を輝かせながらパルスを見つめる。
「さすがはアルト様です! パルスも一緒に深海の旅へ来てくれる気満々みたいですね。これならどんな深層の闇だって、恐れることはありませんね!」
新たな相棒のパワーアップという心強いイレギュラーを背負い、二人は万全の準備を整えて、水上都市へと通じる街道へ足を踏み出すのだった。




