修復依頼
東京都某所。
築三十年は超えていそうな薄汚れたアパートの一室で、一人の男が爆睡していた。
「……ぐごぉ……」
カーテンは閉め切られ、床にはコンビニ弁当の容器とエナジードリンクの空き缶が散乱している。
その中心で、ジャージ姿の男が布団に埋もれていた。
――ジリリリリリリッ!!
枕元の目覚まし時計が、耳障りな音を撒き散らす。
男――守屋良平は、布団から手だけを伸ばし、乱暴に目覚ましを止めた。
「……ん。今日も仕事かぁ……」
気だるげに身体を起こす。
ぼさぼさの黒髪をかきながら、俺は欠伸を一つした。
そして、おもむろにテレビの電源を入れる。
『朝七時のニュースをお知らせします。本日は絶好のダンジョン攻略日和です。東京都港区の【東京タワーダンジョン】、茨城県の【納豆ダンジョン】が人気となっております』
「なんだよ、納豆ダンジョンって……」
俺は食パンを頬張りながら呟いた。
日本中に突如“大穴”が発生してから、早十年。
その穴――通称『ダンジョン』は、人類の常識を一変させた。
ダンジョン内部では【スキル】や【魔法】が発現し、さらに内部から採取できる未知の鉱石や素材は、日本経済を急速に発展させていった。
そして誕生したのが、『ダンジョン配信』である。
リアルタイムでモンスターと戦う配信は爆発的人気を誇り、トップ配信者ともなれば年収数億円。
今や子供たちの憧れの職業だ。
……まぁ、俺には縁のない世界だが。
『速報です。昨夜、人気ダンジョン配信グループ『金獅子』が新宿区の【スギナミダンジョン】で消息不明となりました。都は当該ダンジョンについて、“内部環境に異常な変化が確認された”として警戒を呼びかけています――』
「……げ」
嫌な予感がした。
俺は急いで立ち上がり、脱ぎっぱなしだったワイシャツを掴む。
「やべ、行く準備しないと……」
ネクタイを締めながら玄関へ向かった、その時。
ブブブブブッ!!
机の上に放置していた社用携帯が激しく震えた。
「あー……はいはい」
通話ボタンを押した瞬間、鼓膜を突き破るような金切り声が飛んできた。
『リョウ先輩!!出るの遅すぎです!!何回電話かけたと思ってるんですかぁ!?』
「悪い悪い。普通に寝てたわ」
『もうっ……!』
「で、何の用?」
『単刀直入に言います!今日の先輩の出勤先、『本社』じゃなくなりました!』
「……は?」
『もう先輩の家の前にいますから!行きますよ!【現場】に!』
「…………」
俺の顔から血の気が一気に引いた。
嫌々ながらカーテンを開けると、アパート前には白い軽自動車が停まっているのが見えた。
「マジかよ……」
俺の仕事は、ダンジョン保守会社『ダンジョンまもるくん』の社内システム保守ーー基本的には。
だが、例外業務が発生することがある。
それは――完全に壊れたダンジョンの修復だ。
「最悪だ……」
俺は重たい足取りでアパートを出た。
軽自動車の運転席には、一人の女性が座っていた。
茶色い髪を高い位置でポニーテールにまとめ、細縁メガネを掛けた女性。
ぱっちりした目元は活発そうな印象を与えるが、その奥には仕事人特有の鋭さも見える。
白いシャツの上から会社支給の黒ジャケットを羽織り、膝の上ではタブレット端末が複数のウィンドウを表示していた。
こいつの名前は大和麻耶。
会社の後輩であり――『オペレーター』だ。
「おはようございます、先輩。寝癖すごいですよ」
「うるさいな……。で、今日の【現場】は?」
「東京都新宿区、【スギナミダンジョン】です。ニュース見ましたよね? 『金獅子』がやられた場所です」
「うちの会社の管轄だったっけ、そこ」
「正確には業務委託先ですね。向こうだけじゃ手に負えなくなったみたいです」
「うわぁ、絶対めんどくさい案件じゃん……」
「大事になる前に片付けるんです。もうSNSでは結構話題になっちゃってます」
麻耶はそう言ってアクセルを踏み込んだ。
車は朝の都内を駆け抜ける。
そして十五分後。
俺たちは【スギナミダンジョン】の前へ到着していた。
「……おいおい」
思わず顔が引きつる。
ダンジョン入口から、黒紫色の靄のようなものが噴き出していた。
空気そのものが淀み、周囲の温度まで下がっている。
初心者向けダンジョンだった頃の面影など、一切ない。
まるで高難度ボス部屋の入口だ。
「先輩、今回の任務確認です」
麻耶がタブレットを操作しながら言った。
「最下層、第十層にあるダンジョン中枢魔石へ、このUSBを同期してください。この中には、マルウェア――ウイルスを検疫・駆除する修正プログラムが入っています」
「ダンジョン修復方法がUSB直差しなの、毎回思うけどアナログすぎるだろ……」
「仕方ありません。『ダンジョン保護法』で外部からの強制干渉は禁止されてますから」
そう言うと、麻耶は後部座席から銀色のスーツケースを取り出した。
中に入っていたのは、防弾チョッキのような装甲服、耐衝撃ヘルメットに分厚い手袋。
どう見ても機動隊が着るような装備だった。
「じゃあ先輩。早速、装着してください」
「はいはい……」
俺は深いため息を吐きながら装備を身につけていく。
重くて動きづらいがーーこれが俺の生命線となる装備なのだ。
「……ふぅ。行ってくる」
「お気をつけて、できるだけ死なないでくださいね?」
「縁起でもないことを言うな」
俺はダンジョン入口へ足を踏み入れた。
その瞬間、全身に悪寒が走る。
通路の壁面は脈打つように赤黒く変色し、奥からは獣の唸り声にも似た低音が響いてくる。
まるでダンジョンそのものが生き物になったかのようだった。
俺はヘルメット内蔵の無線マイクを起動する。
「――『マヤ』。配置についたか?音声どう?」
『クリアです、先輩。弊社独自のMMVCSプロトコル通信確立。中間者攻撃対策も問題なし。解析用サーバーも起動済みです』
「そりゃ結構」
俺は腰のポーチを軽く叩く。
「では――作戦開始だ」
そして俺は、異常化したダンジョンの奥へと歩を進めた。




