第18基音:新たな旅立ち
フェルマータ亭の朝。窓から差し込む爽やかな日差しを浴びながら、俺は宿屋のテーブルで広げた地図を眺めていた。
「アルト様、温かいお茶をお淹れいたしました。……何かお悩み事でしょうか?」
カノンが丁寧なお辞儀とともに湯気の立つカップを置いてくれる。
「ありがとう、カノン。ううん、悩みっていうか……Dランクにもなれたし、報酬も入ったから、そろそろハーモニアを出て違う街に行ってみるのもいいかなって思ってさ」
「ハーモニアを出て……別の街へ、ですか」
「うん。……それにね、カノンの体のことも気になってたんだ。アーマータイラント戦のあとメンテナンスした時、少し波長の繋がりに違和感があってさ。カノンって、もしかしてどこか足りないパーツがあったりする?」
俺が尋ねると、カノンは驚いたように紫の瞳を丸くし、それから少し申し訳なさそうに視線を落とした。
「……お気づきでしたか。さすがアルト様です。実は……私はかつての戦いで、本来の性能を維持するためのいくつかの補助回路やパーツを消失しております。現状はアルト様の凄まじい『調律』によって問題なく動作しておりますが……」
「やっぱりそうだったんだね。なら、カノンの体を完璧にして、もっと楽に過ごせるようにしてあげたいな。カノンの体のことやパーツの情報を集めるなら、もっと物資や人が集まる場所に行った方がいいと思うんだ。……たとえば、ここ。商業都市カデンツァ」
俺が地図の一点――世界中の物資と情報が行き交う大都市を指差すと、カノンは胸の前でそっと手を重ね、深く胸を打たれたように瞳を揺らした。
「アルト様……私のような者のために、そこまで……っ。アルト様が行かれる場所であれば、世界の果てであっても喜んでお供いたします!」
「プルプル〜♪」
ポケットから顔を出したパルスも、賛成だとばかりに元気に跳ねる。
「よし、決まりだね。じゃあ冒険者ギルドで『カデンツァ行き』の護衛依頼でも探してみよう!」
◇
そうしてハーモニアのギルドで無事にカデンツァ行きの乗合馬車護衛依頼を引き受けた俺たちは、悠々と街道を進んでいた。
「アルト様、お飲み物はいかがですか? それとも、膝枕のサービスをご所望でしょうか……っ!?」
「あ、お水だけで大丈夫だよカノン! 膝枕は馬車が揺れて危ないからね!?」
がたごとと揺れる乗合馬車の後部座席で、カノンは距離感ゼロで甲斐甲斐しくお世話をしてくれようとする。他の乗客たちも、俺たちの和気あいあいとした雰囲気に毒気を抜かれたようで、車内には温かな空気が流れていた。
――その時だった。
「ヒャッハー! 止まれ動くなぁ! 金目のモノと女を置いていきな!」
突如、街道の曲がり角から刃物を掲げた集団――街道荒らしの盗賊たちが躍り出てきた。馬車が急停車し、乗客たちが悲鳴を上げる。
「ひぃっ、盗賊だ……!」
「け、護衛の冒険者は!?」
乗客たちが怯える中、カノンが冷徹な殺気を孕んだ瞳でスッと立ち上がろうとした。
「アルト様の旅路を邪魔する不潔な害虫ども……木っ端微塵に磨り潰して――」
「待って待ってカノン! ここで全力出すと馬車まで吹き飛んじゃうから!」
俺は慌ててカノンを制すと、馬車の窓から外の盗賊たちへ視線を向けた。
身構える盗賊たちの武器や防具、そして彼らが纏う荒々しい気配。集中すると、それらが放つ「不快で品のない不協和音」がはっきりと見えてくる。
「……うわぁ、手入れもされてないし、波長もガタガタだ。危ないからちょっと整えてあげるね」
俺は盗賊たちが掲げるボロついた大剣や斧に向かって、そっと指を鳴らした。
――パチンッ。
『調律』
瞬間、目に見えない波長の振動が盗賊たちを駆け抜けた。
「ひえっ!?」
「な、なんだぁあ!? 武器が……武器が勝手に壊れ――」
パンッ! パンパンッ!!
盗賊たちが手にしていた大剣や斧、身につけていた鎧の金属パーツが一斉に弾け飛び、ただの鉄くずとなって地面に砕け散った。構造の歪みとノイズを極限まで増幅され、自重と空気抵抗に耐え切れず物理破壊を起こしたのだ。
「ひぃいいい!? ス、手袋叩いただけで俺たちの武器が粉々になりやがった! 怪物だぁあああ!!」
丸腰になった盗賊たちは悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
「……え? メンテナンス不足で武器の限界が来てたのかな?」
首をかしげる俺の隣で、御手や乗客たちは「指パッチンで盗賊の装備を全滅させた……!?」と目を丸くして固まっていた。
◇
昼過ぎ、無事に難所を抜けた馬車は街道沿いの休憩所に停車した。
野営用の小鍋を取り出した俺は、途中の街で買った野菜や干し肉、ハーブを煮込み始める。
「干し肉の出汁と野菜の波長がちょっとぶつかってるな。よし……」
――パチンッ。
『調律』
一瞬で素材同士の旨味が調和し、極上の黄金色スープへと生まれ変わる。
「はい、カノン。召し上がれ」
「っ……!! 美味しい……美味しすぎます、アルト様……! さきほど害虫を退けたお姿もあまりに凛々しく……アルト様とこうしてスープを分かち合えるなら、この旅がどこまでも続けばいいのにと思ってしまいます……っ」
「プルプルッ!」
夕暮れ時、遠くの地平線に眩いばかりの魔導光と、巨大な城壁のシルエットが見えてきた。
世界中の物資、情報、そして活気が集まる一大拠点――商業都市カデンツァ。
過去の苦しい日々が嘘のように、穏やかで温かな空気のまま、俺たちの馬車は活気あふれるカデンツァの大きな大門へと滑り込んでいくのだった。




