第30基音:白銀の宿場町ビアンカ
商業都市カデンツァを後にしてから数日。
北上するにつれて街道の青々とした風景は姿を消し、周囲は白銀の景色へと様変わりしていった。足元を叩く風は徐々に冷たさを増し、息を吐けば白い霧となって空に消える。
「寒っ……! やっぱり北へ来ると一気に冷え込むね」
俺はマルコ商会からもらった高級防寒具のコートをしっかりと着込み、吐息で手を温めた。
「アルト様! お寒いようでしたら、今すぐ私のこの身を密着させて体温を直接お分けいたしますが……っ!」
隣を歩くカノンが、目を輝かせながら両腕を広げて迫ってくる。
「あ、ありがとうカノン。でも防寒具がすごく暖かいから大丈夫だよ!」
「くっ……! 流石はマルコ商会、無駄に高品質な防寒具を用意してくれましたわね……ッ!」
悔しそうに防寒具の袖を噛みしめるカノンに苦笑しつつ、俺の背中でゆらゆら揺れているリュックに目を向ける。そこには、パルスがポヨンと頭だけを出して、冷たい冬風を気持ちよさそうに浴びていた。
「ぷしゅ〜……♪」
「パルスは寒さに強いんだね。羨ましいよ」
そんな賑やかなやり取りを重ねながら街道を進むと、やがて前方に見えてきたのは、高く聳え立つ【霊峰グラン・ヴァル】の雄大な姿――そして、その麓に佇む雪に包まれた町だった。
建物の屋根にはふんわりと白い雪が積もり、煙突からは温かな暖炉の煙が立ち上っている。
「あれが……宿場町『ビアンカ』だね」
「はい、アルト様。霊峰グラン・ヴァルへ挑む登山客や冒険者が集う、白銀の宿場町にございます」
町へと足を踏み入れると、静謐で美しい街並みが広がっていた。通りには寒さに負けじと露店が立ち並び、温かいスープや焼き肉の香ばしい匂いが漂っている。
俺たちはまず、旅の疲れを癒やすためにマルコ商会が手配してくれた宿へと向かうことにした。
◇
町の中心近くにある宿屋の暖炉の前で、温かいホットミード(蜂蜜酒)を一口飲み、息を吐く。
「ふぅ……温まるなぁ」
「アルト様、お召し上がりください。こちらの名物である干し肉の煮込み料理でございます」
カノンが丁寧に器に取り分けてくれた料理を口に運ぶ。身体の芯から解れていくような温かさに思わず笑みがこぼれた。
しかし俺はふと、店内に流れる「音」に違和感を覚えた。
(……ん? なんだろう、この感じ……)
耳をすませてみる。
薪がくべるパチパチという音、冒険者たちの話し声、給仕が皿を運ぶ音。一見するとごく普通の賑やかな宿屋の音風景だ。
だが、俺の『調律師』としての耳は、その奥底に潜む小さな「不協和音」をはっきりと拾い上げていた。
重く、低く、まるで霊峰の地下深くからじわじわと滲み出てきているような、不気味なノイズの振動。
「アルト様……? どうかされましたか?」
俺がピタリと手を止めたことに気づき、カノンが心配そうに紫色の瞳を覗き込んできた。
「……ううん、カノン。ちょっと気になったんだけど……この町、何か『波長』がおかしくないかな?」
俺の問いに、カノンは気配を察知するようにすっと眼光を鋭くした。
「波長、ですか……? 私の魔導索敵回路には目立った異常反応は捉えられておりませんが……アルト様が違和感を覚えていらっしゃるのであれば、間違いなく何かが潜んでおりますわ」
「ぷしゅ……っ」
俺のリュックから飛び出したパルスも、体を少し硬くして小さな波紋を表面に浮かべている。
古龍ソニアが言っていた【霊峰グラン・ヴァル】の『マナの泉』。
その麓にあるこのビアンカの町で、一体何が起きようとしているのか――。
俺たちは互いに顔を見合わせ、静かに警戒を強めるのだった。




