第五話:滅びたはずの欧州
“外側”には、境界がなかった。
地面のようで地面ではない。
空のようで空ではない。
ただ、無数の光が浮かんでいる。
それぞれが――世界だ。
「触れれば、観測できる」
あの存在の声が、どこからともなく響く。
「ただし、深入りすれば引き込まれる」
忠告か。
それとも、誘いか。
どちらでもいい。
俺は、最も強く脈打つ光に手を伸ばした。
――雪。
冷たい風が頬を打つ。
見渡す限り、焼け落ちた街。
石造りの建物は崩れ、黒煙が空を覆っている。
そして――
旗。
見覚えのない文字。
だが、歴史の知識が告げる。
「……モンゴルか」
馬の群れが駆け抜ける。
鉄の匂い。血の匂い。
鎧をまとった兵士たちが、街を制圧していた。
ここはヨーロッパだ。
だが、俺の知っている歴史ではない。
本来、モンゴル帝国の西進は途中で止まる。
支配者オゴタイ・ハーンの死、内紛と、後継争い。
だがこの世界では――
「止まらなかった」
視界が流れる。
時間が加速する。
都市は次々と落ち、王たちは屈服し、
やがて――
大陸は、一つの旗の下に統一された。
巨大な宮殿。
だが、それはヨーロッパのものではない。
草原の意匠。
移動と戦いを前提とした構造。
そこに座るのは――
皇帝。
モンゴルの血を引きながら、
西の文化を取り込んだ“新たな支配者”。
「面白いだろう?」
また、あの声。
「分岐の一つだ。ほんの少しの差で、歴史はこうも変わる」
「……疫病か? それとも、誰かが死ななかったか」
「ある将が、ほんの一日早く動いた。それだけだ」
たった一日。
それだけで、西洋は滅びた。
いや――
“形を変えた”。
さらに時間が進む。
この世界の“近代”。
蒸気機関は存在する。
だが、その設計思想は違う。
機動性。移動。軍事優先。
科学は発展している。
だが、思想は統制されている。
自由ではなく、効率。
個ではなく、群。
「……これはこれで、完成してるな」
俺は呟いた。
優劣の話じゃない。
ただ、“別の答え”。
そのとき。
視界の端に、“違和感”が走った。
人影。
この世界の住人とは違う、輪郭のブレ。
「……おい」
そいつが、こちらを見た。
いや――
“俺を認識した”。
「お前も、外から来たのか?」
言葉が通じる。
だが、口は動いていない。
直接、頭に響く。
「……ああ」
「奇遇だな。俺もだ」
そいつは笑った。
だが、その目は笑っていない。
「ここ、長居すると飲み込まれるぞ」
「分かってる」
「ならいい」
短い沈黙。
「なあ」
俺は聞いた。
「お前、元の世界に戻る気はあるか?」
そいつは、少しだけ考え――
首を振った。
「もういい」
「どこに行っても、別の“正解”がある」
「元に戻ったところで、それも一つの分岐でしかない」
「だったら――」
そいつは、空を見上げた。
裂け目の、その先。
「“全部の外側”に行く」
同じことを考えている。
俺は、少しだけ笑った。
「……気が合うな」
「だな」
次の瞬間、世界が揺らいだ。
モンゴルの旗が、歪む。
都市が、崩れる。
この世界そのものが、揺らいでいる。
「時間切れだ」
「引き込まれるぞ」
俺たちは同時に走った。
光の境界へ。
分岐の外へ。
振り返る。
そこには、滅びたはずの西があった。
だが、それは確かに存在していた。
「……全部、本物だ」
俺は呟く。
「全部、“ありえた未来”だ」
ならば――
選ぶ意味とは何だ?
正しさとは何だ?
答えは、まだない。
だが俺は進む。
すべての世界線を見届けるために。
そして――
その外側で、“何か”を決めるために。




