第38基音:涙の叫び、再調律
「ヒィッ……! 化け物……化け物がぁぁっ!!」
眼前で繰り広げられたあまりに冷酷な殺戮劇に、フードの男は完全に恐怖に呑み込まれていた。
「お前……! 人間じゃない! 魔物以上の化け物だッ!」
「…………」
俺は何も答えない。
虚ろな瞳のまま、ゆっくりと右足を一歩踏み出そうとした。ただ害意を叩き潰すためだけに、冷たい『調律』の波動をその手に集めながら。
「アルト様ぁぁぁぁぁっ―――!!!!」
山頂の吹雪を切り裂くような、悲痛な叫びが響き渡った。
全身を縛り付ける敵の黒いノイズ。動かない身体。だが、カノンは己の魔導回路が焼き切れるのもいとわず、極限の負荷をかけて声を張り上げていた。
「お願いです……もう、おやめくださいッ! アルト様のお心が……その綺麗でお優しいお手が汚れ切ってしまうくらいなら……私を……私めを破壊してくださいましッ!!」
ボロボロと溢れ落ちる涙が、カノンの凍えた頬を濡らし、氷の粒となって雪原に落ちる。
「私を救ってくださった時、アルト様は仰ってくださいました……! 『君の音はとても綺麗だ』と……! 私の本当の音を見つけてくださったのは、アルト様なのです……ッ!」
「カ……ノン……?」
その泣き叫ぶ声が、冷たく凍りついていた俺の意識の奥底に届く。
「アルト様が……そんな冷たい瞳で命を奪う姿なんて……私、見たくありません……っ! 私のせいで……私のせいでアルト様が壊れてしまうくらいなら……ッ!」
胸元の2つのコアが、カノンの悲しみと絶望に同調して激しく脈動する。
彼女が流す涙の音、胸を痛める悲鳴――それらはすべて、俺が世界で一番愛おしく、一番大切だと感じた『美しい音色』だった。
(俺は……何をしていたんだ……?)
手元を見る。冷酷な破壊の波長が解け、視界を覆っていた血の色の霧が晴れていく。
そうだ。俺はヴァンたちを救いたかった。救えなかった絶望に飲み込まれて、ただ目の前の敵を消し去るだけの怪物になるところだった。
カノンを護るために手に入れた力で、カノンをこんなにも泣かせてしまっていたなんて。
「……ごめん、カノン」
俺は深呼吸をし、胸元の『ソニアの加護』にそっと手を重ねた。
冷酷な破壊の調律ではない。
カノンの涙を止め、彼女を温かく包み込むための、本来の優しい調律の音色を思い出す。
――パチンッ!
『心象再生調律』
金色のあたたかな光が俺の指先から溢れ出し、吹雪く霊峰の山頂を穏やかに包み込んでいく。
その光はカノンの全身に纏わりついていた黒いノイズを一瞬で溶かし去り、激しい痛みに苛まれていた彼女の身体を優しく解放した。
「あっ……あ……身体が……っ」
自由を取り戻したカノンは、そのまま弾かれたように駆け出し、俺の胸へと激しく飛び込んできた。
「アルト様……! アルト様ぁぁっ……!!」
「ごめんねカノン……もう大丈夫だから。二度と、あんな顔はさせない」
俺は震えるカノンの背中を強く抱きしめた。
その温もりと涙の音に、俺の荒んだ心は完全に調律され、元通りの静けさを取り戻していく。
「あ……あり得ん……! 我が結晶の束縛を、精神の同調だけで打ち破ったというのか……!?」
腰を抜かしたフードの男が、ガタガタと震えながら後ずさる。
俺はカノンの髪を撫でながら、静かに、しかし決して揺らぐことのない強い意志を込めて男を見据えた。
「俺は、お前たちを許さない。カノンを道具として扱い、人の心を踏みにじったその罪……ここで立ち切ってみせる」




