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第70基音:静寂の聖域

崩落した最深部の岩盤。カノンが開けた破断面の奥へと一歩踏み出した瞬間、それまでのダンジョンの不快な湿気と血の匂いが一気に吹き飛んだ。

「これは……すごいな……」

思わず感嘆の声が漏れる。

そこに広がっていたのは、ダンジョンの荒々しい岩肌とはまるで異なる世界だった。

どこまでも続く澄み切った白い結晶の床。天井からは巨大な音叉(おんさ)のような形状をした透明な結晶柱が幾重にも垂れ下がり、微かな空気の振動に応じて柔らかな光を放っている。

「アルト様、お気をつけください。ダンジョンの深層特有の魔導歪みかと思われますが……不審な気配があれば、即座にこの空間ごと打ち砕きますので」

四対の光翼を警戒するように展開させ、カノンが俺の斜め前にすっと身を躍らせる。パルスもカノンの頭の上で「ぷしゅ〜」と小さく身を縮め、あたりを見回していた。

「いや、カノン……待ってくれ。ここは危険な場所じゃない。むしろ――」

俺は覚醒した己の感覚に意識を向けた。

呼吸をするたび、足音を一つ立てるたび。この空間全体が優しく、完璧な和音となって残響を返してくる。

それだけではない。俺の目には、カノンから溢れ出す圧倒的な魔力や、俺自身の体内で巡る調律の波動が、透き通った『光の糸』となって空間を漂う様子がはっきりと見えていた。

「音と魔力の波長が……空間そのものに可視化されているのか……」

「波長が可視化……? アルト様、私にはただ静かな神殿の跡地のようにしか見えませんが……」

「俺が己の音を調律したから見えているのかもしれない。……カノンの波長、すごく綺麗だぞ。力強くて、どこまでも真っ直ぐで……純粋な光の束みたいだ」

「あ……あぅ……ッ!?」

俺が素直な感想を口にすると、カノンは顔を真っ赤に染め、両手で頬を押さえてくねくねと身をよじり始めた。背中の光翼から伸びる光の糸が、歓喜の旋律を描くように一気に華やかに舞い踊る。

「あ、アルト様……! 私の波長をそんな風に褒めていただけるなんて……! あぁ、私の全身がアルト様の眼差しに包み込まれて、溶けてしまいそうです……ッ! もういっそ、このままアルト様の波長と私の波長を永久に編み込んで、ひとつになってしまいましょうか……!?」

「またすぐ重い方向にいこうとする……。でも、ありがとう。カノンのその強い波長があるから、俺も安心して前に行ける」

「〜〜〜ッ!!(歓喜のあまり言葉にならない悲鳴)」

激しすぎる愛の旋律を撒き散らすカノンの手を取り、俺たちは白い結晶の回廊を奥へと進む。

進むにつれ、結晶柱の密度が増し、空間に満ちる残響が深くなっていく。

ただのダンジョンの最深部ではない。ここは明らかに、かつて何者かが意図して造り上げた『特別な場所』だ。

(『無音の部屋』の真下に、こんな音が満ちた空間が存在していたなんて……)

その時、回廊の先が開け、広大な円形広場が姿を現した。

広場の中央には、ひときわ巨大な音叉状の祭壇と、見たこともない古代文字が刻まれた漆黒の石碑が静かに佇んでいた。

俺が広場へ足を踏み入れた、その瞬間――。

キィィィィン……

誰の手も触れていないはずの巨大な音叉柱が、澄み切った高音を鳴らし響かせた。

それと調和するように、俺の胸の内で覚醒した『調律』の波長が共鳴を起こし、全身の血が熱く脈動し始める。

「アルト様! 石碑が……!」

カノンの驚く声。

見上げれば、漆黒の石碑に刻まれた文字が眩い金色の光を放ち始め、まるで俺の訪れを長年待ち望んでいたかのように、ゆっくりと回転を開始していた。

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