第29基音:宿屋の密やかな夜
響鳴の鉱山をあとにした俺たちは、一度拠点である商業都市カデンツァへと戻ってきた。
マルコ商会の執務室にて、俺たちは店主のマルコに鉱山での出来事と、魔力を吸い尽くされて黒ずみ、光を失った『二つ目の古代魔導コア』を見せた。
「なるほど……。古龍の狂乱と、魔力の完全枯渇ですか。アルト様、カノン様、まずはご無事で何よりです」
マルコは眼鏡の奥の目を細め、机の上の黒い結晶を深々と検分した。
「霊峰グラン・ヴァルですか……。あそこは世界有数のマナ・スポットですが、年間を通して猛吹雪が吹き荒れる難所です。麓の宿場町『ビアンカ』を経由するのが最善でしょう。我が商会の支店もありますので、物資補給の際はぜひご活用ください」
「助かるよ、マルコ! いつもありがとう!」
マルコから最高級の防寒具と登山物資を受け取り、俺たちはその夜、カデンツァの宿屋に一泊することにした。
◇
夜――。
宿屋の一室で、ランタンの柔らかい光が室内を照らしている。
ベッドの端に腰掛け、俺は黒ずんだコアを布で優しく拭いていた。パルスはベッドの隅で、規則正しく体を小さく伸縮させながら「ぷしゅ〜……ぷしゅ〜……」とかわいらしい音を立てて眠っている。
「アルト様……まだお休みにならないのですか?」
パジャマ姿のカノンが、お茶を入れたカップを手に静かに歩み寄ってきた。湯気とともにハーブの甘い香りが広がる。
「あ、ありがとうカノン。……うん、このコアのこと考えてたんだ。ソニアも苦しんでたし、早く『マナの泉』で魔力を戻してあげたいなって」
「アルト様は……本当にお優しいお方ですね」
カノンはベッドのすぐ隣にちょこんと腰掛けると、紫色の瞳でじっと俺を見つめた。その距離があまりにも近くて、少しドキッとする。
「あの時……アルト様が私を庇ってボロボロになられた時、私の世界は真っ暗になりました。……私はアルト様の兵器であり、盾であるべきなのに」
「カノン……」
「ですが、アルト様は私を信じて、あの『封印』を解いてくださいました。かつて世界を滅ぼしかけたこのような危険な私を……『カノンだけは守りたい』と、そう仰って……っ」
カノンの瞳にじんわりと涙が浮かぶ。彼女は俺の手をぎゅっと両手で包み込んだ。その手はとても温かかった。
「私は決意いたしました。この命、この出力のすべては、永遠にアルト様だけのものです。霊峰にどんな脅威が待ち受けていようと、私がアルト様の完璧な盾となり、剣となりましょう……!」
「……あはは、頼りにしてるよ。でもカノン、無茶だけはしないでね。俺にとってカノンは『兵器』じゃなくて、かけがえのない『大切な存在』なんだから」
「あ、存在……っ! 『大切な存在』……っ!! ふふ、はい……っ! アルト様のお言葉だけで、私の魔導回路が幸せで弾け飛びそうです……っ!」
うっとりと頬を赤らめ、感涙しながらぐいぐいと距離を詰めてくるカノン。
「ささ、アルト様! 今夜は防寒の予行演習として、私めが朝まで抱き枕となって温めさせていただきますわ! さあ、遠慮なさらずベッドへ……っ!」
「わわっ!? カノン、距離が近いって! パルスも起きちゃうから落ち着いてー!」
「ぷしゅ〜……(二人の賑やかなやり取りの中でも気にせず心地よさそうに眠るパルス)」
ドタバタと賑やかな夜は更けていき――。
◇
翌朝、防寒具をしっかり身にまとった俺たちは、カデンツァの街門に立っていた。
背中には旅の荷物と、大切に保管された光なきコア。そしてアルトの胸元では、古龍ソニアから授かった『加護』の金色の紋様が、まるで道標のようにかすかに温かい光を宿している。
「よし、行こう! 二つ目のコアに魔力を取り戻すために!」
「はい、アルト様! どこまでもお供いたしますわ!」
期待と少しの緊張を胸に、俺たちは新たな目的地・霊峰グラン・ヴァルを目指して旅立ったのだった。




